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2012年6月22日 (金)

一口問答(五逆謗法闡提3)

24日は、2000畳での座談会に再度変更になったそうです。
高森会長の気まぐれで、会員は振り回されて大変ですね。
また会員に不信感を抱かせました。結構なことです。

では親鸞会の「ひと口問答2」への反論です。

問い

親鸞聖人は「一切の群生海、無始よりこの来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」(教行信証信巻)と説かれています。「一切の群生海」とは、全ての人のこと、「清浄の心無く、真実の心無し」とは、五逆・法謗の者ということではないですか。

答え

親鸞聖人は清浄心のことを『涅槃経』を引用されて「心もし有漏なるを名づけて不浄といふ。仏心は無漏なるがゆゑに大浄と名づく」(教行信証真仏土巻)と教えておられます。
また「煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし」(尊号真像銘文)と教えられています。
つまり、煩悩に穢された心を「清浄の心無く、真実の心無し」と仰ったのであって、五逆・謗法の意味は全くありません。仏語の意味を知らないだけです。

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コメント

〉〉「一切の群生海」とは、全ての人のこと、「清浄の心無く、真実の心無し」とは、五逆・法謗の者ということではないですか。

この、五逆の直前に、自分で確認できたのか?、凡夫が責任とれるのか?、という自己批判が高森会にはなさそうです。
元オウム真理教のサリン実行犯の手記に、確認できないことに無批判で従ってしまった、とありますが高森会の信仰も同じだと思います。
親鸞聖人や法然上人がいくら言っても無駄なのは高森信仰をしているからかもしれません。

阿弥陀仏の大願業力を知らないから地獄行き信仰で聖教を誤読するのかもしれません。

地獄行きと脅せば言うことを効くようだから地獄行きに固執して、本願から背けさせているのではないでしょうか。

自分で地獄行きと自覚が無ければならないのなら阿弥陀仏の本願に建て直しを要求しているのでしょう。

憐れな凡夫ということと思います。

ちなみにようやく信巻に書いてあることを確認できましたが、その直後に、如来、一切苦悩の衆生海を、とありました。
無始より、から、真実の心無し、までを、その後の、一切苦悩、に当てはめて読んでみると、聖教の意味がよりわかりやすくなる気がします。
全人類でもないし全衆生でもないと私は思います。
いつもの断章主義ではないですか。

同時に、なんといいます、ちょっとドキドキした私が情けなくなりました。

結局のところ、二河比喩の、ここに遣わし彼き喚ふを聞きて、解行不同の邪雑の人達の或乱や種々の疑難を聞いても回顧せず、一心に直ちに進んで道を念じて行くことが大事でしょうが、なかなか難しいですね。

妄想に振り回されるのは疲れます。

切り貼りして書き込みしてみました。

投稿: 頭がバーン | 2012年6月22日 (金) 22時22分

頭がバーン 様

断章取義して、しかも文法も、仏語の意味もまるで知らないから、無茶苦茶な解釈になるのです。

投稿: 飛雲 | 2012年6月23日 (土) 07時12分

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