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2012年1月 1日 (日)

「一切衆生必堕無間」を否定された善知識方

K講師はいつも口先だけで、私に連絡して法論をしようという気など更々ありませんが、他の講師部員も同様です。それどころか、当ブログを読んでいる高森会長も、指を銜えていることしかできません。
高森会長の邪義について2年間に亘ってブログを書き続けてきましたが、最近当ブログを読み始めた方が、すべてのエントリーを読まれることは難しいと思いますので、同じことの繰り返しになりますが、再度まとめて書いていくことにします。

高森会長の邪義として、項目を以下のように列記しています。まず1番目から説明していきます。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

10.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ

獲信していない一般の人の死後はどうなると教えられているかについて、「一切衆生必堕無間」という言葉が経典にも善知識方の御著書にもないことは、誰しも認めるところです。

ではどのように教えられているのかと言えば、六道輪廻が仏教の常識です。もし「一切衆生必堕無間」が真実であるとするなら、六道輪廻は空言になります。
曇鸞大師は『讃阿弥陀仏偈』

われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。
一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。

と仰っています。

善導大師の『往生礼讃』には

現にこれ生死の凡夫、 罪障深重にして六道に淪みて、苦つぶさにいふべからず。

とあります。
『法事讃』にも

十方の六道同じくこれ輪廻して無際なり。

とあります。
いずれも親鸞聖人が『教行信証』に引文されていますので、親鸞聖人も同じことを仰っていることになります。
『正信偈』

生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。

を蓮如上人は『正信偈大意』で解説されて

生死輪転の家といふは、六道輪廻のことなり。このふるさとへ還ることは疑情のあるによりてなり。

と明言されています。
六道輪廻について、最も詳しく教えられているのが『安楽集』です。

無始劫よりこのかたここにありて、輪廻無窮にして身を受くること無数なることを明かすとは、『智度論』(意)にいふがごとし。「人中にありて、あるいは張家に死して王家に生じ、王家に死して李家に生ず。かくのごとく閻浮提の界を尽して、あるいはかさねて生じ、あるいは異家に生ず。あるいは南閻浮提に死して西拘耶尼に生ず。

閻浮提のごとく余の三天下もまたかくのごとし。四天下に死して四天王天に生ずることもまたかくのごとし。あるいは四天王天に死して忉利天に生ず。忉利天に死して余の上四天に生ずることもまたかくのごとし。色界に十八重天あり、無色界に四重天あり。ここに死してかしこに生ず。一々にみなあまねきことまたかくのごとし。あるいは色界に死して阿鼻地獄に生ず。阿鼻地獄のなかに死して余の軽繋地獄に生ず。軽繋地獄のなかに死して畜生のなかに生ず。畜生のなかに死して餓鬼道のなかに生ず。餓鬼道のなかに死してあるいは人天のなかに生ず。かくのごとく六道に輪廻して苦楽の二報を受け、生死窮まりなし。

胎生すでにしかなり。 余の三生もまたかくのごとし」と。

(中略)

問ひていはく、これらの衆生はすでに流転多劫なりといふ。しかるに三界のなかには、いづれの趣にか身を受くること多しとなす。

答へていはく、流転すといふといへども、しかも三悪道のなかにおいて身を受くることひとへに多し。

『経』(十住断結経・意)に説きてのたまふがごとし。「虚空のなかにおいて方円八肘を量り取りて、地より色究竟天に至る。この量内においてあらゆる可見の衆生は、すなはち三千大千世界の人天の身よりも多し」と。ゆゑに知りぬ、悪道の身多し。
なんがゆゑぞかくのごとしとならば、ただ悪法は起しやすく、善心は生じがたきがゆゑなり。いまの時ただ現在の衆生を看るに、もし富貴を得れば、ただ放逸・破戒を事とす。天のなかにはすなはちまた楽に着するもの多し。このゆゑに『経』(五苦章句経・意)にのたまはく、「衆生は等しくこれ流転してつねに三悪道を常の家となす。人天にはしばらく来りてすなはち去る。名づけて客舎となすがゆゑなり」と。

(現代語訳)

無始曠劫よりこのかた、三界にあって輪廻きわまりなく、身を受けることが、無数であることを明かすならば、《智度論》にいわれているとおりである。

人間界の中にあって、あるいは張姓の家に死んで、王姓の家に生まれ、王姓の家に死んで、李姓の家に生まれる。このように閻浮提の世界をことごとくつくして、あるいは同じ家に生まれ、あるいは異なった家に生まれる。あるいは南閻浮提に死んで西拘耶尼に生まれる。閻浮提におけるように、他の西拘耶尼・北鬱単越・東弗婆提の三天下もまたこのとおりである。四天下に死んで四天王天にうまれるようなものもまた同様である。あるいは四天王天に死んで忉利天に生まれ、忉利天に死んでその上の夜摩天・兜率天・変化天・他化自在天に生まれるのも、また同様である。色界に十八重の天があり、無色界に四重の天がある。ここに死んでかしこに生まれ、一々みなあまねくめぐることもかたこのとおりである。あるいは色界に死んで阿鼻地獄に生まれ、阿鼻地獄の中に死んでそのほかの軽繋地獄に生まれ、軽繋地獄の中に死んで畜生の中に生まれ、畜生の中に死んで餓鬼道の中に生まれ、餓鬼道の中に死んであるいは人天の中に生まれる。このように六道をめぐって苦楽の二報を受け、生死がきわまりない。胎生がすでにこのとおりであって、そのほかの卵生・湿生・化生もまた同様である。

(中略)

問うていう。これらの衆生は、すでに多劫のあいだ流転しているという。しかしながら、三界の中では、どの生に身を受けることが多いとするのか。

答えていう。流転しているというが、しかも三悪道の中で身をうけることが殊に多い。経に説かれているとおりである。

虚空の中において、八肘四方を量り取り、地面より色究竟天に至るまで、この中にいる衆生は、三千大千世界の人天の身の数よりも多い。

と。ゆえに悪道の身が多いことが知られる。なぜこのようであるかというと、すべて悪法は起こしやすく、善心は生じがたいからである。いま現にいる衆生を見ると、もし富貴を得ればただ放逸破戒を事としており、天上界にあっては、また楽しみに執着する者が多い。こういうわけで、経に説かれてある。

衆生はひとしく流転して、つねに三悪道を住家としている。人天の境界にしばらく来ても、すぐ去ってしまう。人天の境界を名づけて客舎とするからである。

と教えられています。六道輪廻とはいいながらも、三悪道に堕ちる者が多いと仰っています。
これ以外にも、多くの聖教で、六道輪廻について教えられています。

これだけ「一切衆生必堕無間」を否定されているのに、何を寝恍けたことを言っているのかということです。

釈尊、善知識方がどう言おうが関係ないという思考が、完全にカルトの思考です。発想がオウム真理教と何ら変わるところがありません。幸いにも高森会長が小心者であるが故に、凶悪犯罪を起こせないだけのことです。
尤も、凶悪犯罪を起こせば、親鸞会は最期の時を迎えるでしょうが。

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コメント

いつも見せて頂いています。今年も親鸞会の邪義と会内の事情をますます暴露されていくことと期待しています。

親鸞会では、本当に総合的に考える頭が欠けています。膨大な根拠を全て無視して、

そもそも、開山聖人(親鸞)の御一流には、それ信心といふことをもつて先とせられたり。その信心といふはなにの用ぞといふに、無善造悪のわれらがやうなるあさましき凡夫が、たやすく弥陀の浄土へまゐりなんずるための出立なり。この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。(2帖目2通)

だけしか根拠が挙げられないのですから。ただ、蓮如上人が「一切衆生必堕無間」という意味のことを仰っていたのなら、

そもそも、この御正忌のうちに参詣をいたし、こころざしをはこび、報恩謝徳をなさんとおもひて、聖人の御まへにまゐらんひとのなかにおいて、信心を獲得せしめたるひともあるべし、また不信心のともがらもあるべし。もつてのほかの大事なり。そのゆゑは、信心を決定せずは今度の報土の往生は不定なり。(5帖目11通)

と書かれるのはおかしな話です。「この信心を獲得せずは」と「信心を決定せずは」は全く同じ意味なのに、後者は無間地獄に堕ちるとは書かれていません。
後は、会員さんが「一切衆生必堕無間」に共感してしまう要因としては、「殺るよりも 劣らぬものは 思う罪」の歌と、よく因果の道理の話で出てくる、体や口の行いを1とすると心は2だというようなこと位でしょうか。高森信心があると、特に真面目に自己を見つめている人は引っかかってしまいます。

辞めようかという時に出てくるこの呪いの言葉から、一人でも多くの会員さんを解き放ちたいですね。

投稿: 淳心房 | 2012年1月 1日 (日) 22時54分

会員さんには直にお聖教を読んでもらい、会の"識字率"を高めてもらいたいものです(私も"識字"訓練中です(^^;))。
庶民を文盲に留めることで社会の安定を図った封建制度と親鸞会は同じやり方です。

投稿: 広島の名無し | 2012年1月 2日 (月) 00時22分

当時は「一切衆生必堕無間」に騙されて自分を含めて全衆生地獄しかないという世界観に真っ暗な思いにさせられていました
確かに全て地獄で極々稀に人間界みたいなら六道の他の界の存在はどうなるんだと矛盾を感じたこともありました
それでもあの頃はきちんと解説された本なり何なり出会うことがなかったので信じ込んでました
今やここのようにネットが教えてくれます ありがたいことです


投稿: | 2012年1月 2日 (月) 20時48分

淳心房 様

有難うございました。参考にさせて頂きます。


広島の名無し 様

私は識学訓練3年です。その訓練生に、高森会長は手も足も出ないのですからね。


名無し 様

私も会員当時から、矛盾には気が付いていましたが、私もネットで学んで「一切衆生必堕無間」の呪縛から解き放たれました。

投稿: 飛雲 | 2012年1月 3日 (火) 07時01分

飛雲様
あけましておめでとうございます。
会を辞めて年頭の挨拶の言葉も自由に言えるようになって気分がよいです。
盤根錯節した親鸞会教義がスッキリ破邪されて行くのは痛快です。快刀乱麻を断つという感じです。
これからもご活躍下さい。

投稿: | 2012年1月 3日 (火) 14時01分

30年前、後生の一大事を説かれ、宿善論をとかれ、行学をいわれました。しかし、定散二善を行えとは、言われませんでした。確かに、昭和の親鸞会は、平生業成をとき、信前、信後をうるさく説かれ、よく、居眠りさせられたものです。中根が、上級専任講師をしていたのも、そのころです。確かに、親鸞会の説き方は、変化しています。

投稿: ベタ男 | 2012年1月 3日 (火) 15時28分

後の名無し 様

有難うございます。
頑張って、ブログを書いていきたいと思います。

投稿: 飛雲 | 2012年1月 3日 (火) 21時44分

一切衆生必堕無間とは後生の一大事を解説した言葉です。
六道輪廻の最悪の場合が無間地獄です。
今度の後生で一切衆生必堕無間ということではなくて、
一切衆生は必堕無間の業因しか持っていないと警告なさっているのです。

今度の後生でたとえ無間地獄に落ちたとしても、
長い時間、六道輪廻した後に再び人間に生まれ、
時間は遅れてしまいますが必ず救われます。

無量の時間をかけて全生命を浄土に往生させると誓われているのが、
阿弥陀仏の本願です。

投稿: 通りすがり | 2012年1月14日 (土) 19時24分

通りすがり 様

それはあなた独自の見解ですか?
高森会長は、「一息切れたら必ず無間地獄に堕ちる」と断言していますから、あなたとは違いますね。あなたの見解も、親鸞聖人の仰せとは大いに異なるものです。
当ブログを何度も何度も何度も何度も読んで下さることを願っています。

もし反論があるならば、親鸞聖人のお言葉と共に仰ってください。

投稿: 飛雲 | 2012年1月14日 (土) 21時04分

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