解釈も信心も基準は親鸞聖人であって、私ではない
現会員に親鸞会の教えの間違いについて話をするとよく言われるのが、
「それはあなたの解釈でしょ」
です。その時に私はいつもこう答えます。
「私の解釈ではありません、親鸞聖人の解釈です」
私は、自分の解釈を述べているつもりはありません。親鸞聖人を初めとして、善知識方の御文と、経典をできるだけ多く挙げて、素直にそのまま説明をしているだけで、特別な解釈をしているつもりはないです。もちろん、私の勘違いなどもあるかもしれませんので、その時は御指摘頂ければ結構です。
親鸞聖人の教えを信奉するものとして、これは当然の姿勢と思っています。
30年前に親鸞会が本願寺と論争した際に掲げたのが
これが論争点
親鸞聖人のみ教えに善のすすめは
本願寺 ない
親鸞会 ある
でしたが、これこそが間違った姿勢です。
私は10項目を以下のように提示しています。
1.獲信していない人の死後はどうなるか
親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間2.五逆罪・謗法罪について
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている3.善人と悪人について
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である4.獲信のために善は必要か
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ7.19願について
親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ
8.宿善について
親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない9.機の深信について
親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる10.善知識に無条件服従しなければならないか
親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ
常に、親鸞聖人と高森会長との違いでしか話をしていません。私と高森会長の解釈の違いではないのです。
信心についても同様です。
私の信心が正しい、親鸞会の言っている信心が間違いだ
と私を基準にして信心を語ったことは一度もありませんが、そのように誤解している人もあるようですし、質問も頂いておりますので、少し説明しておきます。
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。
とあるのは、有名ですが、この意味について親鸞聖人のお言葉として『執持鈔』で詳しく解説なされています。
往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。
さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。故聖人[黒谷源空聖人の御ことばなり]の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」と、たしかにうけたまはりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。このたびもし善知識にあひたてまつらずは、われら凡夫かならず地獄におつべし。しかるにいま聖人(源空)の御化導にあづかりて、弥陀の本願をきき摂取不捨のことわりをむねにをさめ、生死のはなれがたきをはなれ、浄土の生れがたきを一定と期すること、さらにわたくしのちからにあらず。たとひ弥陀の仏智に帰して念仏するが地獄の業たるを、いつはりて往生浄土の業因ぞと聖人授けたまふにすかされまゐらせて、われ地獄におつといふとも、さらにくやしむおもひあるべからず。
そのゆゑは、明師にあひたてまつらでやみなましかば、決定悪道へゆくべかりつる身なるがゆゑにとなり。しかるに善知識にすかされたてまつりて悪道へゆかば、ひとりゆくべからず、師とともにおつべし。さればただ地獄なりといふとも、故聖人のわたらせたまふところへまゐらんとおもひかためたれば、善悪の生所、わたくしの定むるところにあらずといふなりと。これ自力をすてて他力に帰するすがたなり。
少し長いですが、これまでに何度も述べてきましたので、詳しくは以下をご参照ください。
他力の信心とは
- 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし
- われとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず
- 善悪の生所、わたくしの定むるところにあらず
であり、
- 源空があらんところへゆかんとおもはるべし
- たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり
- 善知識にすかされたてまつりて悪道へゆかば、ひとりゆくべからず、師とともにおつべし
なのです。
簡単に言えば、
死後行くところもすべて阿弥陀仏にお任せしている
であり、我々と親鸞聖人との関係でいえば、
親鸞聖人の行かれる所へ一緒に行くだけ
ということです。
解釈においても、信心においても、「私の」というものはないのです。
従って、他宗、他教の人に対して、教えや信心がどうこういうことはできないのです。
なぜなら基準が親鸞聖人なのですから。
浄土真宗を名乗り、親鸞聖人の教えを伝えると公言しているのであれば、必ず、
親鸞聖人と解釈が同じ、親鸞聖人と信心が同じ
ということにしかならないのです。
私はこれで終始一貫しています。
体験発表のように共感を呼ぶような内容も、書くつもりはありません。親鸞聖人の教えも信心も、感情に訴えるものではないからです。
高森会長も口ではこのように言っていますが、実際は高森会長の解釈であり、高森会長の信心でしかないのです。
高森会長は、根拠に基づいて論理的に話をしている筈ですので、こちらも、根拠に基づいて論理的に親鸞聖人の教えと信心とは違っていると述べているに過ぎません。親鸞聖人と異なっていても自分は高森会長を信じる、という人には何を言っても無駄でしょうが、親鸞聖人を信じているなら、御理解頂ける内容のつもりです。
もし、親鸞会が、浄土真宗とも親鸞聖人とも無関係と公言したならば、親鸞会の教えが間違っている、信心が間違っているとは言いません。何度も言っている通りです。
ところがこれが理解できない人が現会員だけでなく、他にもいらっしゃるようですので、念のため、述べておきます。
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コメント
会長はその正しく解釈する能力自体がなく自分主導の説を教えてますからね。
親鸞聖人の教えは断章取義によって自己正当化に利用するのみ。
会長はもし飛雲さんなどの指摘により自分の説は違うと分かったら親鸞聖人の教えは
自分の教えと違う、もしくは間違っていると堂々と言うべきですね。現に違うのだから何の不足もありません。
そうして親鸞や浄土真宗など看板に掲げず自分が開祖となり勝手に新宗教を作ればいいんです。
できないならば今までやってきたことは全て真宗を騙った詐欺です。
投稿: | 2012年2月10日 (金) 19時17分
会をやめても会の誤った考え方を引き摺ってしまう人がいるとしたら残念なことです。
それほど素直な心を破壊されて言葉や事実をそのまま受け取れなくなっているのですね。
「飛雲」までたどり着いたら洗脳から脱して欲しいし、出来ると思います。
投稿: | 2012年2月10日 (金) 21時12分
前の名無し 様
高森会長は、親鸞聖人との決別を早くすべきでしょう。そうすれば、これほどの非難を受けることはなくなるでしょう。反社会性についての非難はなくならないでしょうが。
後の名無し 様
親鸞会でいろいろと歪められると、元に戻すことは並大抵のことではありません。私も人生の半分以上を親鸞会で費やしてきましたが、幸いにも私は教義以外のところでは疑問を持ち続けていたので、マインドコントロールが深刻ではなかったようです。
教義の間違いに気が付くことで、マインドコントロールから早く解放されるものと思います。
投稿: 飛雲 | 2012年2月10日 (金) 21時39分
元講師部員でも、親鸞会のマインドコントロールが抜けていない人が何人かいますね。
そんな状態で布教してても、マインドコントロールの解けた退会者は白けて見てますよ。
どうして高森会長をいつまでも引き摺っているのでしょうか?
新たな会を作ろうが、既成教団に入ろうが構いませんが、高森会長の説いてきたことを
会員に伝えて被害者を出してきた責任があることを忘れてしまったのか、
自分には責任がないとでも思っているのか?
オウムでも元凶は麻原ですが、麻原の指示で動いた幹部も死刑になっています。
同じではないですか?
麻原を批判しても、罪は軽減されませんでした。
高森会長を非難したくらいで、贖罪したとでも思っているのでしょうか?
布教する前に、高森会長の教えのどこがどう間違っているのか自ら証明しなければ
ならないのじゃないですか?
他人が証明してくれたからそれで十分だと思って、安易に布教を始めると、また第二第三の
親鸞会を生み出すだけですよ。
投稿: 元講師部員で布教している方へ | 2012年2月11日 (土) 17時31分
元講師部員で布教している方へ 様
いろいろの人がいますから。
投稿: 飛雲 | 2012年2月11日 (土) 21時06分