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2012年7月 8日 (日)

一口問答(善人悪人8)

問い

善人に対して説かれた教えと悪人に対して説かれた教えが違うというのですか。

答え

釈尊は機に応じて法を説かれたのですから、違います。これを対機説法、応病与薬といいます。存覚上人が「如来はすなはち良医のごとし。機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。」(持名鈔)と教えられた通りです。「上根の機には諸行を授け」、つまり善人には諸善を説かれ、「下根の機には念仏をすすむ」、つまり悪人には念仏を勧められたということです。
下根の機に諸行をすすむ」と頓珍漢なことを言っているのが、高森会長です。

(参照)
対機説法・応病与薬とは、「上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ」

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コメント

悪人だと思う人はもっぱら念仏すればいいんだよ
自分はこれすれば幸せになれると思って努力する価値があるものを持ってる人は納得いくまですればいい。
しかし、
悪人正機といいながら、自分は善人と思いながら救われたいから念仏唱えてるというのはまた滑稽だね
そんな自分もまたそのままでいいよとか言うのかね
たとえば社会基準に対して違反してても君は大事な存在なんだよって言いたいとして、
おまえら全員基準に違反してんだぜ?ってのは明らかにちがうと思うが
仮に違反してなくても、君は違反してないよ、してないよってなだめて、
違反してないから大事なんだよって誤解されるのもまたちがう気がするわ
そもそも悪人正機だし。
世間にはさまざまな基準があるが、一般人にはとても合格しそうな基準もある
たとえばとても偉い人たちにとっては、その基準にもれただけで自分は人生失格だと
思ってしまう基準もあるだろう、そういう人たちにとってその基準にもれた人だって一応悪人だ
そういう人に対して、他の人に比べればちっぽけな問題だって言うのはたやすいだろう。
でも、そういう話ってのは当人にとってはなんの解決にもなってないし
そもそも堕落すること自体は悪いことなんじゃないの?
君は大事な存在なんだよってのは、別に基準にもれることを良しとしているわけじゃなくて
基準にもれようがもれまいが大事だってことだろう。
もっと現実的な話をすれば
人間は社会に適応しなきゃ生きていけないんだから、トレーニングが必要なのは明らか。
そのトレーニングすることさえもあきらめた人間はそりゃ社会的に忌きらわれて当然。
そして、忌み嫌われて死にそうになってるから自分は大事な存在ではないって思うのも当然だと思う
なのに単純に、君は大事な存在って言うのは無責任だと思う
じゃあ、大事な存在って結局どういうこと?ってのをつきつめれば
人生に対する諦めのなかにあるとしか言えないんじゃないかな
じゃあひるがえって、悪人善人てなんなの?っていうと自分の外部に設けられた基準でしょ
それが仏教的な善悪基準であっても、世間的な基準であっても変わらない。
結局、悪人か善人かの問題はどうでもいんだよ。基準を勝手に高くとれば一応悪人だ。
問題は、悪人だと嘆いてる人が救われるという流れじゃなくて、

救われるために悪人だと思わないといけないって思ってる人の群れでしょ。

投稿: | 2012年7月 9日 (月) 12時36分

名無し 様

長文有難うございました。

>問題は、悪人だと嘆いてる人が救われるという流れじゃなくて、

>救われるために悪人だと思わないといけないって思ってる人の群れでしょ。

そうですね、皆が悪人だと思う必要は全くないです。善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、
善人か悪人か判らない人はそのまま救われるのです。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 9日 (月) 12時50分

善人には諸善を勧めるというのは、どうかなぁ。
弘願念仏は善人や悪人を所被の機とする法であるから、善人にも悪人にも弘願念仏を勧めるというのが釈迦弥陀の本意でしょうなぁ。だから、弘願念仏の門においては、悪人と自覚するために諸善を行じる必要はないし、悪人と自覚しなければ本願に漏れるというものでもない、と思うのだが。善人なおもて往生するという法然聖人の教説もあるし。

投稿: たかぼー | 2012年7月 9日 (月) 12時52分

たかぼー 様

仰る通りですが、表現上の問題だけです。
存覚上人は「諸行を授け」と言われ、私は「諸善を説かれ」と、敢えて表現をしています。
真宗の立場では、このように表現すべきなのでしょうが、通仏教では「諸善を勧められた」です。
表現はなかなか難しいものです。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 9日 (月) 12時58分

>そうですね、皆が悪人だと思う必要は全くないです。善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、
> 善人か悪人か判らない人はそのまま救われるのです。

理屈はそうだろうけど、挫折や失敗なしに人生に対するあきらめが得られるとは俺は思わないね
多かれ少なかれ人は悪人だよ、その経験を通じてしか人生は推し量れないと思うけど。
だから俺は悪人のみしか救われないと思うわ、経験上でしか語れないから真実は知らんがね。

ただ、それが無間地獄とかの関係になってくると俺はどうとも言えないが。
まあ推論すれば、すべての人が地獄にいくのはありえんわなって思うくらいだ。
地獄にいくと思い込んで病んでる方には同情するね

投稿: | 2012年7月 9日 (月) 13時54分

了解しました、です。
法然聖人も、当初の頃は「善人には定散二善を勧め、悪人には念仏を勧める」という教説に立って教えられていたようですが、その後は、善人悪人を問わず念仏を勧めるという教説になったようですね。

投稿: たかぼー | 2012年7月 9日 (月) 13時55分

名無し 様

>挫折や失敗なしに人生に対するあきらめが得られる

浄土往生と何の関係があるのか判りませんが、私は聖教に基づいてしか書いておりません。
理屈上でのことですから、私が個人の経験についてとやかくいうことはいたしません。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 9日 (月) 15時08分

たかぼー 様

善人の扱いについては、難しいです。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 9日 (月) 15時10分

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