「末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便」とは、善巧方便
全国に会館を建てまくり、新聞広告を出しまくり、それらに実際に掛った金額以上のお金を会員から集めようと必死になっているようで、集金マシーンと化した講師部員の疲弊は想像以上のようです。
善の勧めならぬ、献金の勧めに、会員もうんざりしています。
今でも、こんな愚かなことを講師部員は言っています。
蓮如上人も「人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。」と仰って、善を勧められているではないか。
聖教に善と有ったら、何でも善を勧められたものと無茶苦茶な理屈です。この御文は『御文章』4帖目第3通にありますが、前後を読めば断章取義と判ります。
それ、当時世上の体たらく、いつのころにか落居すべきともおぼえはんべらざる風情なり。しかるあひだ、諸国往来の通路にいたるまでも、たやすからざる時分なれば、仏法・世法につけても千万迷惑のをりふしなり。これによりて、あるいは霊仏・霊社参詣の諸人もなし。これにつけても、人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり。
しかるに今の世も末法濁乱とはいひながら、ここに阿弥陀如来の他力本願は今の時節はいよいよ不可思議にさかりなり。さればこの広大の悲願にすがりて、在家止住の輩においては、一念の信心をとりて法性常楽の浄刹に往生せずは、まことにもつて宝の山にいりて手をむなしくしてかへらんに似たるものか。よくよくこころをしづめてこれを案ずべし。
(現代語訳 浅井成海監修『蓮如の手紙』より)
そもそも、今の世の戦乱のありさまは、いつ落ち着くとも思われない様子です。そのため、国々を行き来する道にいたるまでも容易に通行のかなわない時世ですから、仏法においても、世俗の事柄においても、何をどのようにしてよいか困惑します。このゆえに、あるいは霊験あらたかな寺院・神社へ参詣する人びともおりません。
これについけても、人はみな、誰がいつ死ぬやら定めのないものであると聞いているからには、急いで、どんな善行をもおさめ、また、さとりや涅槃をも願うべきなのです。しかしながら、今の世は末世の乱れた世であるとはいうものの、阿弥陀如来の本願は、この時世において、不思議にもますます盛んです。
ですから、在家の生活を送る人びとは、如来のこの広大なる慈悲の誓願におまかせし、疑いなく阿弥陀さまの仰せに従う信心をいただいて、完全なさとりの世界、すなわち極楽に往生しなければなりません。そうでなければ、まさに、宝の山に入っておいて、空手で帰ってくるようなものではありませんか。くれぐれもよく心を静めてこれを考えてください。
と教えておられます。これは、前半が神道と聖道門について、後半が浄土門18願について仰ったものです。聖道門では、「人間は老少不定ときくときは、いそぎいかなる功徳善根をも修し、いかなる菩提涅槃をもねがふべきことなり」である筈なのに、現状は「霊仏・霊社参詣の諸人もなし」と仰っただけです。それと比較して蓮如上人が。「末法濁乱」の時期にあっては、「ここに阿弥陀如来の他力本願は今の時節はいよいよ不可思議にさかりなり。」と説かれているのです。善を勧められたお言葉ではなく、18願を勧められただけなのですが、そんなことも理解できないとは、情けない限りです。
そしてこの後に、前回述べた王舎城での善巧方便について蓮如上人は教えておられます。
これによりて、むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。
このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。これすなはち末代の五逆・女人に安養の往生をねがはしめんがための方便に、釈迦、韋提・調達・闍世の五逆をつくりて、かかる機なれども、不思議の本願に帰すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりとしらせたまへりとしるべし。
(現代語訳 浅井成海監修『蓮如の手紙』より)
さて、昔、お釈迦さまが霊鷲山にいらっしゃって、一乗の教えと讃えられる『法華経』をお説きになっていたときに、提婆が阿闍世をそそのかして、親殺しの罪を犯させるという事件が起こりました。
そこでお釈迦さまは、もったいなくも、霊鷲山での『法華経』の説法の座を立たれて、王宮へおいでになり、韋提希夫人が極楽を願うようにされました。こうして、お釈迦さまが韋提希夫人のために浄土の教えをひろめられたので、阿弥陀さまの本願が今の時代に盛んとなったわけです。そして、このために、『法華経』と『観無量寿経』のお念仏とは同じときに説かれた教えであるといわれています。
これはとりもなおさず、末世の五逆の悪人と女性に、極楽への往生を願わせるための手だてとして、釈迦、韋提・提婆・阿闍世が力を合わせて、五逆の罪を犯すというドラマを作りあげたものと考えられます。そして、このような罪の深い者であっても、人知では思いはかることのできぬ阿弥陀如来の本願に帰依すれば、かならず極楽への往生をとげることができるのだ、とお知らせくださったのである――とお受け入れください。
末世の極悪人に、報土往生を願わせるための善巧方便が、王舎城でのドラマであったということです。韋提希も、更には五逆罪を造った阿闍世も、、阿弥陀仏の18願によって、実際に救われることを身を以て示して下されているのです。
五逆、謗法の者でも救われることは、韋提希、阿闍世を通してしか知ることができません。
このような阿弥陀仏、釈尊、還相の菩薩方の善巧方便によって、真実信心を明らかにして下されていると、蓮如上人は仰っているのです。
蓮如上人は「釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき」とわざわざ入れておられます。ここで聖道門との関係を教えられています。
『観無量寿経』には
そのとき世尊、耆闍崛山にましまして、韋提希の心の所念を知ろしめして、すなはち大目犍連および阿難に勅して、空より来らしめ、仏、耆闍崛山より没して王宮に出でたまふ。
(現代語訳)
釈尊は耆闍崛山にあって韋提希の思いをお知りになり、ただちに目連と阿難のふたりに命じて王宮に飛んでいかせ、またご自身も耆闍崛山からその姿を消して王宮にお出ましになったのである。
とあることを蓮如上人は「かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて」と表現なされています。
また『観無量寿経』は韋提希のいる牢と霊鷲山(耆闍崛山)とで2回説かれています。
そのときに世尊、足虚空を歩みて耆闍崛山に還りたまふ。そのときに阿難、広く大衆のために、上のごときの事を説く
(現代語訳)
こうして釈尊は大空を歩んで耆闍崛山にお帰りになり、阿難は山上で、そこに集うすべてのもののために、この釈尊の教えを説き聞かせた。
王舎城で釈尊が説かれたことを、阿難が再度霊鷲山で説いたということです。それを蓮如上人は、「法華と念仏と同時の教」と表現なされています。
定散二善が、『法華経』を聞いていた聴衆のためにも説かれたことも判ります。「韋提・調達・闍世の五逆をつくりて、かかる機」に対して、定散二善を勧められているなど、どこをどう読んでもそんな解釈にはなりません。
高森会長を筆頭とする親鸞会では聖教を総合的に読みこなす能力がない上に、組織維持のために何としても、お金を集めなければなりませんので、聖教に何が書いてあろうが関係ないのでしょうけど。
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