親鸞会は仏教か?
一口問答は、書き出すとキリがありません。
これらの問いは、高森会長・講師部員・会員と法論をする中で親鸞会側が言ってきたものばかりです。驚くような問いも含まれているかもしれませんが、親鸞会ではこのような驚くべき理屈がまかり通っているのです。
親鸞会はこれまで、東西本願寺・華光会を親鸞会独特の教義をもって、徹底的に攻撃してきました。相手の主張を捏造・改竄・断章取義するなど、日常茶飯事でしたが、聖教上の根拠まで捏造・改竄・断章取義しているとは、普通は考えられないことです。それをして、”法論に勝った”と宣伝し続けて、無二の善知識が創り上げられた訳です。
しかし、その法論のトリックを暴くと、実に脆いものです。親鸞会は何も言い返すことができません。なぜなら、会長自身、聖教を全く読んでいないからです。”不当な攻撃を受けている”、と被害者を装って誤魔化すのが精一杯です。
ところが、多くの会員は、ネットなどの情報を得て、親鸞会のトリックにも薄々気が付いているのです。ネットの情報を得ていなくても、60年間の教義を修正してきていることは、会員歴の長い人なら気が付いている筈です。
従いまして、高森会長のことを無二の善知識だ、と未だに信じている会員は、意外と少ないのかもしれません。実際、サークル活動として考えている会員も多いと聞いています。
さて、親鸞会は仏教といえるのかどうかです。仏教の目的は、成仏であり、真宗ならば浄土往生といってもいいです。この超常識的なことを高森会長は60年間言ってきませんでした。それが最近になって、形の上ではようやくこのように言うようになりました。後生の一大事の意味も、必堕無間一辺倒から、浄土往生の意味もあると一応は修正してきています。しかし、会員は成仏を目指していませんし、浄土往生を願ってはいません。なぜなら、成仏、浄土ということを高森会長が全然理解していませんし、もちろん説いてもいないからです。
会員は化土往生ですか、とよく聞かれますが、絶対の幸福とか空想の世界を目指している大多数の会員には、関係ない話です。親鸞会は仏教になっていないのです。「真仮の門戸を知らず」以前の問題です。
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コメント
講師部員は ロボットと言われることに 誇りを持っているらしいです。自らの意志を捨て 自らの信心を会長に託し 会長のコピーとして 生きることに、誇り、喜び、信念を持っている 高森教信者ですから 仏教ではありません。
会長は仏教のつもりでも 講師部員は仏教では断じてあり得ない。そう思います。
投稿: おすぎ | 2012年7月17日 (火) 10時22分
>「会員は成仏を目指していませんし、浄土往生を願ってはいません」
まさにその通りですね。
他でもない会員自身が「光に向かって進ませて頂きます」で完結してしまってるんですから。
善(?)に励みつつ「光に向かって進んでいる」という状態を維持させ続ける会と、
善(?)に励みつつ「光に向かって進んでいる」という状態で満足し続ける会員とで
成り立っているといってもいいんではないでしょうか。
投稿: | 2012年7月17日 (火) 13時33分
仏教を正しく解釈できるのは会長だけだと言う論理ですから、自由に教義を創作できてしまいます。
仏教のイロハを知った人なら誤りと判りますが、もっともな話も混ぜているので仏教の知識のない人は信じてしまいます。
困ったものです。
投稿: | 2012年7月17日 (火) 22時35分
おすぎ 様
講師部員も一応は仏教のつもりなんでしょうが、所詮は生活のためのロボットなのでしょう。もちろん仏教である筈もなく。
前の名無し 様
確かにそうです。「光に向かって進ませていただきます」は、真宗ではないことを公言しているようなものです。光、善が曖昧で、その曖昧さが深い御心となるのでしょう。
後の名無し 様
すべてを高森会長に依っているのですから、なんでもありです。正しいのかどうかを確かめることもなく、すべてを会に捧げる。あわれとしか言いようがありません。
投稿: 飛雲 | 2012年7月18日 (水) 06時31分
踊る阿呆に踊らす阿呆。末は無間か阿鼻叫喚か。気づいた者こそ、めでたけれ。
投稿: 詠み人知らず(たかぼー) | 2012年7月18日 (水) 16時26分
たかぼー 様
新たなエントリーで書いておきました。
投稿: 飛雲 | 2012年7月19日 (木) 06時01分
どうでも良い情報ですが、以前親鸞会員だったときに「光に向かって」について言及したら、これは「無量光明土」の光のことを言っているのだから何ら不思議ではないと解答された記憶があります。
今思えばただの誤魔化しですよね。
百歩譲ってそうであれば、無量光明土に向かってと略さず言えば良いものですし。
まぁ何にせよ、親鸞会に邪魔されずにテスト勉強できるのは久々なので、期末試験勉強頑張りますです
投稿: speed | 2012年7月20日 (金) 08時22分
speed 様
多分、そのように言うだろうなとは思っていました。
元は善をして信仰を進めるという意味で用いていました。このフレーズの大元は大沼師です。
使えるものは何でも使う、も邪義に利用するのは困ったものです。
投稿: 飛雲 | 2012年7月20日 (金) 23時11分