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2012年3月 6日 (火)

仏及び仏の化身方の仰せと、高森会長の主張との違い

高森会長は、「阿弥陀仏に救われたワシが根拠だ、黙って従え!」という傾向がだんだん強くなってきています。3年前程までは、聖教上の根拠を出すことで、自分の主張の正しさを演出していたのに、そのトリックが暴かれたからでしょう。2年前程からは『真宗聖典』を読むことさえも禁じているのですから、酷いものです。

さて、間違いない根拠とは、仏方のお言葉です。「教と仏語」の正しい意味を前回書きましたが、会員は納得できないかもしれません。高森邪義が染み込んでいると、真っ直ぐな木までが酷く曲がって見えるのです。

簡単に説明すると

『大無量寿経』の下輩では、善を勧めずに念仏だけを勧められています。
『観無量寿経』の下品でも、やはり善を勧めずに念仏だけを勧められています。
『阿弥陀経』では、念仏しか勧められていません。

です。経典以外で仏方のお言葉を挙げるとすれば、仏の化身とされる方々のお言葉になります。

蓮如上人が『御一代記聞書』

存覚は大勢至の化身なりと[云々]。しかるに『六要鈔』には三心の字訓そのほか、「勘得せず」とあそばし、「聖人の宏才仰ぐべし」と候ふ。権化にて候へども、聖人の御作分をかくのごとくあそばし候ふ。まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。かやうのことが名誉にて御入り候ふと[云々]。

存覚御辞世の御詠にいはく、「いまははや一夜の夢となりにけり 往来あまたのかりのやどやど」。この言を蓮如上人仰せられ候ふと[云々]。さては釈迦の化身なり、往来娑婆の心なりと[云々]。わが身にかけてこころえば、六道輪廻めぐりめぐりて、いま臨終の夕、さとりをひらくべしといふ心なりと[云々]。

とまで仰って大変尊敬されていたのが存覚上人です。「大勢至の化身」「釈迦の化身」の御著書『持名鈔』

薬をもつて病を治するに、かろき 病をばかろき薬をもつてつくろひ、おもき病をばおもき薬をもつていやす。病をしりて薬をほどこす、これを良医となづく。如来はすなはち良医のごとし。機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。
これすなはち、戒行もまつたく、智慧もあらんひとは、たとへば病あさきひとのごとし。かからんひとをば諸行のちからにてもたすけつべし。智慧もなく悪業ふかき末世の凡夫は、たとへば病おもきもののごとし。これをば弥陀の名号のちからにあらずしてはすくふべきにあらず。かるがゆゑに罪悪の衆生のたすかる法ときくに、法のちからのすぐれたるほどは、ことにしらるるなり。
されば『選択集』のなかに、「極悪最下の人のために、しかも極善最上の法を説く。例せば、かの無明淵源の病は中道府蔵の薬にあらざればすなはち治することあたはざるがごとし。いまこの五逆は重病の淵源なり。またこの念仏は霊薬の府蔵なり。この薬にあらずは、なんぞこの病を治せん」といへるは、このこころなり。

と教えられています。

上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ」のが「良医」たる仏方です。
善人には善を授け、悪人には念仏1つを勧められた、ということで、その理由は「智慧もなく悪業ふかき末世の凡夫」は、「弥陀の名号のちからにあらずしてはすくふべきにあらず」であるからです。
法然上人はそれを「極悪最下の人のために、しかも極善最上の法を説く」と仰っています。

ちなみに、親鸞聖人は法然上人のことを阿弥陀仏の化身、勢至菩薩の化身と仰っています。法然上人御自身もお亡くなりになられる際に、これで三度目の往生だ、と仰ったと伝えられていて、そのことを親鸞聖人も『高僧和讃』

命終その期ちかづきて
 本師源空のたまはく
 往生みたびになりぬるに
 このたびことにとげやすし

と仰っています。

また、源信僧都はもともと仏であったのを衆生済度のために、人間として現れられたと伝えられています。これも『高僧和讃』

源信和尚ののたまはく
 われこれ 故仏とあらはれて
 化縁すでにつきぬれば
 本土にかへるとしめしけり

と仰っています。

その源信僧都は『往生要集』

極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得

と仰っています。

釈尊、諸仏とその化身と目される方々が仰っていることは、

悪人には念仏だけを勧められている

ということです。悪人に善を勧めるというのは、道理にも反するのです。重病人に運動を勧めてどうするのでしょうか?
泳げずに溺れて苦しんでいる者に、泳げという無慈悲な仏がありますか?
動けない重病人に、本心では動けると自惚れている筈だから運動してみよ、と運動を強要し、溺れている者に、本心では泳げると自惚れている筈だから泳いでみよ、と迫るのは、まさにカルト教でしょう。

自分は動けない、泳げない、善人ではないと思うなら、最初から最後まで18願他力念仏だけなのです。当たり前のことです。

阿弥陀仏との仲介人を装って、マージンだけを受け取って、阿弥陀仏から遠ざけている人物をまだ信用するのですか?

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コメント

真宗聖典の拝読禁止は、本当なのですか?

投稿: YGM | 2012年3月 6日 (火) 08時28分

ソースは? 自分は聞いたことなかったな。

投稿: A | 2012年3月 6日 (火) 12時45分

YGM 様
A 様

本当のようです。
当時会員だった方から聞いていますし、過去のエントリー

「往生をば遂ぐる」のは私のことだから機の深信である???
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-174b.html

にも書きました。
当時、ネット上では話題になりました。

投稿: 飛雲 | 2012年3月 6日 (火) 17時50分

うーん。聞いたことないな。問題はむしろそんなものあってもなくても誰も真宗聖典を読もうとしないところにあると思いますね。

投稿: A | 2012年3月 6日 (火) 21時22分

A 様

そうですか。指示も二転三転しますし、担当講師によっても、言い方が違うのかもしれません。
何か情報があれば、教えてください。

投稿: 飛雲 | 2012年3月 6日 (火) 21時40分

昔から聖典を読ませない指導はしてましたね
勝手に自分で解釈するといけないからとか難しいからという理由でですが
当然それは建前で、知られては面白くない部分があるために隠していたんだと思います
でもそれほど強い指導ではなかったと思います
禁を破って読んでみたとき書いてあることが違うので会に対する疑いが芽生えました

投稿: | 2012年3月 6日 (火) 23時54分

なるほど、七祖の聖教を読もうとしている会員に対して講師たちが
「それを読む前に高森先生がわかりやすくかいておられるご著書を拝読したらどうかな」
といって七祖の聖教を読むのを牽制するのは想像できますね。

投稿: YGM | 2012年3月 7日 (水) 08時26分

YGM 様

七祖聖教だけではないです。三部経、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書かれたものも、親鸞会発行のもの以外すべてです。

投稿: 飛雲 | 2012年3月 7日 (水) 22時06分

秘密コメントのようなものってできますか?

投稿: 秘密 | 2012年3月 7日 (水) 22時17分

秘密 様

そのような設定がないようですので、hiuns@livedoor.comにメールをください。

投稿: 飛雲 | 2012年3月 8日 (木) 07時04分

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