« 『末灯鈔』のお言葉は、「全人類≠五逆謗法の者」を証明された根拠 | トップページ | 謗法罪の定義さえも知らない親鸞会のお粗末さ »

2012年1月 8日 (日)

間違いを知りながら「十方衆生は一人の例外もなく五逆・謗法・闡提の者である」と未だに言っている確信犯

ある会員さんから12月23日に以下のメールを頂きました。

今日親鸞会の講師と話しをする際に根拠を出したところ、根拠をもってして論破されました。
自分自身知識が浅いので、かもしれませんが、今はどちらのサイドにつくこともできません。

そこで、自分自身では判断できないと考え、講師に飛雲氏と直接法論していただくことを依頼しました。

高森会長を言い負かしたとお聞きしましたので、恐らく法論なさってくれると信じています。
近々K講師からその旨の連絡が届くはずです。
一応月曜の夜を目安にしておりますが、飛雲氏の都合もありますので・・・

その返事として私は、以下の返事をしました。

どんな話をされたのかわかりませんが、法論をするなら文章でのやりとりをと前回言いました。
なぜなら、講師部員は詭弁に長けていますので、誤魔化しだけは非常にうまいです。
私は、文章で、公開された場所以外での法論はしません。
公開された場所ならば、いくらでも法論に応じます。
ブログで何度も何度も宣言しています。
今回も例外ではありません。
個人的に会って話をすることはしません。
それと来週は31日まで出張しておりますので、会うことはできません。
その旨、お伝えください。
K講師には心底呆れております。
私と法論すると言いながら、連絡も取れず、ようやく連絡がついても自分は法論はしないので、
弘宣局とやってくれ、といいながら、その取次さえもしない。
口先だけの講師部員など、私は眼中にありません。
会長となら、出張をやめてでも直接会って法論しますよ。

その後、法論から逃げたといわれるのも癪ですので、短時間でなら会って話をしてもいいと電話で伝えてから数日後に

K講師・H講師との話の件はどうなりましたでしょうか。
年内に会うことは無理ですが、年明け早々なら、元旦でも結構です。
先日も電話で言いました通り、文章でのやりとり以外では、本当の意味で法論になりませんが、
1つのテーマでK講師を論破するのに、30分も掛りませんので、会っても瞬時に決着させます。
なぜなら下らない言い訳や屁理屈を延々と聞くつもりはまったくありませんので、根拠でのみ話をすれば、
そうなります。
その時のことは録音して公開しますので、K講師にそのようにお伝えください。

K講師からの返事を教えてください。

とメールを送りました。
結局今まで、K講師からは何の連絡もありません。毎度毎度のことです。

さて、親鸞会では、未だに全人類が五逆・謗法・闡提の者と言っています。
1月1日号の顕正新聞の論説には

大宇宙最高の仏・阿弥陀仏は、五劫に思惟なされて、十方衆生は一人の例外もなく五逆・謗法・闡提の者であると見抜かれている。

と書いています。その根拠がやはり『末灯鈔』のお言葉なのですが、ネットで正しい意味について書かれてあるのを読みながら書いているのですから、詐欺行為です。

キリスト教のような原罪を仏教に持ち込んでいる大変な曲解です。高森会長と親鸞会は、固定不変な有の見に凝り固まっていることがよく判ります。

親鸞聖人は『教行信証』真仏土巻で『涅槃経』を引かれて、

またのたまはく(涅槃経・迦葉品)、「〈善男子、如来は知諸根力を具足したまへり。このゆゑによく衆生の上・中・下の根を解り分別して、よくこの人を知ろしめして、下を転じて中となす。よくこの人を知ろしめして、中を転じて上となす。よくこの人を知ろしめして、上を転じて中となす。よくこの人を知ろしめして、中を転じて下となす。このゆゑにまさに知るべし、衆生の根性に決定あることなし。定なきをもつてのゆゑに、あるいは善根を断ず、断じをはりて還りて生ず。もしもろもろの衆生の根性定ならば、つひに先に断じて、断じをはりてまた生ぜざらん。また一闡提の輩、地獄に堕して寿命一劫なりと説くべからず。善男子、このゆゑに如来、一切の法は定相あることなしと説きたまへり〉と。

(現代語訳)

また次のように説かれている(涅槃経)。

 「釈尊が仰せになる。<善良なものよ、如来は衆生の資質を知る力をそなえておられる。だから如来は、衆生の資質がすぐれているか劣っているかをよく見きわめ、その人の劣った資質があらたまり、よりすぐれたものとなることを知り、あるいは、その人のすぐれた資質が損なわれ、より劣ったものとなることを知っておられるのである。だからよく知るがよい。衆生の資質は定まったものではないのである。定まったものではないから、善い資質を失うようなことがあり、失ってしまっても、ふたたび善い資質を生じることがある。衆生の資質が定まったものであるなら、ひとたび善い資質を失ってしまうと、また生じるということはないであろう。したがって、一闡提のものは地獄に堕ちて寿命が一劫であると説くこともできないのである。善良なものよ、このようなわけで、如来はすべてのものには定まった相がない、と説くのである>と。

と教えられていますが、仏教には、「衆生の根性に決定ある」、つまり私たちが固定不変な無間業をもっているなどという教えなどないのです。
如来、一切の法は定相あることなしと説きたまへり」が仏説です。一切衆生には五逆、謗法、闡提の無間業という「定相」があるは、高森会長の邪説です。

この後に

迦葉菩薩、仏にまうしてまうさく、〈世尊、如来は知諸根力を具足して、さだめて善星まさに善根を断ずべしと知ろしめさん。なんの因縁をもつてその出家を聴したまふ〉と。
仏ののたまはく、〈善男子、われ往昔の初において出家のとき、わが弟難陀、従弟阿難・提婆達多、子羅睺羅、かくのごときらの輩、みなことごとくわれに随ひて家を出で道を修しき。われもし善星が出家を聴さずは、その人次にまさに王位を紹ぐことを得べし。その力自在にして、まさに仏法を壊すべし。この因縁をもつて、われすなはちその出家修道を聴す。善男子、善星比丘もし出家せずは、また善根を断ぜん。無量世においてすべて利益なけん。いま出家しをはりて善根を断ずといへども、よく戒を受持して、耆旧・長宿・有徳の人を供養し恭敬せん。初禅乃至四禅を修習せん。これを善因と名づく。かくのごときの善因、よく善法を生む。善法すでに生ぜば、よく道を修習せん。すでに道を修習せば、まさに阿耨多羅三藐三菩提を得べし。このゆゑにわれ善星が出家を聴せり。善男子、もしわれ善星比丘が出家を聴し戒を受けしめずは、すなはちわれを称して如来具足十力とすることを得ざらんと。{乃至}善男子、如来よく衆生のかくのごとき上・中・下の根と知ろしめす。このゆゑに仏は具知根力と称せしむ〉と。

(現代語訳)

 迦葉菩薩が釈尊に、<世尊、如来は衆生の資質を知る力をそなえておられるのですから、善星比丘が善い資質を失うだろうと、きっと知っておられたはずです。どのようなわけで、善星比丘の出家をお許しになったのですか>と申しあげる。
 釈尊が仰せになる。<善良なものよ、昔わたしが出家したばかりのころ、弟の難陀、従弟の阿難と提婆達多、息子の羅睺羅などが、みなことごとくわたしにしたがって出家して仏道を修めることになった。わたしがもし善星の出家を許さなかったなら、善星は一族のものとして次に王位を継ぐことになったであろう。そうなれば、思いのままにその力を使って、仏法を破壊したであろう。このようなわけで、わたしは、出家して仏道を修めることを許したのである。善良なものよ、善星比丘は、出家しなかったとしても、やはり善い資質を失ったであろう。そうすれば、はかり知れない長い間何の利益もないことになる。すでに出家し、後に善い資質を失ったが、戒律をたもち、長老や先輩や有徳の人を供養し敬い、さまざまな段階の禅定を修めるということは、善の因となる。このような善の因は善を生じる。善が生じたなら仏道を修めるであろう。仏道を修めたなら、ついにはこの上ないさとりを得るであろう。だから、わたしは善星の出家を許したのである。善良なものよ、もしわたしが、善星比丘が出家して戒律を受けることを許さなかったなら、わたしのことを、十力をそなえた如来と称することはできないであろう。(中略)善良なものよ、如来はこのように衆生の資質がすぐれているか劣っているかを知っている。だから仏のことを、衆生の資質を知る力をそなえたものと称するのである>と。

と仰っています。善星が今は闡提であっても将来は闡提ではなくなることを釈尊は教えてくださっています。もちろん、すべての人が闡提であるなどという意味で仰っている筈もありません。

『涅槃経』はもちろん『教行信証』も読んだことがないでしょうが、『教行信証』に何が書かれてあるのかもまるで知らないのが高森会長です。少しでも真宗学を勉強すれば得られる教学も欠如しているのです。それを今でも言い続けているのですから、親鸞聖人の教えを正しく伝えようという気の、全くないことが誰でも判ります。

|

« 『末灯鈔』のお言葉は、「全人類≠五逆謗法の者」を証明された根拠 | トップページ | 謗法罪の定義さえも知らない親鸞会のお粗末さ »

コメント

会長達が資金繰りに窮した自転車操業なら、喜ばしいです。このまま潰れてくれれば、日本社会から害悪が一つ消えますから。雑なカルト教義であることは、飛雲さん達の尽力でますます明らかです。仏教のイロハがわかっていないとは会長の事です。仏教の素養のある人ならまず引っ掛かりませんが、現代人は宗教の知識が乏しいのでつけ込まれるのですね。

投稿: 昨日の名無し | 2012年1月 9日 (月) 00時12分

断見外道だとという、御達見ですか?必堕無間という、運命論ですからね。ところで、獲信する、方法を教えてください。念仏を唱えよとでもいうのですか?

投稿: ベタ男 | 2012年1月 9日 (月) 13時22分

昨日の名無し 様

一日も早く、親鸞会が無くなることを願っています。


ペタ男 様

常見外道ですね。獲信するには、雑行雑修自力の心を捨てて弥陀に帰命することです。

投稿: 飛雲 | 2012年1月 9日 (月) 16時56分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『末灯鈔』のお言葉は、「全人類≠五逆謗法の者」を証明された根拠 | トップページ | 謗法罪の定義さえも知らない親鸞会のお粗末さ »