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2012年2月24日 (金)

親鸞聖人が善巧方便と仰っている内容

『教行信証』信巻の最初に善巧方便について仰った後、その善巧方便の具体的な内容が信巻で教えられています。それは、阿闍世の回心についてです。
『教行信証』を読んだことのある人なら判りますが、『涅槃経』で説かれている阿闍世のことが信巻に長々と引かれています。それは、『教行信証』全体の1割も使っています。
親鸞聖人がそこまでして伝えられたかったことは、五逆罪を造ったものでも救われることを経典上で証明されるためでした。

また『観無量寿経』に説かれている内容について親鸞聖人は『浄土和讃』観経讃

弥陀・釈迦方便して
 阿難・目連・富楼那・韋提
 達多・闍王・頻婆娑羅
 耆婆・月光・行雨等

(現代語訳)

『観経』は、 阿弥陀如来と釈迦如来が私たちを救う手だてとして説かれた教典である。 如来のすくいの手だて、 方便として浄土から現れてくださった方々は、 阿難尊者、 目連尊者、 富楼那尊者、 韋提希夫人、 提婆達多、 阿闍世王、 頻婆娑羅王、 耆婆大臣、 月光大臣、 行雨大臣等である。

大聖おのおのもろともに
 凡愚底下のつみひとを
 逆悪もらさぬ誓願に
 方便引入せしめけり

(現代語訳)

韋提希夫人や阿闍世王のほか、 阿難や月光、 行雨等、 王舎城の悲劇に関係した人びとは、本来、 皆浄土の大聖者であった。 その聖者方がおのおの善人となり悪人となり、 王となり妃となり、 一緒になって愚かな凡夫、 生死の大海の底に沈んでいる罪人を、 十悪、 五逆の罪人ももらさず第十八願に導き入れてくださった。

と仰っています。
この『観無量寿経』『涅槃経』に説かれた王舎城の物語を『教行信証』総序

しかればすなはち浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまへり。これすなはち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。

(現代語訳)

ここに、浄土の教えを説き明かす機縁が熟し、提婆達多が阿闍世をそそのかして頻婆娑羅王を害させたのである。そして、浄土往生の行を修める正機が明らかになり、釈尊が韋提希をお導きになって阿弥陀仏の浄土を願わせたのである。これは菩薩がたが仮のすがたをとって、苦しみ悩むすべての人々を救おうとされたのであり、また如来が慈悲の心から、五逆の罪を犯すものや仏の教えを謗るものや一闡提のものを救おうとお思いになったのである。

と仰っています。
つまり、王舎城の登場人物は、還相の菩薩方であり、これらの方々が演じられたドラマが善巧方便、と親鸞聖人は仰っているのです。

『涅槃経』に説かれた阿闍世の物語を引かれた後、親鸞聖人は信巻

それ諸大乗によるに、難化の機を説けり。いま『大経』には「唯除五逆誹謗正法」といひ、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人」(如来会・上)とのたまへり。『観経』には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかんが思量せんや。

(現代語訳)

さて、さまざまな大乗の教典によると、救われがたい人々について説かれている。いま『無量寿経』には、「ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を謗るものだけは除かれる」と説かれ、『如来会』には、「ただし、無間地獄に堕ちるような悪い行いの罪をつくったり、正しい法および聖者たちを謗るものだけは除かれる」と説かれている。また『観無量寿経』には、五逆のものの往生は説かれているが、謗法のものについては説かれていない。『涅槃経』には、治しがたい病の人々とその病とが説かれている。これらの仏の教えについて、どのように考えたらよいであろうか。

と自問しておられます。

これは、18願だけでは五逆、謗法のものが救われないという解釈になってしまうのですが、『観無量寿経』下品下生に説かれた五逆の者の救いが説かれてありますので、結局五逆の者は救われるのかどうか、謗法の者は救われるのか、という自問です。

この回答は、『涅槃経』によって実際に父殺しの五逆罪を犯した阿闍世が、現実に救われたことですので、『観無量寿経』と『涅槃経』によらなければ、五逆のものの救われることを経典上では証明できないのです。真実の教である『大無量寿経』だけでは、十方衆生漏れなく救われることを証明できないので、王舎城の物語は、五逆の罪人でも救われることを証明されるために、還相の菩薩方が演じられたドラマであると親鸞聖人は考えられたのです。これを善巧方便、と親鸞聖人は仰っているのです。

それが19願・20願が善巧方便だなどと、何を寝とぼけたことを言っているのかというのです。

親鸞聖人はこの自問の結論として『尊号真像銘文』

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

と仰っています。18願に「唯除五逆誹謗正法」とあるから、救いから漏れている者がいないのだと仰っているのです。

真実と善巧方便との関係は、真実とその救いを理解する智慧のない我らに、真実とその救いとはどういうことかを認識できる形にして下されたものを善巧方便というのです。

たとえば、方便法身とは、色も形もない法性法身を我らでも認識できる形となって現われてくだされたものです。

龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』にある

問ひていはく、
(中略)
このゆゑに、もし諸仏の所説に、易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得る方便あらば、願はくはためにこれを説きたまへと。

答へていはく、
(中略)
もし易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得るありやといふは、これすなはち怯弱下劣の言なり。これ大人志幹の説にあらず。なんぢ、もしかならずこの方便を聞かんと欲せば、いままさにこれを説くべし。

仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。

の「方便」「信方便易行」は、後の御文を読めば判りますが、18願他力念仏のことをさしています。これが善巧方便です。当たり前のことですが、19願自力修善のことではありません。

真宗学など全く知らないでいるから、大嘘をついても恥ずかしいとも思わないのでしょう。

高森会長が何百年に一人の善知識か、何百年に一人の悪知識か、言うまでもないことです。

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コメント

いつも読ませて頂いています。
有り難うございます。

私のブログにリンクを貼らせて頂きました。
今後とも宜しくお願い致します。

親鸞会邪義を破る
http://adgkph.blog.fc2.com/

投稿: シャンティ | 2012年2月26日 (日) 14時51分

シャンティ 様

リンクを張っておきました。
こちらこそ、よろしくお願いします。

投稿: 飛雲 | 2012年2月26日 (日) 21時03分

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