« 法蔵菩薩の五劫兆載の願行だけでは不足だとする親鸞会 | トップページ | 「罪悪生死の凡夫」=「煩悩を具足せる凡夫」 »

2012年5月16日 (水)

弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、機よりいささかも添ふることはなきなり

講師部員対象の緊急ネット対策会合が開かれたようですが、今更無い知恵を絞っても、詭弁・誤魔化し・撹乱・荒らし・隔離策以外には何も出てこないでしょう。トップがあれですから仕方がないです。

さて、『安心決定鈔』を連続して取り上げていますが、それは『安心決定鈔』が蓮如上人に大きな影響を与えた書であるからです。『御一代記聞書』294

前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。『安心決定鈔』のこと、四十余年があひだ御覧候へども、御覧じあかぬと仰せられ候ふ。また、金をほりいだすやうなる聖教なりと仰せられ候ふ。

とあります。蓮如上人が仰る宿善についても、『安心決定鈔』からの影響が非常に大きいです。

『安心決定鈔』は最初に、衆生の往生と阿弥陀仏の正覚の機法一体について説示され、

かるがゆゑに仏の正覚のほかは凡夫の往生はなきなり。十方衆生の往生の成就せしとき、仏も正覚を成るゆゑに、仏の正覚成りしとわれらが往生の成就せしとは同時なり。仏の方よりは往生を成ぜしかども、衆生がこのことわりをしること不同なれば、すでに往生するひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべきひともあり。機によりて三世は不同なれども、弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり。
(中略)
仏体よりはすでに成じたまひたりける往生を、つたなく今日までしらずしてむなしく流転しけるなり。

と述べられています。
ここで、「衆生がこのことわりをしること」は、「仏体よりはすでに成じたまひたりける往生を、つたなく今日までしらずしてむなしく流転しけるなり」と対応していますので、「衆生がこのことわりをしること」が信心ということです。親鸞会ならば、十劫安心と貶すところでしょう。
この信心について、

第十八の願をこころうるといふは、名号をこころうるなり。名号をこころうるといふは、阿弥陀仏の衆生にかはりて願行を成就して、凡夫の往生、機にさきだちて成就せしきざみ、十方衆生の往生を正覚の体とせしことを領解するなり。

と表現されています。
これらを承けて、

覚体の功徳は同時に十方衆生のうへに成ぜしかども、昨日あらはすひともあり、今日あらはすひともあり。已・今・当の三世の往生は不同なれども、弘願正因のあらはれもてゆくゆゑに、仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり。

とあります。これは最初に紹介した部分と同じことを言葉を換えられただけです。

衆生がこのことわりをしること不同なれば
=「昨日あらはすひともあり、今日あらはすひともあり

弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり
=「仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり

です。これらを踏まえられたのが、『御一代記聞書』307です。

陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。されば已今当の往生あり。弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。とにかくに、信不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと[云々]。已今当のこと、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふと[云々]。昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もありと仰せられしと[云々]。

『安心決定鈔』と『御一代記聞書』307との関係については、すでに

「親鸞会教義の誤り」
宿善とは3

で解説されていますので、抜粋します。

『御一代記聞書』の「已今当の往生あり」のところが、『安心決定鈔』では

すでに往生するひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべきひともあり已・今・当の三世の往生は不同なれども

ですので、『御一代記聞書』の宿善も遅速あり」は、『安心決定鈔』の


仏の方よりは往生を成ぜしかども、衆生がこのことわりをしること不同なれば

覚体の功徳は同時に十方衆生のうへに成ぜしかども、昨日あらはすひともあり、今日あらはすひともあり



に当ります。「ことわりをしる」「あらわす」とありますし、『御一代記聞書』の最後に

昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もあり

とありますので、「宿善」とは、信心のことを指していることがお分かり頂けると思います。

つまり『御一代記聞書』では、信心をうることに遅速があるから、已今当の往生がある、と理解できます。

『安心決定鈔』の「ことわりをしる」「あらわす」ことは、自分のやった善とは全く関係ないのです。『安心決定鈔』の、


弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり

仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり



に、そのことが明確に解説されています。ですから、『御一代記聞書』の「宿善」には、自力的な意味の善は含まれていないのです。

親鸞会で教えているように宿善の厚薄について教えられたものではありませんし、ましてや宿善を厚くするようにという意味はどこにもありません。
『御一代記聞書』にも『安心決定鈔』にも、善を勧められたところは皆無です。

『安心決定鈔』には、「弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、機よりいささかも添ふることはなきなり」ということばかり書かれています。すべて阿弥陀仏がなされることで、我々の方から、何かを加えることはないのです。蓮如上人が「一念の信心」と仰ることも、これです。『安心決定鈔』を読むと、『御文章』『御一代記聞書』がよく理解できるようになります。

結局のところ、宿善が薄い人が宿善が厚くなって救われるという御文は皆無です。当たり前のことです。

宿善についての総まとめをしておきます。

聖道門でも使われる宿善ですが、真宗においては、『観無量寿経』に説かれたように、下三品の者が臨終に善知識に遇って往生を遂げるのですが、その善知識に遇う因縁を『浄土十疑論』で宿善と使ったのが元になっています。従いまして、すでに善知識に遇った人が、宿善をどうこうするという話ではないのです。五重の義でも、宿善、善知識となっているのは、このことを表しています。善知識に遇った時点で、宿善の話は終わりです。後は、善知識の勧められる通り、雑行・雑修・自力の心を捨てて、阿弥陀仏に帰して念仏するだけです。

以上親鸞会に提示している10項目のうち、8番目までの説明を修了しました。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - -
高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
- - - - - - - - - - - - - -
高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -- - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
- - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
高森会長 善知識に無条件服従せよ

|

« 法蔵菩薩の五劫兆載の願行だけでは不足だとする親鸞会 | トップページ | 「罪悪生死の凡夫」=「煩悩を具足せる凡夫」 »

コメント

https://twitter.com/#!/sho36ban
雁林院溟齋(雁林)  5月15日
浄土真宗からは親鸞会というカルトが出てるよなそういえば。
https://twitter.com/#!/mamoru_kino4ta
木下守 7時間前
一度嘘をつくと、その嘘を誤魔化すために更なる嘘を重ねなければならない。親鸞会か如実にそれを教えている。
親鸞聖人の教えられたことと正反対のことを説くのが親鸞会です。それはもはや浄土真宗でも仏教でもなく、悪質な詐欺団体と言わざるを得ません。

                            ↑
                Twitterより 親鸞会とは、こんな団体なのでしょうか?

投稿: Twitterより | 2012年5月18日 (金) 17時31分

Twitterより 様

こんな団体です。

投稿: 飛雲 | 2012年5月18日 (金) 20時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 法蔵菩薩の五劫兆載の願行だけでは不足だとする親鸞会 | トップページ | 「罪悪生死の凡夫」=「煩悩を具足せる凡夫」 »