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2012年4月12日 (木)

論理的思考、論文である『教行信証』の読み方

特専部員らしき人物のブログは、未だに続いていて、当ブログの読者の皆さんも心底呆れております。
エントリーの内容は、ここで紹介するまでもない、実に低レベルの話ですが、論文の読み方、論理的な思考について参考になるコメントがありますので、それを紹介しておきます。論文と言ってもここでは『教行信証』のことです。

論理的思考のできない貴方に、少しだけ教えてあげます。

要門釈が、総論ですね。ここに、要門の役割が述べられています。そこには、貴方も認めた
「19願は聖道門を断念した人を浄土門に導き入れるために建てられた」
と明記してあります。
それともう1つあります。それは
「19願の益として、化土往生する」
ということです。
馬鹿の1つ覚えで言っている
「弥陀19願には聖道門の人を浄土門に導く働きしかないのだ」
が私の主張と違うと言っているのはこのことです。
そして要門釈の結論が、
「己の能力を良く考えて、19願を捨てて、18願に帰しなさい。」
です。これを
「弥陀19願で勧められた善を実践しないうちにやめて」
と私の主張を故意に曲解していますが、実践する前の人にも後の人にも関係ないことは、小学生でも分かるでしょう。

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この要門釈には、19願及び19願の実践を勧められた文は皆無です。
貴方が改竄捏造した「実践して」は、文底秘沈の考えと同じです。

要門釈の後に、各論が展開されるのですが、この総論に沿った内容しか仰っていないのは、当然の当然です。総論と各論が違っているのを矛盾と言うのです。親鸞聖人の教えに矛盾はありません。

ところが破滅思考の貴方は、総論が序の口と各論の中にある更に重箱の隅の一文が主論と平気で言う訳です。

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重箱の隅をつつく話でいうなら、

和食として提供されて、重箱に和食が入っているのに、勝手に洋食と思いこんで、「これは和食である筈がない、どこかに洋食が1つでもあれば、これは和食ではなく洋食になるんだ」と意気込んでいるような愚か者なんだよ、坊や。
そして重箱の隅に、小さな肉の欠片を見つけて、「ここにステーキがあるから、この料理は洋食だ」と叫んでいるのが、坊やの姿。分かる?
「その肉片はステーキじゃないの」と教えてあげると、「じゃあこの肉は牛肉か、豚肉か、羊肉か、鶏肉かどれだ、その見分け方は何だ?」とまだ、間抜けな質問をしても、恥の上塗りをするだけ。

19願については『教行信証』化土巻で説明されているのですが、その概要は要門釈と言われる部分で教えられています。

簡単に言えば

・19願及び『観無量寿経』の定散二善は、聖道門を断念した人を浄土門に導くためのもの。
・19願を実践しても、化土往生しかできない。
・定散諸機も自分の能力をよく弁えて、極重の悪人同様、他力念仏18願1つに帰しなさい。

ということです。要門釈の後にも、19願及び定散二善の説明をなされていますが、それは要門釈の内容に沿ったものであることは、論理的に考えれば、判りそうなものです。しかし、要門釈以外のところで

「19願及び定散二善を勧められた御文があるから、親鸞聖人は19願及び定散二善を勧められた」

と声高に叫ぶのが、親鸞会の面々ですが、それが重箱の譬えになる訳です。
親鸞聖人は要門釈で「重箱の中身は和食」と仰っているのに、重箱の隅をつついて料理の欠片を探し回って「ここに洋食の品があったから、これは洋食だ」と叫んでいるのと同じなのです。
重箱の中身は和食」であるなら、その欠片も「和食の欠片」と判断するのが当然です。

事実、化土巻も含めて、親鸞聖人の御著書に「19願及び定散二善を勧められた御文」はありません。あるように錯覚しているだけのことですから、その解釈の間違いを指摘すれば、簡単に引き下がります。

さて、19願及び定散二善とは何でしょうか?

それは『教行信証』化土巻・雑行釈

雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。

(現代語訳)

雑行とは、正.助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善.散善や世福.戒福.行福の善を修め、三輩.九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。

と親鸞聖人は雑行の説明をされています。

横出」については『教行信証』信巻・横超釈とあります。

また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。

(現代語訳)

また、浄土門の中に横出がある。それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えである。

つまり、

雑行=定散二善・19願

です。

雑行は”捨てよ”であって、雑行を”せよ”ではありません。
当たり前のことです。

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