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2012年7月28日 (土)

一口問答(獲信に善は必要か6)

問い

極重悪人唯称仏」(正信偈)とは、救われたならば念仏だけということで、そこまで導く善は必要です。『歎異抄』の「本願を信ぜんには、他の善も要にあらず」と同じことで、真宗の学者が誰も反論できない『歎異抄をひらく』には、
弥陀の本願を信じ救われた者は、弥陀より賜った念仏で往生決定の大満足を獲ているから、「往生のために善をしようという心」は微塵もない、ということである
と解説されていますよ。

答え

ここだけで、高森会長が阿弥陀仏の救いに極めて疎い人物と判ります。
悪人である下品の往生について法然上人は判りやすく、「この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。」(選択本願念仏集)、と解説なされています。この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って善もせず浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇って往生を得る、ということです。救われるまでに善は不要ということが、「本願を信ぜんには、他の善も要にあらず」です。
真宗の学者から「われらの相手に非ず」と失笑されていることを知りましょう。

(参照)
善知識方が「他の方便なし」と教えられているのに、まだ反抗するのですか?

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