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2012年5月13日 (日)

かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず

偽装退会者と偽装本願寺僧侶の二つの立場で同じ内容を書き、結果は共に敗退逃亡したのですが、上司から叱られたのか、憂さ晴らしをしたいのか、また同じことを書いて同じ過ちを繰り返しています。余程学習能力がないのでしょう。付ける薬はないですね。

さて、親鸞聖人が過去世において聖道門の修行をせられてきたと仰ったお言葉はいくつかありますが、善導大師にもあります。『散善義』

わが身は無際よりこのかた、他とともに同時に願を発して悪を断じ、菩薩の道を行じき。他はことごとく身命を惜しまず。道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。煩悩悪障は転々してますます多く、福慧は微微たること、重昏を対して明鏡に臨むがごとし。たちまちにこの事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざるものをや。

(現代語訳)

わが身は、無始よりこのかた、他のものと同時に、発願し、悪を断ち、菩薩の道を行じたのに、他のものはことごとく身命を惜しまず、修行して位を進め、因が円満し、果が成就して、聖者の位を証した。その数は、大地を微塵にくだいたよりもなお多い。しかるに、われら凡夫は過去より今日に至るまで、いたずらに流転して、煩悩の悪障が次第にますます多くなり、福徳智慧のきわめて少ないことは、重昏をもって明鏡に望むがようである。今このことを考えると、どうして心驚き悲しまずにおられようか。

と自らのことを嘆き悲しんでおられます。

御自身は聖道門での修行に励んでも、出離することができず、流転をしてきた「常没の衆生」であることを善導大師は告白なされているのです。

では誰も出離できなかったのかと言えば、「他はことごとく身命を惜しまず。道を行じ位を進みて、因円かに果熟して、聖を証せるもの大地微塵に踰えたり。」と数えきれない多くの法友が出離していったと仰っています。その一方で、「しかるにわれら凡夫、すなはち今日に至るまで、虚然として流浪す。」なのです。これは「菩薩の道を行じ」た上での話をなされているのですから、善を実践なされたのです。善ができなかったのではありません。足りなかったということです。
それで聖道門を断念されて浄土門に入られた訳で、善導大師は御自身の体験から、定散二善を「欣慕浄土の善根」と深信なされたのです。
このように「菩薩の道を行じ」られた善凡夫もあるのですが、「仏法・世俗の二種の善根有ること無し」の悪凡夫もまたいる訳です。
菩薩の道を行じ」られた善導大師が悪凡夫かどうかは、通常の思考があれば、容易に判断できることです。

そんな悪凡夫が善知識に遇って18願の教えを聞いて信じることもあるのですから、源信僧都の仰るように「生死の因縁は不可思議なり。薄徳のものの、聞くことを得るも、その縁知りがたし。」なのです。

そんな判らない因縁であるから、聖道門の理論とは違うのですが、それが高森会長や講師部員、会員には理解できないのでしょう。

『口伝鈔』

しかれば往生の信心の定まることはわれらが智分にあらず、光明の縁にもよほし育てられて名号信知の報土の因をうと、しるべしとなり。これを他力といふなり。

とあります。覚如上人は「宿善」を阿弥陀仏の光明によるお育て、と定義されて、それが今日の真宗における「宿善」の意味になります。
それを蓮如上人も引き継がれて、『御文章』2帖目第13通

しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて他力の信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御方よりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。

と仰っています。自力が混じらない絶対他力とは、こういうことをいうのです。善がいるとかいらないとかは、阿弥陀仏のお力を疑っているところからくるものです。

蓮如上人の愛読書であった『安心決定鈔』には

本願の功徳をうけとることは、宿善の機、南無と帰命して阿弥陀仏ととなふる六字のうちに、万行・万善、恒沙の功徳、ただ一声に成就するなり。かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず。

とまではっきり書かれています。「功徳善根を求む」親鸞会会員が、「本願の功徳をうけとることは」ありません。

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コメント

いつも大変勉強になり助かっております。IPを
変え無いように「飛雲さんが私を特定出来るよう
」に書いています。なにぶんにぶいものですから、
なかなか苦労していますし、御迷惑をおかけし
申し訳御座いません。Rの母です。高森親鸞会は
本当に邪義だと思います。

投稿: 早苗 | 2012年5月13日 (日) 16時06分

早苗 様

そうでしたか。
最近、超多忙でエントリーを書くのもやっとやっとの状態です。
コメントへのお返事まで手が回らなくて、申し訳ないです。
親鸞会の邪義は、調べれば調べるほど、酷いもので、いい方向に修正した部分も無きにしも非ずですが、逆に更に悪い方向に改悪された部分もあります。
会長が不勉強の上に、私利私欲を満たすため、嘘を隠すための嘘を重ねるうちに、会長の頭の中はぐちゃぐちゃになっていると思います。
それを信じる会員さんが哀れです。

投稿: 飛雲 | 2012年5月13日 (日) 16時25分

あまり非難したくないが、最近の親鸞会のホームページはひどい。
壺が出てきて2ちゃんねる状態ですか。
各地の御法座の日程も4月以降は更新されていない。
誰も来て欲しくないのか。
とにかく教えがどっかに行っている。
もう直りようがないのか。
会長も期待できないし、講師達も期待できないのか。
中から変革する人たちが出てくるのを待っているのは無駄かもしれない。
つぶれるものは自然につぶれていくのかもしれない。
残念である。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2012年5月13日 (日) 23時09分

浄土真宗界でも、余りの酷さに「カルトは強力
であり危険である」として、冊子も配られ心配
しています。高森親鸞会に関しては、教義的に
知識帰命の為に谷口春子さんを利用して知識を
神輿に載せ偶像化をはかったりと教義を分かり
にくくするので知識帰命についても、その分かり
にくさを指摘されています。本当に困ります。

投稿: 早苗 | 2012年5月14日 (月) 12時28分

とくよしみね 様

本当に酷いですね。親鸞会に期待するのは、無駄だと思います。


早苗 様

冊子まで配られているのですか。もうすぐ終わりになるかもしれませんね。

投稿: 飛雲 | 2012年5月14日 (月) 21時50分

谷口春子さんを利用した点が少し気になりました。
初版のと再版以降とも違うとは聞いたことがありますが…。
結局顔と声を利用されていて本人はあんなことは言っていないのかもしれないのでしょうか。

投稿: 影楼 | 2012年5月15日 (火) 00時22分

影楼 様

谷口さんの体験談で、都合の悪いところを削ったそうで、谷口さんも不快に思われたと聞いたことがあります。

投稿: 飛雲 | 2012年5月15日 (火) 07時06分

心配されたのは、高森親鸞会のわかりにくい曖昧な言葉なのだそうです。確かに高森親鸞会長は自分を帰命せよとは言っていませんが、まわりをして言わしめる行為を止めていないという指摘でした。これは我が身に従えと同じですが、「自分をたのめやら、帰命せよやら、服従せよやら言っていない」と、言い訳するのです。確かに黙れば勝手にまわりが褒め称えただけですが、暗黙で許しているわかりにくい行為をするのです。無二「二人といない知識」と言いながら、谷口春子さんは立派な方だとおもいますが高森親鸞会長の話で救われているはずもなく、本願寺で生まれ高森親鸞会長に会う前に既にご信心の話をされています。高森親鸞会長が無二では無いに決まっています。このように、会発行の新聞を使い情報も操作してくる分かりにくい点が非常に多く、このような巧妙な手段に若者は騙されてもせめられない難しい面があります。また、脱会者に於いては騙されたという思いが大変強く外部の人を関係も全く理解しないまま被害妄想になり利用したと結びつけてしまい、何故そこまで人を疑う妄想を重ねるのか理解できないまでに傷のある方も有るのです。

投稿: 早苗 | 2012年5月15日 (火) 07時22分

そのような訳で、飛雲さんのブログはじめ高森親鸞会の邪義に
早く気付くきっかけは大変貴重です。はっきり物言われます勇気
に尚貴重と感じております。
本願寺は称名正因の異安心、と高森親鸞会は言いますが違います。
南無阿弥陀仏は信心であり名号であり同じ事です。
これは、ご名号の意味を飾っておく対象と見ている為に形に異常
に拘るのであり我が身に働いているとわからねば偶像化されたもの
と同じ事になってしまいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と我が身に働いているという事。
すみません、生意気申しました。南無阿弥陀仏

投稿: 早苗 | 2012年5月15日 (火) 09時17分

>>谷口さんの体験談で、都合の悪いところを削ったそうで、谷口さんも不快に思われたと聞いたことがあります。
了解いたしました。
ありがとうございます。

>>早苗様
言えなかったことや言いたくてもよくわからなかったことを文字にしていただいて有難く思いました。

谷口春子さんは確かに本願に救われたのですが親鸞会に関わる前であり、本願寺所属でした。
親鸞会になんて関わらなくても救われるのですよね。

投稿: 影楼 | 2012年5月16日 (水) 06時28分

早苗 様

親鸞会という井の中にいると大海が判らないのです。
しかし、井戸から一度顔を出せば、大海のあることを知ることができます。


影楼 様

谷口さんを通して、お山の大将のいうことが、如何に出鱈目であったかを証明できますよね。

投稿: 飛雲 | 2012年5月16日 (水) 20時09分

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