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2012年8月31日 (金)

高森会長は教義についても会員を騙してきたのか?

高森会長は教義についても会員を騙してきたのか、と尋ねられることがあります。これに対する返答は、微妙です。なぜなら、高森会長が間違った教義を正しいと本気で信じて、それを会員に伝えているところもあったからです。
たとえば、二河白道の譬えなどは少しでも真宗学を学べば、信後の話と簡単に判るのですが、それを信前と説いているのは、”騙した”というよりも”知らなかった”ということでしょう。それは、高森会長がこれまで二河白道の譬えを信後のこととして説明したことが無いことからも判ります。

正しくは信後の譬えではあるが、信前の求道としても当てはまる

というような前置きがあるのなら別ですが、そんな説明を一度も聞いたことがありませんので、高森会長自身が”知らなかった”のです。

他のことについてもそうです。”無常の虎”の話も『仏説譬喩経』の内容を全く”知らなかった”から、あのような話が何の迷いもなくできるのです。

つまり、教義においては、”騙した”部分よりも”知らなかった”部分の方がかなり多いと推察できます。そういう意味では、高森会長は会員を”騙した”のではない、と言えるのかもしれません。

ただし、無知を隠して無二の善知識を演じてきたことに関しては、間違いなく”騙した”のです。もちろん教義以外のことについては、説明するまでもないでしょう。

では、無知の善知識の現在はどうでしょうか?
教義についての無知を散々指摘され、全部は理解できないにしても、聖教のどこをどう読んでも高森会長の言ってきたことが歴代の善知識方とは真逆であったことをそれなりに自覚しながら、無知による誤りを認めず訂正もしないのは、最早”知らない”ではなく”騙している”になります。
講師部員も同じです。以前は高森会長の言うことが歴代の善知識方の仰せと同じ、と信じ切っていたとしても、今は文面上明らかに異なっている、と判っているのですから、講師部員も”知らない”ではなく”騙している”のです。

無間業の謗法罪だ、必堕無間だ、因果の道理は大宇宙の真理だ、とやかましい割には、高森会長も講師部員も積極的に謗法罪を造っているのですから、高森会長・講師部員の言動の全てが嘘だということです。はっきり言えば、彼らにとっては仏教などどうでもいいのでしょう。「白道」の他力信心とは、似ても似つかない絶対の幸福などと言う貪欲の人参を、会員の目の前に吊るして、金集め人集めがしたいだけなのです。

曇鸞大師・親鸞聖人のお言葉を信じる気のない謗法の者に何を言っても無駄でしょうが『教行信証』信巻に引かれた『浄土論註』に、

 問うていはく、たとひ一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。また一人ありてただ正法を誹謗して、五逆もろもろの罪なきもの往生を願ぜば、生を得るやいなやと。
 答へていはく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ。なにをもつてこれをいふとならば、『経』にいはく、〈五逆の罪人、阿鼻大地獄のなかに堕して、つぶさに一劫の重罪を受く。誹謗正法の人は阿鼻大地獄のなかに堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄のなかに至る。かくのごとく展転して百千の阿鼻大地獄を経〉と。仏、出づることを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪、極重なるをもつてのゆゑなり。また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。たとひただかの安楽に 生ぜんことを貪じて生を願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙なきの火を求めんがごとし。あに得る理あらんやと。

(現代語訳)

 問うていう。経には、ある人がたとえ五逆の罪を犯しても、正しい法を謗らないなら往生することができるとある。では、ただ正しい法を謗るだけで、五逆などの罪を犯さないものが浄土の往生を願うなら、往生することができるのであろうか。
 答えていう。ただ正しい法を謗るだけで、他に罪は何一つなくても、決して往生することはできない。なぜかといえば、経に、<五逆の罪を犯した人は無間地獄に堕ちて、一劫の間その重い罪の報いを受ける。正しい法を謗った人は無間地獄に堕ちて、一劫が尽きると、また続いて他の無間地獄に堕ちる。このようにして次々と、数多くの無間地獄をめぐるのである>と説かれていて、仏はこの人がいつ地獄から出ることができるのかを明らかにされていない。それは、正しい法を謗る罪がもっとも重いからである。また正しい法というのは、すなわち仏法である。この愚かな人は、すでに仏法を謗っているのであるから、どうして仏の浄土の往生を願うはずがあろうか。たとえ、浄土は安楽なところだから生れたいという貪りの心で往生を願っても、その願いは、水でない氷や煙の出ない火を求めるのと同じであって、往生することができるはずはないのである。

とある通りです。

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コメント

無知からの勝手な暴走で他人を巻き込み、間違いだったと知っても今更告白する勇気もない。不幸な人生ですね。
何より罪なのは、ねじ曲げた宗教が浄土真宗だったことです。

投稿: | 2012年9月 1日 (土) 06時04分

目的地に行く道順に迷い、その場所に行くなら、こうしろ、ああしろと親切な道案内人を装い多くの人を惑わしました。案内人も目的地の道順をしらないのでした。
道順を聞くために信じた人は財産を差し出しても、現在も目的地にたどり着いた人はいません。何を目的として案内人と名乗っているのでしょうか。

投稿: 過去に会員 | 2012年9月 2日 (日) 00時35分

針が曲がれば糸も曲がるとか、一盲衆盲を率いて以って火孔に堕つるとか、気の利いた警句は全部会長自身のことでした。仏教の名を騙りながらよくもここまで捻じ曲げたと感心します。これだけ誹謗正法の罪を重ねたら実際地獄しか行き場がないのではないでしょうか。本当に必堕無間の教えです。

投稿: | 2012年9月 2日 (日) 02時02分

誠意ある会員ならば、人を親鸞会に勧誘する際は、次の一言を必ず添えてもらいたいと思います。
「高森先生は、お聖教の言葉を大胆に読み替えられたり、論理的には飛躍しているとも取れる解釈をされますが、それは偏えに我々を信心決定に導くためのことですから、どうかあなたも高森先生を信じて、共に求めて頂きたい」と。
有り得ないこととは思いつつ、愚痴の心しばらくも止むことなし。

投稿: 広島の名無し | 2012年9月 3日 (月) 01時33分

会長高森は間違いなく故意に会員に対して誤った教義を教えてきたと思いますね。真実信心を得た人であれば、つねに真実信を基点として聖教を読みますから、弥陀の召喚に応えて白道を歩み出したという譬えは真実信のことであると理解します。祖師もそのように教えているので間違いようがありません。また、自力無効を知らされている以上、自力を捨てろと教えることがあっても、修善をせよとは絶対に口にしないと思いますね。

投稿: たかぼー | 2012年9月 3日 (月) 18時51分

今は故意でしょうが、ある時期までは故意ではなく単なる不勉強だったのだと思います。なぜなら、当初は大沼教学をかなり意識していましたら。しかし、昭和から平成に変わる時期から大沼教学に高森会長色を加え始めました。
完全に味わいの域を外れ、金集め人集めの教えになったのです。

信心は当初から偽装してましたが。

投稿: 親鸞会元会員 | 2012年9月 3日 (月) 19時59分

コメントを頂いた皆様

様々な御意見、ありがとうございました。
エントリーにも書きましたが、会長は故意に騙した部分ももちろんありますが、そうでない最初から知らなかった部分の方が多いと思います。
善の勧めは前者ですが、それ以外の大半は後者だと思います。
たかぼーさんは「つねに真実信を基点として聖教を読みますから」と仰っていますが、ここが違うと思います。会長は聖教を読んでいません。全くと言っていいほど、読んでいません。これまでのエントリーを読まれれば、それはお判り頂けると考えています。
会長が読んだことのある聖教は、正信偈と御文章だけだと思います。それ以外は、大沼師、伊藤師の著書を通して断片的に見たに過ぎません。

投稿: 飛雲 | 2012年9月 3日 (月) 20時50分

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