« 「十方衆生」の意味 | トップページ | 信罪福心が少しでもあるなら、会員は「高森学徒常訓」の唱和を »

2012年4月25日 (水)

親鸞会は、真実の経典でも邪義、異訳経でも邪義、親鸞聖人の仰せでも邪義

弘宣局長に法論を申し込んで1カ月以上経過しました。特専部員らしき人物のブログも更新が止まりました。

法論をして、沈黙した方が負け

これが親鸞会式法論の勝敗ルールです。また

法論を申し込んでも、応じない方が負け

というものもあります。
これまで当ブログは、高森会長、講師部員、特専部員、幹部会員との法論に関わってきて、すべて、親鸞会側が沈黙しています。更には、親鸞会に法論を申し込んでも、無視されています。

つまり、親鸞会のルールによって、親鸞会の全戦全敗が確定しています。

いつも言いますが、これは私を含めた退会者が優秀ということではなく、高森会長を含めた親鸞会が余りにもお粗末過ぎるだけのことです。なぜなら、退会者は退会を決意してから、仕事の片手間に教学を学んだに過ぎないのですから、60年間も布教一筋の高森会長とは、時間も環境も雲泥の差があるからです。結局、高森会長は60年間、真宗の勉強を何もしていないことを自ら証明しただけです。

さて、親鸞聖人は、真実の教を『大無量寿経』とされましたが、『大無量寿経』の異訳経を頻繁に引かれて、『大無量寿経』の解釈をなされています。つまり、『大無量寿経』だけでは、解釈を誤る可能性があると親鸞聖人は見ておられたということです。
それで前回のエントリーで『平等覚経』『大阿弥陀経』を親鸞聖人が行巻に引かれていることを紹介しました。

ところが親鸞会は、

親鸞聖人は『大無量寿経』が真実の経典であると仰っているから、異訳経に何が書かれてあっても、『大無量寿経』が優先だ!

と、間の抜けたことをいいます。親鸞聖人が異訳経を至る所で引いておられることを何も知らないのですから、お目出度い限りです。
18願の「十方衆生」は「唯除五逆誹謗正法」と一対で、対機から洩れる者のないことを表現されていると、親鸞聖人が仰ったことを、前回述べました。
では19願の「十方衆生」についてはどうかといえば、「唯除五逆誹謗正法」がないのですから、洩れている者があるということです。これは、異訳経を出さなくても、明白な事実です。親鸞聖人が、そう仰っているのですから、異訳経云々以前の問題です。
ただし、それでも屁理屈を言い続ける親鸞会のために、参考として異訳経の『平等覚経』『大阿弥陀経』を見れば、その事実がより一層明白になるだけのことです。

『大無量寿経』18願の「十方衆生
=『平等覚経』17願の「諸天人民蠕動之類者
=『大阿弥陀経』4願の「諸天人民蜎飛蠕動之類
諸々の神々や人々や虫の類

『大無量寿経』19願の「十方衆生
=『平等覚経』18願の「諸佛國人民有作菩薩道者
=『大阿弥陀経』7願の「八方上下無央數佛國諸天人民若善男子善女人有作菩薩道
諸々の仏国土の菩薩の行を行う者

『平等覚経』『大阿弥陀経』に共通する「作菩薩道」は、そのまま『教行信証』化土巻・要門釈

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

と直結します。外道から聖道門に入って聖道門の修行(菩薩道)をなしても、さとりの開けない人のために、釈尊は定散二善を説かれ、阿弥陀仏は19願を建てられた、との仰せです。

菩薩道の歩めない悪人に、19願が関係あるという親鸞会の邪義を、真実の教である『大無量寿経』でも、異訳経でも、親鸞聖人の仰せである要門釈でも、論破されているのです。

法然上人の仰せをまとめられた『西方指南抄』(親鸞聖人御真蹟)には

第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏の願に帰せしむと也。

とあります。「諸行之人」です。悪人のことではありません。

無教学の親鸞会がどんなに頑張ってみたところで、親鸞会の邪義は邪義としか証明されないのです。

ほんの少し勉強すれば、この程度のことは容易に判ることですが、高森会長はほんの少しも勉強していないから判らないのです。

|

« 「十方衆生」の意味 | トップページ | 信罪福心が少しでもあるなら、会員は「高森学徒常訓」の唱和を »

コメント

沈黙するというのは、大変卑怯な行為と気づかない
のでしょうか。それとも都合が悪いと沈黙せよと、
教えられているのでしょうか?

投稿: | 2012年4月27日 (金) 20時40分

名無し 様

答えることができないから沈黙せざるを得ない、というのが正しいでしょう。
もちろん、都合が悪いからです。

投稿: 飛雲 | 2012年5月 1日 (火) 21時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「十方衆生」の意味 | トップページ | 信罪福心が少しでもあるなら、会員は「高森学徒常訓」の唱和を »