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2012年7月12日 (木)

一口問答(善人悪人12)

問い

聖道門の修行のできる善人が、釈尊在世・正法及び像法の時に存在したことは判りましたが、末法以後に限定すれば、善人はいない、全人類は悪人ということではないですか。

答え

末法の善導大師は、「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す」(往生礼讃)と御自身のことを仰っています。聖道門の教えに従って善をしてきたけれども、その善根が薄少であって、出離できない凡夫、ということです。善導大師は、御自身を善根薄少の善凡夫と嘆かれたのであって、無善の悪凡夫と告白されたのではありません。実際、「この定かならずすなはち得やすし」(観無量寿経疏)と、善導大師にとって定善をすることは容易だ、と仰っています。
聖者でなければ悪人だというのは、論理が飛躍しています。

(参照)
「罪悪生死の凡夫」=「煩悩を具足せる凡夫」

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