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2012年6月25日 (月)

一口問答(五逆謗法闡提7)

昨日の2000畳座談会では、講師部員・特線部員・幹部会員併せて50名程をアシスタントとして壇上に座らせたそうです。高森会長は、策が尽きた時には、多くの意見を広く募る習慣がありますので、教義的に行き詰まったための非常措置かもしれません。

なお、まだ途中ですが、

「浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?」

を更新しています。順次追加してもらいますので、親鸞会が当ブログを相手に法論が行われていることを、多くの会員に紹介してください。そうするともっと多くの人が壇上に呼ばれるようになるかもしれませんね。

問い

阿弥陀仏は全人類を「唯除五逆誹謗正法」と見抜かれているではないですか。

答え

嘘です。そのようなことを釈尊も七高僧方も親鸞聖人も蓮如上人も仰っていません。親鸞聖人は「五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」 (尊号真像銘文)と、五逆の者も、そして謗法の者でさえも結局は漏らさずに救われる、としか教えられていません。
高森会長が、大沼法竜師の著書を盗作しただけです。

(参照)
パクリで大学者気取りも、聖教を読んだことのない無知を晒しただけの高森会長

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コメント

そうえば某学会の信者だったかが、法華経を信じていないものや読んでいないものもホウボウザイだ、とか言っていたような気がしました。
信者の言うことは団体に関係ないのかもしれませんが、こんな主義主張が通るなら無宗教の人は大変な量のホウボウザイを喰らっているようですね。

阿弥陀仏はホウボウザイだからとは言われておらず、お念仏を申してください、お念仏をおとなえする人をお浄土に生んで仏の悟りを開かせます、という誓願だと聞いています。

お念仏をおとなえする人は地獄へ堕ちずお浄土に生まれますので誓願に疑いを抱かないでください、というのが教えだと思います。

罪の沙汰は無益という言葉を使って自己防衛し他人を誤った罪悪感で煽り救済で釣って、曲がった善悪の定義付けをし金を出させ人集めをさせるか。
信じていないものや無視するもの、関心を持たなければ罪だとかのたまうのは凄く我が儘だと思います。
言うことを聞かなければ許さない、と言う代わりにホウボウザイを使っているのかどうか、全て生活から隅々に至るまで、法然上人や親鸞聖人と直に比べてみると良いのかもしれません。

所詮、浅知恵教義や、周りが言っているからの虚像の指導者でしかないと感じます。

聖書や経典に書いてあれば真実ならどうしてどのようにして真実と自分の中でなっていったのか、ホウボウザイと言われたからホウボウザイと言っているのか、自分を左右するような言葉は精査したほうがいいと思います。

確認できないのに言っていたらなんて言い訳するのでしょうか。どこまで責任を取る気でしょうか。
と、過去の私に言っても聞かなかったかもしれません。

いらぬホウボウザイに縛られずに自由にしたらいいと思います。

投稿: 個人的感想 | 2012年6月26日 (火) 14時20分

個人的感想さんのコメントを読んで思い出しましたが、高森会長は(自分の)法話を聞きに来ない人は身体で謗法罪を造っているなどとのたまっていましたね。何とも傲慢で無理矢理なこじつけです。
親鸞会では五逆、謗法についての定義がめちゃくちゃですし、親鸞会教義が正しいという前提の上に理論を展開しています。なので一歩外に出てみると、「よくこんなものを信じていたなぁ」と過去の自分が情けなくて仕方なくなります。

投稿: 淳心房 | 2012年6月26日 (火) 22時46分

淳心房さんのコメントでなぜか謗法罪の十分説法を思い出しました。
居眠り半分に聞くのは仏法説く人を疎かに思っている謗法罪、また今日の話は長かった短かったと批評するのは説かれる人の上に立っているから謗法罪。
こんな内容だったと記憶しています。
法を謗る、仏様を疎かにしたり上に立つことを戒めるというより、高森会長という善知識を尊敬せよ、批判するな、という意図が感じられる説明でした。
それと仏法聞いてない人も聞いている人もみんな謗法罪を作っているから一切衆生必堕無間は間違いないということが主張したいのでしょう。
とくに学友部では居眠り聴聞が厳しく言われていました。
それにより居眠り聴聞をしてしまう人は人一倍苦悩していました。
私の後輩でも、どうにも居眠り聴聞がなおらない子がいて、ことあるごとに指摘されてました。仏法聞きたくて(幸せになりたくて)続けてるのに聞きに行けば叱られてばかり。色々と辛かっただろうなと思います。
大千世界をみてらん火をも過ぎゆきての覚悟で聞けと言われる仏法が居眠り半分で聞けるか!と講師は言ってましたが、居眠り聴聞してしまう人がわざわざ法話に足を運ぶというのは大変な勇気です。
その気持ちを汲み取れば、もっと温かく迎え入れてあげればいいじゃないかと思います。
まあ講師方でもビデオ法話で居眠りしてた人は結構いましたね。きっと「もうこのビデオ法話テープ何十回も聞いてて飽きたよー」と疎かに思いながら聞いてたんでしょう。ビデオテープを流して自分は事務作業なんて人もいましたね。
善知識を批評するのも謗法というのは高森会長の話に疑問を投げ掛けるのを防ぐ手段です。
要は親鸞会の説明は会長が用意している結論に誘導するためのものにすぎません。

投稿: | 2012年6月27日 (水) 01時25分

個人的感想 様
淳心房 様
名無し 様

結局、会長は自分の話を聞きに来ない者を謗法の者として、会員が自分から離れることを阻止しようとの意図もあったのでしょう。
それと単なる勉強不足とが重なり、現在のトンデモ教義が形成されたものと思われます。

実に恥ずかしいことです。

投稿: 飛雲 | 2012年6月27日 (水) 20時00分

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