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2012年1月14日 (土)

おほよそ疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし

親鸞会は真宗の常識がありませんので、会員と話をする時は、真宗学の基礎から説明する必要があります。
親鸞会が、全人類は五逆謗法の者であると主張する根拠の『末灯鈔』は、親鸞聖人が関東の同行に宛てられた手紙をまとめられたものです。ところが、親鸞聖人が関東の同行のことを例外なく謗法の者だ、と仰ったお言葉は『末灯鈔』を含めたお手紙にはありませんし、御著書にももちろんありません。前回のエントリーで解説した内容を踏まえれば、当たり前のことです。

覚如上人も『御伝鈔』

聖人常陸国にして専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし。

と仰っていますが、「疑謗の輩」つまり謗法の者は少なく、「信順の族」つまり謗法でない者が多いということです。

五逆罪については、法然上人は『往生大要鈔』の中で

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰っていますし、『浄土宗大意』にも

五逆をもつくらざるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうべからず。

と仰っています。
法然上人のお言葉を承けて聖覚法印は『唯信鈔』

われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず

と言われているのです。

ここまでくれば、全人類が五逆謗法の者かどうかは、議論に値しないことがお判りいただけると思います。従って親鸞会とは最初から法論にならないのです。高森会長の妄想が根拠ですから、聖教を根拠とした法論は成立しないのです。最近の「安心問答」でのコメントのやり取りを見ても明らかです。

造ってもいない罪業を強調して、必堕無間と脅すのは、真宗でもなければ仏教でもありません。そんな高森会長のために親鸞聖人は『正像末和讃』で次のように仰っています。

罪業もとよりかたちなし
 妄想顛倒のなせるなり
 心性もとよりきよけれど
 この世はまことのひとぞなき

有の見に凝り固まっている高森会長の頭では、罪業は固定不変の形のあるものとしか考えられないのでしょう。しかし罪業に形などなく、罪業も空であるのです。高森会長にはそれがまるで理解できないのです。なぜなら「妄想顛倒」だからです。更には「心性もとよりきよけれど」など、高森会長には到底受け入れられないお言葉でしょう。

兎に角、高森会長が、親鸞聖人の仰ったことと悉く反することを、親鸞聖人の教えと本気で思い込んでいるところもありまして、退会者は皆、呆れ果てています。尤も、最近は高森会長も間違いに気が付いたようで、こっそり修正しようとしていますが、小手先の修正で誤魔化せるレベルではないのです。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

1番目と2番目については、一応解説しておきましたので、次回は3番目について述べる予定です。

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コメント

 親鸞聖人のご法義と高森会長の説との相違点を10項目挙げておられますが、私はこの10項目の中でも9番目の機の深信が最も重要な点ではないかと考えます。彼は機の深信(自力無功)と罪悪観の違いがわからないのか、またはうまく説明できないのでしょう。私は、彼は前者だと思っていますが、何らかの善からぬ意図があって、わざと聞く者が聞き間違えるように説明しているのかもしれません。少なくとも会員時代の私は、彼の話をそのまま信じていました。
 以下は私の推論です(括弧内の番号は相違の番号に対応します)。
 彼の出発点は、信心決定の時に逆謗の屍と必ず知らされる(9)→信心は平等なのだから、すべての人は悪人である(3)、それも極悪人の逆謗の屍である(2)→だから必堕無間である(1)→だが自惚れ強い人間はまず善行をやってみなければ、自分に清浄の心が無いこと、つまり逆謗の屍であることが知らされない(4)(6)(7)→その真実の善ができないことを知らされる道程が白道である(5)、その真実の善ができないこと、自分が逆謗の屍であることを知らされるために行った行業が宿善である(8)、その道は善知識(の方便)無くしては勧めない(10)。
 実際、彼はどう考えているのでしょうね。ただ私が会員であったかなり昔(その頃は宿善を強調して、三願転入の話はなかったです)、先輩会員からも彼の講演でも、無常観と罪悪観をよく聞かされましたが、今では無常観は話していないでしょうね。今でも無常観を話して会員を急かしているなら、会員も彼の話に矛盾があることに気づいてください。十九願からやっていたのでは臨終にはとても間に合いませんよ。まあ私の推論では、最初の出発点である機の深信がそもそも間違っていますが。

投稿: | 2012年1月29日 (日) 16時34分

名無し 様

なかなかの分析力ですね。
しかし、高森会長はそこまで論理的に考える能力がありませんので、単に大沼師の書いていた文章をパクッただけで、大沼師の論理で成り立っていると考えた方がよいように思います。尤も、大沼師の意図とは違うところも多いのですが、それは理解力のなさと私利私欲を満たすための創作も絡んで、無茶苦茶になって、高森会長もどこまでが正しくて、どこまでが大沼師の考えで、どこからが自分の創作か判らなくなっていると思います。

投稿: 飛雲 | 2012年1月29日 (日) 21時12分

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