« 一口問答(19願・定散二善5) | トップページ | 一口問答(19願・定散二善7) »

2012年9月25日 (火)

一口問答(19願・定散二善6)

問い

釈尊が韋提希に対して定善を勧められていない、と親鸞聖人が仰った根拠でもあるのですか。

答え

まず、釈尊は韋提希に対して「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして」(観無量寿経)と仰っています。これを親鸞聖人は、「すなはちこれ悪人往生の機たることを彰すなり」(教行信証化土巻)と解説なされています。韋提希は「定散諸機」の善人ではなく、「逆悪の機」の悪人と親鸞聖人が見做されたのです。
そして「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 『観経』一部にあらはして 定散諸機をすすめけり」(浄土和讃)の通り、定散二善は「定散諸機」に対して勧められたのだと。

|

« 一口問答(19願・定散二善5) | トップページ | 一口問答(19願・定散二善7) »

一口問答」カテゴリの記事

コメント

親鸞会では定善散善を観無量寿経通りにしている人は聞かなかった。
観無量寿経が善知識と聞く人も知らない。
三願転入を自力一杯する人も不明。
高森会長は華光会の創始者や先輩や同行や本願寺僧侶にお世話になったのであって定善散善していない。
そもそも他力本願を自力一杯するとはこれいかに?

豪華な食事やいじめセクハラ横領不倫詭弁嘘勧誘会計不明瞭多数の会長一族用施設は仏法のためと言えば善になるのだろうか。

祖師はナントカの九十年と聞きますが、人は棺覆うて名定まる前に晩年には正体が知れるようです。

統一協会のドンが死んで分裂しているそうですが安心安全弁当もナントカ会病院も長くは続かないでしょう。観無量寿経に弁当も病院も出てこないし。

ふと思ったのですが、観無量寿経って婦人の個人的体験談と見えてしまうのですが、体験談をアニメにしたところで体験談を嫌う人はいるのでしょうか。

自己中心的我が儘排他的、そんな人に振り回される人は可哀想です。

投稿: | 2012年9月25日 (火) 08時21分

海さんは、あそこがちょっと足らないのでしょう。
飛雲さんが「心想羸劣」と浄土和讃のヒントを出しているのに、普通の頭があれば気が付きそうなものですが、やっぱり足らないのでしょう。
根拠をもって自説を述べるように言われても、根拠も出せない。
揚げ足取りに必死なのはわかりますが、飛雲さんのコメントなりエントリーをしっかり読んでからコメントしないと恥の上塗りになりますよ。

こんなことを言っても、他の人に口を挟むな、という程の自信家なのでしょうから、また書いてくるでしょうけど。

邪義が邪義とわかるまで、恥をかき続けてくださいね。

投稿: 脱会者 | 2012年9月25日 (火) 10時34分

親鸞会では、釈尊が韋提希及び諸々の衆生に定善を勧められたと教えているんでしょ。
だったら、定善を実践しなよ。
定善は実践しない癖に、散善の行福布施ばかり強要するなよな。
最も基本的な世福を疎かにして、最も高度な定善を完全に無視して、金集め人集めという善(?)ばかり。

海さん、これおかしいと思わないの?
高森会長に直訴しなさいよ、「釈尊は私たちに定善をせよと勧められていますから、定善を実践しないと仏弟子ではないです」とでもね。

親鸞会の教えは矛盾ばかりなのに、親鸞会を非難する人の言っていることが矛盾しているとしか思えないのは、オウム信者とどこがちがうわけ?

海さん、答えてくれる。

投稿: 定善の機? | 2012年9月25日 (火) 20時38分

飛雲 様

今朝ほどは、私の要望に応えて根拠を示して頂き、有難うございました。

残念ながら、とても承服できるものではないのですが、今晩は少し多忙なため、後日改めてコメント欄に書き込みさせて頂きます。

追伸

私に対して、あそこの長さがちょっと足りない、と批判している人がありましたが、大きなお世話です。

投稿: 海 | 2012年9月25日 (火) 22時52分

海さんは、親鸞聖人のお言葉に承服できないとはすごい方ですね。
ここは親鸞聖人のお言葉を承服するものの集まりなので、親鸞聖人のお言葉に承服できない人はコメントされても仕方がないですよ。

投稿: 口挟み | 2012年9月26日 (水) 00時47分

口挟み氏へ

スネ夫は黙ってジャイアンに任せとけよ。

いちいちうるさいって。

投稿: | 2012年9月26日 (水) 04時11分

海 様

口挟みさんも仰っているように、親鸞聖人のお言葉に承服できないということであっては、議論が成立しません。もし、議論を望まれるのであれば、聖教上の根拠をもって、自説を述べられるようにお願いします。

高森会長から植え付けられた邪義が頭の中を覆っていることは判りますが、それを根拠とするのではなく、聖教にどう書かれてあるかを根拠として考える習慣を身につけてください。

投稿: 飛雲 | 2012年9月26日 (水) 06時16分

飛雲さんに質問です。

あなたの主張によると、仏が悪人に対して諸善を勧めるようなことはなく、悪人には終始一貫して念仏だけを勧めるのだということになりますか(違っていたら指摘して下さい)?

もしそうなら(違ってたらごめんなさいね)、以下の御文との整合性はとれますか?

釈迦は慈父、弥陀は悲母なり。われらがちち・はは、種々の方便をして無上の信心をひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。(唯信抄文意)

投稿: みるま | 2012年9月26日 (水) 07時26分

みるま 様

悪人には念仏1つというのはその通りです。

法然上人は『勅伝』第二十一に、

上人の給はく、「口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり。其故は極楽の往生は上は天親竜樹をすすめ、下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、善人をすすめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすすめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。」


と教えられていますし、存覚上人は『持名鈔』に


下根のもののすくはるべき法なるがゆゑに、ことに最上の 法とはしらるるなり。ゆゑいかんとなれば、薬をもつて病を治するに、かろき 病をばかろき薬をもつてつくろひ、おもき病をばおもき薬をもつていやす。病 をしりて薬をほどこす、これを良医となづく。如来はすなはち良医のごとし。 機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機 には念仏をすすむ。


と教えられていることを何度も述べてきた通りです。
その上で『唯信鈔文意』についてのご質問ですが、これも何度か述べてきました。最近では、

宿善の機に対して18願、無宿善の機に対して聖道門・19願・20願を説かれた
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-fa56.html

に書きました。
過去世においての様々な因縁によって、善知識に遇うことができたので、その因縁に対しての話です。だからといって、往生のために善を勧めるという話にはなりません。それでこの後には、


他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり。


以上の事は仰っていません。善根と諸仏菩薩を謗ったりしてはいけない。善根を修めなさいとか諸仏菩薩を拝しなさいではありません。
善根と諸仏菩薩とは同列関係にあります。

それと

「生死の因縁は不可思議なり」と仰る源信僧都、「諸善は信心獲得の因縁なり」と断言する高森会長
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-61af.html

も併せて読んでください。
善知識に遇う、18願の教えに遇う因縁というのは、源信僧都でさえ判らないと仰る不思議な因縁ということです。

投稿: 飛雲 | 2012年9月26日 (水) 08時07分

海さんへ

どこが承服できないのか、具体的に言ってほしいですね。


>まず、釈尊は韋提希に対して「なんぢはこれ凡夫なり。心想羸劣にして」(観無量寿経)と仰っています。これを親鸞聖人は、「すなはちこれ悪人往生の機たることを彰すなり」(教行信証化土巻)と解説なされています。

ここですか?


>韋提希は「定散諸機」の善人ではなく、「逆悪の機」の悪人と親鸞聖人が見做されたのです。


ここですか?


>そして「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 『観経』一部にあらはして 定散諸機をすすめけり」(浄土和讃)の通り、定散二善は「定散諸機」に対して勧められたのだと。


それともここですか?
3つの文でどこが承服できないのか、教えてもらえるとうれしいです。

投稿: 海さんへ | 2012年9月26日 (水) 11時14分

『観経』の定散の諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえり(教行信証化土巻)

イダイケだけでなく全ての人は極重の悪人であると仰っていますね。定善散善のできる人などいないと。

投稿: | 2012年9月26日 (水) 19時36分


これは違いますよ。
正しい真宗教義の何とかというブログでも、M野さんが書いてましたが、とんだ勘違い。
化土巻で定散諸機は化土往生ということを説明された後、親鸞聖人が往生要集の

『観経』には〈極重の悪人他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得

とあるのに、定散諸機を加えられただけ。つまり、定散諸機も報土往生するにはただ弥陀を称して極楽に生ずることを得と仰ったんだよ。
定散諸機が極重の悪人なんて、おかしいでしょ。

それを飛雲さんが何度も何度も仰っているのに、M野さんは何度論破されても同じことを言い続けているだけのことですよ。

善導大師は定善のできた方であったことは、あのM野さんでも認めざるをえないんだよね。

投稿: | 2012年9月26日 (水) 19時55分

ほう。親鸞聖人のお言葉に対して「おかしい」ですか…

投稿: | 2012年9月26日 (水) 20時10分

全ての人は悪人?
=目連尊者も悪人?
=阿難尊者も悪人?
=釈尊も悪人?
=龍女も悪人?
=龍樹菩薩も悪人?
=天親菩薩も悪人?
=阿育王も悪人?
=善導大師も悪人?
=曇鸞大師も悪人?
=道綽禅師も悪人?
=聖徳太子も悪人?
=源信僧都も悪人?
=法然上人も悪人?
=親鸞聖人も悪人?
=覚如上人も悪人?
=蓮如上人も悪人?
以下略?

悪人は悪しかできないのならば上記の方々の書かれたり説かれたりしたことは?

なかなか失礼と思うんですが?

投稿: | 2012年9月26日 (水) 22時52分

まず、口挟みさんも仰っているように、親鸞聖人のお言葉に承服できないということであっては、議論が成立しません。もし、議論を望まれるのであれば、聖教上の根拠をもって、自説を述べられるようにお願いします。飛雲さんから植え付けられた邪義が頭の中を覆っていることは判りますが、それを根拠とするのではなく、聖教にどう書かれてあるかを根拠として考える習慣を身につけてください。
『観経』の定散の諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえり(教行信証化土巻)

この根拠が曲がらないことが分かったなら、一歩前進です。
その上で出てくる種々の疑問には時間があればゆっくり答えたいですが、今日はもう寝ます。
一つお言葉をあげるなら
「小慈小斐もなき身にて
有情利益は思うまじ
如来の願船いまさずば
苦海をいかでかわたるべき」
(悲歎述懐和讃)

投稿: | 2012年9月26日 (水) 23時40分

最後に書かれた名無し 様

仰っていることが半分ほどしか判りませんが、

『観経』の定散の諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえり

『観経』の定散の諸機は「極重悪人」のことであるから、「唯称弥陀」と勧励したまえり

とは違います。このことについては、これまでに根拠をたくさん出して説明してきました。
エントリーの半分程は、これに関連したものです。
全部とはいいませんが、「一口問答」だけでも、全部読んで頂ければ、親鸞聖人の仰っていることが理解できるのではないですか。

投稿: 飛雲 | 2012年9月27日 (木) 06時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 一口問答(19願・定散二善5) | トップページ | 一口問答(19願・定散二善7) »