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2012年8月 3日 (金)

一口問答(獲信に善は必要か16)

問い

私たちは善ができると自惚れているから、実際に善をやってみて善のできない者と知らされる必要があるのです。

答え

完全に破綻した論理です。たとえば、全財産を財施して知らされることは、全財産を財施することができた、という事実です。財施をして財施のできない者と知らされることなど永遠にありません。
親鸞聖人が自惚れていると仰ったのは、「この虚仮雑毒の善をもつて無量光明土に生ぜんと欲する、これかならず不可なり。」(教行信証信巻)とあるように、諸善を実践して報土往生できる、と自惚れている人のことです。
法蔵菩薩と同じ善をしなければ同じ報土にはいけませんが、法蔵菩薩と同じ善ができないと思う人が親鸞聖人の教えを聞いているのです。もし法蔵菩薩と同じ善ができると本気で思っているなら、親鸞聖人の教えを否定するでしょう。

(参照)
会員との問答(一向と雑行について)

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コメント

「真実の善も雑毒の善も形の上では同じ。
私たちは真実の善ができると自惚れているから、雑毒の善しかできないと知らされるまで善をやってみる必要がある。」
と脳内で補ってしまうのですね。会長はハッキリ言わないのに「善意に」解釈してしまいます。
そうすると今回の問いの言葉は論理的に正しいように見えてきます。
自分の煩悩を誤魔化さずに観て反省する人達が、煩悩のままに振る舞い反省とは無縁に嘘をつく人達に食い物にされてしまうのはやりきれない話です。

投稿: | 2012年8月 4日 (土) 01時05分

名無し 様

末法五濁悪世ですから、このような輩が出てくるのでしょう。

投稿: 飛雲 | 2012年8月 4日 (土) 09時48分

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