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2012年4月 1日 (日)

超高学歴の幼稚思考の典型例

特専部員らしき人物の書いているブログがあります。高森邪義を書いているのですが、それに反論された方が、コメント欄で教えてくださいました。

内容は定散二善、19願についてのことです。高森邪義について

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

と親鸞会にも提示してきました。この5番目までは説明をしてきましたので、次の6番目ですが、7番目についても重なる内容ですし、この特専部員らしき人物のブログとも関係しますので、まとめて説明します。

このコメントされた方の主張は明快です。

1.親鸞聖人は、19願及び定散二善を、聖道門を断念した人を浄土門に導くためのものだと教えられている。

2.聖道門を断念して19願及び定散二善を実践する人のことを定散諸機といわれる。

3.定散諸機と逆悪の機は別である。

4.法然上人も親鸞聖人も蓮如上人も、逆悪の機の立場で教えを説かれ、逆悪の機には19願及び定散二善は無関係であると仰った。

特専部員らしき人物は、プライドだけは相当に高いようで、間違いを指摘されても詭弁で誤魔化すのみです。親鸞会講師部員・幹部会員にも共通する、超エリート意識があるのでしょう。
しかし、やはり根拠は全く出せません。ないのですから、当たり前です。
超高学歴の幼稚思考の典型例です。
丁度2年前にmixi上で法論した内容と同じですので、親鸞会側がどんなに足掻いても、法論に勝つことはできないです。

この方の言われる

1.親鸞聖人は、19願及び定散二善を、聖道門を断念した人を浄土門に導くためのものだと教えられている。

ですが、これは『教行信証』化土巻・要門釈のお言葉で、mixiでこうへい氏が大恥をかいた根拠です。

然るに濁世の群萌、穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり。
偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し。ここを以て釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発して普く諸有海を化したまう。

(現代語訳)

さて、五濁の世の人々、煩悩に汚れた人々が、九十五種のよこしまな教えを今離れて、仏教のさまざまな法門に入ったといっても、教えにかなった真実のものははなはだ少なく、虚偽のものははなはだ多い。
このようなわけで、釈尊は、さまざまな善を修めて浄土に往生する福徳蔵と呼ばれる教えを説いて多くの人々を誘い入れ、阿弥陀仏は、そのもととなる誓願をおこして広く迷いの人々を導いてくださるのである。

です。
19願と定散二善は、前半を読まれれば判る通り、「半満・権実の法門」つまり聖道門の修行に行き詰まった人を導くためのものであると親鸞聖人ははっきり仰っています。
ところが、昨年3月号の『顕真』ではこれを次のように曲解していました。

苦悩が絶えず、迷い深き人類は、数知れぬ外道邪教を逃れて、ようやく仏教にたどり着いても、因果の道理を信じて光に向かう者は、ほとんどなく無きに等しい。
内心は、みな外道に汚染され、善の勧めさえ非難する輩ばかりである。
悲しいこの人間の実態を見られた釈迦は、阿弥陀仏の十九願(福徳蔵)を『観無量寿経』一巻に集中して説き明かし、十方衆生にすべての善を勧められ、なんとか阿弥陀仏の十八願(絶対の幸福)まで導かんとご苦労なされたのである。

2年前は無知で、こうへい氏は間違えたのですが、1年前はmixiでの大惨敗の経験から、トンデモ曲解をしたのです。
専門的になりますが、一応「半満・権実の法門」について解説しておきます。

半満」とは、半字教と満字教のことです。『涅槃経』に、子供に文字を教える時に、最初は半字を教えて、後で満字を教えるということから、釈尊もお弟子に半字教から満字教を教えていかれた、とあります。ここで、半字教は小乗教、満字教は大乗教という意味になります。
権実」とは、権教と実教のことです。大乗教聖道門の中で、権仮方便の教えと真実の教えとがあるということです。
半満・権実」は、二双四重の教判でいえば、竪出・竪超のことです。
『教行信証』化土巻

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。

(現代語訳)

 総じて釈尊が説かれた教えの中で、この世界で聖者となってさとりを得るのを聖道門といい、難行道という。この聖道門の中に、大乗と小乗、漸教と頓教、一乗と二乗と三乗、権教と実教、顕教と密教、竪出と竪超がある。これらはすべて自力の教えであり、衆生を真実に導くための、仮の手だてとして説かれた教えである。

あり、この「半満・権実」が「大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超」です。

『愚禿鈔』では

一には大乗の教、二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
 一には頓教、        二には漸教なり。

難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。

難行道 聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。

小乗教について、二教あり。
 一には縁覚教    一に麟喩独覚、二に部行独覚。
 二には声聞教なり。 初果・預流向、第二果・一来向、第三果・不還向、
           第四果・阿羅漢向、八輩なり。

にあたります。

権実」の「」というと18願が実と思われるかもしれませんが、「難行聖道の実教」を指しています。従って、「半満・権実」で、聖道門のことを総称して仰っているのです。

仏語の意味も知らない、古文の文法も知らない集団には、難しすぎる話であると思います。

なお、当ブログを勉強されて、講師部員に法論を申し込まれる方が時々ありますが、討論に相当の自信がなければ、直接会っての法論は避けられた方が賢明です。講師部員は、詭弁に関しては一流ですから、詭弁に即答できず、言い負かされることもあるようです。
もし法論をされるのであれば、メールやブログ等の文章でやり取りされることをお勧めします。詭弁は、落ち着いて考えれば、論破することは難しくないです。

法論をして反論に困るようなことがあれば、仰ってください。私が反論文を考えますので。

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