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2012年4月22日 (日)

「十方衆生」の意味

親鸞会理論”善の勧め”の最大の根拠が、19願の「十方衆生」です。高森会長は、

「十方衆生」とあるから、すべての人のことだ

という単純な理屈で説明しています。会員を騙すには都合のいいお言葉と考えているのでしょう。

しかし「十方衆生」というお言葉は、法華経、華厳経、般若経、涅槃経等の聖道門所依の経典にも出てきます。ここから釈尊が、「十方衆生」に向かって聖道門を説かれていることが判ります。「十方衆生」と同義の「一切衆生」に至っては、「十方衆生」よりも多くの経典で出てきます。つまり、親鸞会理論を適用するならば、聖道門は全人類にとって実践しなければならない教え、ということになります。

これを親鸞会ではどう釈明するのか一度聞いてみたいです。

結局のところ、たとえ「十方衆生」に呼びかけられたとしても、全人類に関係するものと関係しないものがあるということです。

そこで親鸞聖人が注目されたのは、「十方衆生」ではなく、18願の「唯除五逆誹謗正法」だったのです。それが『尊号真像銘文』

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

です。
つまり、18願には「唯除五逆誹謗正法」というお言葉があるから、18願の「十方衆生」から洩れたものはないと仰っているのです。逆にいえば、「唯除五逆誹謗正法」のない19願・20願の「十方衆生」には、洩れているものがいるということです。

この内容が、親鸞会大惨敗のmixi法論の中心でした。

『大無量寿経』の18願は、異訳の経典を参照することで、親鸞聖人の仰った意味がよりはっきりします。

親鸞聖人が『教行信証』行巻に『大阿弥陀経』と『平等覚経』を紹介されています。

 『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』[『大阿弥陀経』といふ、『二十四願経』といふ]にのたまはく、「第四に願ずらく、〈それがし作仏せしめんとき、わが名字をもつてみな、八方上下、無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民・蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」と。{以上}

 『無量清浄平等覚経』の巻上にのたまはく、「〈われ作仏せんとき、わが名をして、八方上下、無数の仏国に聞かしめん。諸仏おのおの弟子衆のなかにして、わが功徳・国土の善を嘆ぜん。諸天・人民・蠕動の類、わが名字を聞きてみなことごとく踊躍せんもの、わが国に来生せしめん。しからずはわれ作仏せじ〉と。

ここに紹介されている『大阿弥陀経』と『平等覚経』の御文は、共に、前半が『大無量寿経』の17願で、後半が『大無量寿経』の18願にあたります。
『大無量寿経』18願の「十方衆生」について『大阿弥陀経』では

諸天・人民・蜎飛・蠕動の類

であり、『平等覚経』では

諸天・人民・蠕動の類

と表現されています。人間だけではなく、虫までが含まれています。親鸞聖人が『大阿弥陀経』と『平等覚経』を紹介された理由の1つが、『大無量寿経』18願の「十方衆生」の御心を明らかにすることであったのです。生命のあるもので、洩れているものは皆無なのです。

一方で、聖道門の学僧が18願をどのような願と見做していたのかを知らないと、親鸞聖人の御心が理解できないと思います。法然門下を弾圧する直接の切っ掛けとなった『興福寺奏状』には

善導一期の行ただ仏名に在らば、下機を誘ふるの方便なり。

とあります。「下機を誘ふるの方便なり」とは、悪人を仏法に誘う方便ということです。念仏往生の願である18願が真実などとは全く思っていないのです。
また法然上人がお亡くなりになられた後、明恵高弁が書いた『摧邪輪』には、

往生宗所引の念仏の善の証文には称名の外に無量の余行あり、一一出すに邊あらず、若し彼を撥すれば念仏の深義また成ずべからず、若し汝の言う所の如く一文を守らば称名行は是れ下劣根機の為に説く所也。
(中略)
称名一行は下根の一類の為に授ずくる所也。汝何ぞ天下の諸人を以て皆下劣の根機と為す乎。無礼之至り称計す可からず、此の文証を引くに依りて称名行を執らずに非ず、唯是汝之一門、称名を以て無上殊勝の行と為し、余行を撥して下劣と為す。

とあります。法然上人の教えられた念仏往生の願とは、「下劣根機の為」であって、「天下の諸人」のためのものではない、という考えです。
つまり、18願は悪人を仏法に導くための方便の願であり、善人には関係ない願であるということです。
悪人は、

18願 ⇒ 19願 ⇒ 聖道門

という道程を通ると聖道門では考えていたのです。もちろん善人である自分達が18願から始めるなどという発想は、聖道門の人にはありませんでした。

これを逆手に取られたのが、親鸞聖人の三願転入なのです。
善人は、

聖道門 ⇒ 19願 ⇒ 18願

という道程があり、善人のために聖道門、19願という方便の教えが説かれているということです。悪人や18願をすでに信じている人が、聖道門や19願から始めるという理屈も、根本的におかしな話です。

親鸞聖人は、18願はどんな悪人でも洩れることなく救われることを『教行信証』信巻で明らかにされ、化土巻で聖道門の考えの誤りを正されます。

その結論が、『教行信証』化土巻・要門釈

『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。

です。「極重悪人」には18願しか救われる手立てのないことは既に、親鸞聖人は説明済みですが、善人である「定散の諸機」も結局は「極重悪人」同様、18願しかないのだ、と仰ったお言葉です。
その証明として、親鸞聖人御自身の体験を三願転入として述べられたのです。

親鸞聖人は、18願の「十方衆生」はどんな悪人も洩れなく救われるだけでなく、どんな善人も18願によらなけば救われない、という善人悪人関係なく救われる18願の説明に終始されたのが、『教行信証』です。
『教行信証』を書かれた目的が、法然上人の『選択本願念仏集』の正しさを立証するというためでありましたので、至極当然なことです。

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コメント

自分もその親鸞会のいつもの言い方、十方衆生のことを「全人類」と人類に限定していることはオカシイ、とずっと思っていました。
衆生は六道を巡っているわけで、今人間でも他の界にいけばそうではなくなるし、今他の界にいるものでもいつか人間界に生まれる機会もあるでし

ょう。
そういう不定なものなのに人類と限定するのはおかしい。
今人間じゃないものは知らん、とでも阿弥陀仏がお考えになってるんでしょうか。
阿弥陀仏の救済対象は当然、生きとし生けるもの全て、なんです。

十方衆生は世々流転の悠久の時間を含めた意でしょう。
それを認めてしまうと十九願において、今人類でないものにも善をすれば助けると呼びかけることになって親鸞会の主張が矛盾を抱えて不都合にな

ります。
親鸞会はどうしても十九願を全ての機ということにしたいので十方衆生を「全人類」と意味をこじつけているだけですね。

投稿: | 2012年4月23日 (月) 01時06分

名無し 様

「一切衆生必堕無間」が親鸞会の説ですから、無間地獄以外の世界は、人間界が例外的に存在することになっています。他の世界に衆生は事実上存在しない筈ですので、筋が通っている(?)と思っているのでしょう。

投稿: 飛雲 | 2012年4月25日 (水) 21時22分

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