一口問答(白道は自力か他力か7)
問い
二河白道の譬えを説かれる前に「行者のために一つの譬喩を説きて、信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん。」(教行信証信巻)とあります。群賊・悪獣の惑乱から守護しなければならない信心ですから、自力の信心ということではないですか。
答え
結局のところ、親鸞聖人が「白道」を自力という意味で仰ったお言葉は、どこにもないから、妄想を創り上げるのです。
「白道」は、「火の河」と「水の河」に挟まれた細い道です。獲信後、高森会長が言うような大道になることもありません。しかも、「群賊・悪獣」が「行者」を呼び返そうとします。しかし、そんな細い道でも何物にも妨げられることなく西の岸まで確実に行けるのは、「守護」されているからです。
つまり、「信心を守護して」とは、「守護」しなければならない「信心」ではなく、「守護」された「信心」ということで、当然ながら他力信心を表わされたものです。
なお、高森会長や貴方のような自力妄想の人を「群賊」と言われるのです。
(参照)
法論を怖れる「群賊」
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