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2012年2月22日 (水)

悪意に満ち溢れた曲解

今月の2000畳での法話と座談会は、雪で中止になっています。インフルエンザで中止になった年もありましたし、ここ最近は、富山まで無理に来させず、地元で多くの会員の参詣を促して法礼をより多く集め、富山に行く予定だった会員の交通費を献金に回させる方針が顕著になってきました。
あんしん弁当を強制的に全国に配ったりもしていますし、資金繰りに苦労しているのは、会員でも感じています。

そんな事情もあり、親鸞会は会員に献金を促す教えを徹底することに、必死なようです。2月15日号の顕正新聞に善巧方便のことが書かれていました。

 弥陀の善巧方便とは19願、20願であり、釈迦の善巧方便とは『観無量寿経』『阿弥陀経』の教えである。

大嘘です。これだけ、方便の間違いを指摘されながら、会員を騙すための刷り込みです。悪意に満ち溢れた内容です。

これまでにも方便については、何度も何度も詳しく述べてきました。
方便には善巧方便と権仮方便とがあります。善巧方便とは、随自意の法門のことです。権仮方便とは、随他意の法門のことです。随自意、随他意は、『教学聖典』(7)にもあります。


阿弥陀如来の十八・十九・二十の三願に、「随自意の願」と「随他意の願」があるが、その意味と、違いを示せ。

○十八願―随自意の願
     (阿弥陀仏が本心を誓われた願)
○十九願┐
○二十願┘随他意の願
     (本心ではないが、導くために、衆生の心に従って建てられた願)

説明は引っかかるところがありますが、18願を随自意の願、19願・20願を随他意の願としているこころは合っています。従って顕正新聞を正しく書き換えるなら

 弥陀の権仮方便とは19願、20願であり、釈迦の権仮方便とは『観無量寿経』『阿弥陀経』の教えである。

となります。権仮方便は捨てものですが、善巧方便は捨てものではありません。捨てものの権仮方便を善巧方便とすり替えることで、会員に金集め、人集めを強要しようとするものです。極めて悪質な手口です。

善巧方便と権仮方便は、そんな意味ではない

と、根拠もなく反発する会員もあるでしょうから、証拠をお見せしましょう。

善巧方便について、親鸞聖人は『教行信証』の何巻で教えられているか御存知でしょうか?18願について解説なされた信巻です。信巻の一番最初にある別序

真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。

と仰っていまして、「権仮より顕彰せり」ではありません。18願を説明する前に、「善巧より顕彰せり」となされていますので、これは真実18願のことです。

一方、権仮方便は何巻で教えられているでしょうか?そう、化土巻です。

これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。

ついでに『浄土和讃』大経讃には

念仏成仏これ真宗
 万行諸善これ仮門
 権実真仮をわかずして
 自然の浄土をえぞしらぬ

聖道権仮の方便に
 衆生ひさしくとどまりて
 諸有に流転の身とぞなる
 悲願の一乗帰命せよ

とあります。聖道門と19願を権仮方便、と親鸞聖人は仰っています。どこにも「善巧」とはありません。

まとめると、

善巧方便――随自意――18願――大無量寿経――信巻

権仮方便――随他意――19願――観無量寿経
             └─20願――阿弥陀経――
―化土巻

ということです。

親鸞会の言っていることは、根本的におかしいだけでなく、親鸞会の意図は、如何に会員を騙すか、しかないのです。

その顕著な別の例が、『御一代記聞書』

方便をわろしといふことはあるまじきなり。方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなるよし仰せられ候ふ

です。この「方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし」を

方便からしか真実に入れない

と、高森会長は解説しているのですが、とんでもない歪曲です。

これは法然上人が、『選択本願念仏集』の中で

また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。
(中略)
ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。

と仰ったことと同じことを蓮如上人が教えられただけです。「定散」を「方便」、「念仏」を「真実」と置き換えてみればいいでしょう。

また方便を説くことは、真実の方便に超過したることを顕さんがためなり。もし方便なくは、なんぞ真実のことに秀でたることを顕さんや。
(中略)
ゆゑにいま方便は廃せんがために説き、真実は立せんがために説く。

となります。「方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし」と同じですね。

つまり、蓮如上人のここでの「方便」は権仮方便のことなのです。方便19願修善は真実18願他力念仏を明らかにするためのものであり、真実18願を願っている人には方便19願は廃すべきものでしかない、と蓮如上人が仰って、高森会長の説を完全否定されている根拠です。

自分が古文を読めないからといって、会員も読めない筈だからいくらでも誤魔化せる、と会員を馬鹿にする高森会長が、善知識ですか?人格者ですか?

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コメント

サンスクリット語のウパーヤには到達するという意味があるようだし、方便とは浄土へ到達させるための手段と考えた方がよさそうですね。そうすれば阿弥陀仏の善巧方便は浄土へ生まれさせるための手段となります。
親鸞会では方便という語に仮(権仮)という意味を含ませていますが、そこがひとつの問題点だと思います。

投稿: | 2012年2月22日 (水) 20時56分

名無し 様

方便とは、仰る通り、手段・手だて・方法ということです。
それに、近いところにいる人に対する方便と、遠いところにいる人に対する方便とがあり、近いところにいる人には善巧方便を、遠いところにいる人には善巧方便まで近づけるための権仮方便が必要になるということです。近いところとは、18願での救いを願い求めようという人、遠い人とは、18願での救いを願い求める気のない人(19願諸行往生・聖道門・外道を信じている人)のことです。

投稿: 飛雲 | 2012年2月22日 (水) 21時32分

親鸞会は方便の重要性を強調するのだから、教学聖典に「方便に二種あるが、その名称と意味を記せ」といった問いを載せるべきと思いますが、それはしないでしょうね。会員さんが目覚めて、親鸞聖人の仰せにもとづき始めてはいけませんからね。

投稿: 広島の名無し | 2012年2月22日 (水) 21時48分

方便の願というとこはごまかしようがないけど、権仮方便と説明すると捨てモノとバレちゃうから善巧方便といわなきゃいけない、
「善に向かう心もない私達に、"善"をすすめている如来の"巧"みなお導き(方便)だから善巧方便だ!」とこじつけて来るんでしょうか。
18願は真実の願だ!善巧方便は「方便」だから18願を善巧方便だなんておかしい、とかも言いそうですね。
かくして会員は「善巧方便」たる19願から先に進めず(権仮方便じゃないから19願は捨てものじゃなくなった)、
「地球どこでも行けるチケット」を一生握りしめ続けることになるんでしょうね、何枚あっても困らないでしょ?と言われながら。

投稿: | 2012年2月23日 (木) 09時32分

広島の名無し 様

教学聖典を作成する人物が、方便について知りませんので、その問答も思いつかないでしょう。批判ブログを読んでも、まだ理解できていないと思いますよ。


後の名無し 様

なんかもう、無茶苦茶ですが、仰るような感じかもしれませんね。

投稿: 飛雲 | 2012年2月25日 (土) 21時18分

こんなに酷いのですか…
そこまでして邪説を言い張るなら
「善巧方便についてはよく分かりました。では権仮方便とは何ですか?」
とでも聞き返したくなります。

投稿: | 2012年2月26日 (日) 00時59分

最後の名無し 様

権仮方便なんて、何のことか知りませんよ。

投稿: 飛雲 | 2012年2月26日 (日) 21時02分

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