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2012年6月19日 (火)

一口問答(一切衆生必堕無間6)

問い

嘘を教えた者が地獄に堕ちる、とは仰っていますが、未信の同行が死後にどこどこに行く、と仰っていないではないですか。親鸞聖人が具体的なことを仰ったお言葉があるのですか。

答え

名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし」(末灯鈔)、
安楽浄土をねがひつつ 他力の信をえぬひとは 仏智不思議をうたがひて 辺地・懈慢にとまるなり」(浄土和讃)等、たくさんありますよ。
蓮如上人も「雑行雑修の機をすてやらぬ執心あるひとは、かならず化土懈慢国に生ずるなり」(正信偈大意)と断言されています。化土往生は、真宗の常識です。

(参照)
浄土を願う未信の人は、化土に生れる

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コメント

高森会長が『会報第二集』の中で「化土往生人も、この疑心ある間は十二大劫の間、疑城胎宮に金鎖をもってつながれねばならぬ。」と書いているのを読んで「会長は化土往生する人がいることを前提としているのか?」とひっかかっていました。こちらで以前のエントリー「高森会長は本心では化土往生を認めている?」も読ませていただきましたが、先程の文章の後の方に「この自力の迷情ある間は必堕無間は断じてのがれることは出来ないのだ。」とあるので、疑問は解消されませんでした。しかしこの『会報』の文章は実は伊藤康善師の『安心調べ』からの盗作のようで(表現等は微妙に変えてありますが)、しかも伊藤師は「断じて生死出離は望まれぬ。」と書いているので、まさかとは思いますが、会長は「化土往生人も…」のくだりは意味も分からずに書き写して、最後の「生死出離」の部分だけ「必堕無間」と書き換えたのでしょうか。いつも自分が言っていることに合わせて。よくあちこちで「高森会長は伊藤師や大沼師の文章を盗作する際、その文章の意図するところをよく理解していなかったのではないか」と言われていますが、その通りかもしれないと思えてきました。…そうでないなら、「化土往生」と「必堕無間」が矛盾することくらい書いていて―いいえ書く前に―気づくでしょう。もうこうなると教学力がどうとかいう以前に、「会長という人は文章を熟読するとか、分からないことを調べるということすらしないのだろうか」という気がしてしまいます。会長は龍谷大学で卒業論文くらいは書いているはずですが…

投稿: あずきあらい | 2012年6月20日 (水) 00時02分

あずきあらい 様

高森会長は、文章を正しく読みこなす能力が一般の人よりも劣っているのだと思います。自分の妄想を膨らませて、適当に理解して、それを利用しただけでしょう。

投稿: 飛雲 | 2012年6月20日 (水) 19時34分

質問です。
教えの理屈から言えば、19願・20願力による化土往生もありえますが、現代の私達が自力諸行や自力念仏の実践によって化土往生するのは、やはり不可能なのでしょうか。
ということは、事実上、現代人の来世としてありうるのは、浄土か悪道のどちらかだと考えてよいでしょうか。

投稿: 匿名 | 2012年7月 6日 (金) 10時09分

匿名 様

浄土を願う未信の人は、化土に生れる
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-ea62.html

以上を読んで頂ければいいのですが、化土往生が不可能などというのは、親鸞会邪義そのものです。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 6日 (金) 12時08分

できる限りの善行を修め、あるいは自力念仏をして浄土願生すれば、誰でも化土往生できるということでしょうか。
また、臨終のときにも心が乱れてはいけないため、化土往生は非常に難しいとも聞きますが、現実的に現代人が化土往生することは可能なのでしょうか。

投稿: 匿名 | 2012年7月 6日 (金) 13時05分

匿名 様

19願自力修善での化土往生は臨終来迎が条件にもなっていまして難しいかもしれませんが、20願自力念仏での化土往生については、難しい条件はどこにも書かれていません。
親鸞聖人の仰せをそのまま受け取るか、それはおかしいと疑うかの差です。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 6日 (金) 13時12分

現代は末法であり、修行する力のある人はいないと思いますが、自力往生は可能なのでしょうか。
末法である今日は、やはり他力往生しか救われる道はないと思えてしまうのですが。

投稿: 匿名 | 2012年7月 6日 (金) 18時19分

>他力往生しか救われる道はない

悪道に堕ちるか、報土往生するかしかない

に訂正でお願いします。

投稿: 匿名 | 2012年7月 6日 (金) 18時25分

匿名 様

>現代は末法であり、修行する力のある人はいないと思いますが、自力往生は可能なのでしょうか。
>末法である今日は、やはり他力往生しか救われる道はないと思えてしまうのですが。

聖道門と浄土門の区別がついていません。
聖道門では悟りを開くことができない、と教えられていますので、末法では浄土門でしか救われませんよ、ということです。
聖道門と自力での往生とは別です。

それと先ほども言いました通り、親鸞聖人が仰ったことを信じるか疑うかという違いです。
親鸞聖人だけではなく阿弥陀仏、釈尊、七高僧、蓮如上人も、化土往生できると仰っているのにそれを否定するのであれば、これ以上私から言うことは何もありません。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 6日 (金) 18時39分

度々すみません。
20願による自力往生の条件は何なのでしょうか。
生前、往生を願って一度でも念仏すれば化土往生するのか、それとも多くの念仏を称えなければいけないのか、それはどれだけなのか、臨終に関してはどうなのか。
宜しくお願いします。

投稿: 匿名 | 2012年7月 6日 (金) 19時52分

匿名 様

真門釈に『法事讃』をひかれて

またいはく、「種々の法門みな解脱すれども、念仏して西方に往くに過ぎたるは無し。上一形を尽し、十念・三念・五念に至るまで、仏来迎したまふ。ただちに弥陀の弘誓重なれるをもつて、凡夫念ずればすなはち生ぜしむることを致す」と。

と教えておられます。数は問わないということです。
特別な条件はありません。

念仏誹謗の高森会長
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-92fe.html

これまで示したエントリーがいくつかありますが、そこにすべて書いてあります。
読まれればお判り頂けると思います。しっかり読んでください。

投稿: 飛雲 | 2012年7月 6日 (金) 20時18分

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