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2012年6月21日 (木)

一口問答(五逆謗法闡提2)

問い

では「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり」(末灯鈔)は、間違っているというのですか。

答え

この後の「同座せざれ」を無視して解釈するするからおかしくなるのです。五逆罪・謗法罪が親鸞会の説明通りなら、親、兄弟、配偶者、子供、職場の同僚などとも、親しくしてはならず、同行同士集まることも、善知識、師に近付くことも禁じられたことになります。親鸞聖人は、一家離散、引き籠り、隠遁生活を勧められたことになり、会を作って多くの人が集まる法話や会合などもっての外ということでが、それが正しい解釈ですか。

(参照)
『末灯鈔』のお言葉は、「全人類≠五逆謗法の者」を証明された根拠

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コメント

古文は現代人には馴染みが薄く難解ですね。
慣れない多くの人はどうしても部分部分に目が固定されがちになります。
会の断章取義なんかはそれによって木を見て森を見ずの錯誤に陥いらされていると思うので全体的に分かりやすく現代語に訳せば理解されやすいんではないでしょうか。

善知識を愚かだと思い、師を謗るものを謗法のものと言うのです。
親を謗るものを五逆のものと言うのです。
そういうものと同席してはいけないと言うのです。
それで、北の郡に居る善証房は親を罵り、親鸞を様々に謗りますので近づいて睦まじくしたいと思わないため近づけないようにしたのです。
弁円の往生のことを聞きながら弁円ののこした行跡を疎略にするような人々はその同朋ではないはずです。
無明の酒に酔っている人に更に酔いをすすめ、三毒を長い間好んで食らう人に更に毒をゆるして好めと申し合うのでしょうか、不憫なことであります。
無明の酒に酔っていることを哀しみ、三毒を好み食っていていまだ毒も失せない、無明の酔いもいまだ醒めないのですと申し合うものです。
よくよく心得なさい。

間違ってるかもしれません。

投稿: | 2012年6月22日 (金) 00時40分

おろかって疎かなんですね。
意味はいいかげんにすませたり軽く扱ったりして、まじめに取り組まないさま。
だから今の言葉とは全然違っていてどうしても誤解を生みます。
分かりやすい現代語訳のいい本はないでしょうか。

投稿: | 2012年6月22日 (金) 09時35分

名無し 様

本願寺出版社から出ている現代語訳版がいいです。
ちなみにここは、

善知識をおろそかにし師を謗るものを、謗法のものというのです。また、親を謗るものを五逆のものというのです。このような人とは同席してはならないといわれています。ですから、北の郡にいた善証房は、親をののしり、わたしをさまざまに謗っていましたので、親しく接しようという思いはなく、近づけないでいました。明法房の往生のことを聞きながら、その遺志をおろそかにするような人々は、念仏の仲間ではないはずです。みなさんは無明の酒に酔っている人に、ますます酒を勧め、三毒の煩悩を久しく好んで口にしている人に、ますます毒を飲めとそそのかしているようですが、何とも心の痛むことです。無明の酒に酔っていることを楽しみ、三毒を好んで口にして、毒も消え去らず、無明の酔いも醒めきらないままでいるのです。十分にお心得ください。

投稿: 飛雲 | 2012年6月22日 (金) 19時50分

なるほど、やはり自分で原文に当たるのは無理があるようです。意味が違ってしまう。
現代語訳があるのでしたら是非手に入れたいと思います。

投稿: | 2012年6月22日 (金) 20時02分

飛雲様へ
総序の「逆謗闡提を恵む」のご文を調べて居りましたら、飛雲様の素晴らしいブログに出会いました。
浅学の私にとりましては、熱い問答が、とても勉強になり、読ませて頂いて居ります。
もし宜しければ、飛雲様のご意見をい聞かせ頂ければ幸いです。

(問い)宗祖が、総序で「逆謗闡提を恵む」とおっしゃる「逆謗闡提」とは、誰の事でしょうか?

〇古田武彦 説「後鳥羽上皇・朝廷」の意味だとします。一方、
〇高瀬大宣 説「親鸞が自身を五逆謗法であると捉え」ていたとします。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/54/2/54_2_754/_article/-char/ja/

宗祖のおっしゃる「逆謗闡提」とは、誰の意味だとお考えですか?

ちなみに…、古田氏は著書『親鸞』の中で、
〇香月院深励 説「私たちが、お上の掟を守り、道徳を守ってゆくようにの、仏のおさとしだ」
〇山辺習学・赤松智善 説「ああ何人か五逆謗法の罪を免るることができようぞ。
             聖人は自らこの自覚を表白し、普くこの自覚を促し給うために
             此の文を引用せられたものである」
と、江戸・近代宗学の誤りを指摘しています。

親鸞会にみならず、(僕を含めて)結構~危ない説教をしている気が致します。
ご指導、お願いいたしますm(_ _;)m。

投稿: 7676 | 2017年1月30日 (月) 17時57分

7676 様

問答でも書いたことですし、何度も書いていますが、
「逆謗闡提」とは、真宗の同行のことでないことは明らかです。

ここでの「逆」は阿闍世のことで、信巻に阿闍世のことが長々と『涅槃経』を引文されていることからも判ります。
「謗」については阿闍世の話の後、曇鸞大師の解釈を引文されて、そこで謗法の者は絶対に往生できないと断言されていますので、仏教徒ではない人のことにしかなりません。
「闡提」は真仏土巻で、『涅槃経』を引文されていて、善星を闡提とされていますので、これまた仏弟子であったのに釈尊に背いた者としてしか仰っていません。

ただし、自分のことを「逆謗闡提」だと懺悔していくことは構わないと思います。それを他人に向けて、お前は「逆謗闡提」だ、ということは大問題です。
七高僧方も親鸞聖人も、覚如上人も蓮如上人も御自身のことを「逆謗闡提」とはどこにも仰っていません。

投稿: 飛雲 | 2017年1月30日 (月) 18時14分

素早いご回答!心から感謝いたします(^人^)。

時代や世の移り変わりに合わせて、玉虫色に親鸞さまのご文の解釈を変え、
お聖教から「主上臣下」の文字を削除して来たお坊さんがいました。

飛雲様のブログから、親鸞さまが本当に説かれたみ教えを学ばせて頂きたいと存じます。
ご指導、心から感謝いたします。
                      合掌

投稿: 7676 | 2017年1月30日 (月) 20時36分

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