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2012年1月19日 (木)

「定散と逆悪とを矜哀して」の意味さえ知らない高森会長

高森会長は、日頃お勤めもしていないと噂されています。実際、『正信偈』に書かれている内容を理解していません。『正信偈』

定散と逆悪とを矜哀して

とあります。定散の機と逆悪の機とがいる、つまり善凡夫と悪凡夫がいることを示されているのです。これは善導大師の教えられたことについて仰ったものですから、元の『玄義分』を見てみます。ここに九品の説明があります。

上品上生……まさしくこれ仏世を去りたまひて後の大乗極善の上品の凡夫、日数少なしといへども、業をなす時は猛し
上品中生……またこれ仏世を去りたまひて後の大乗の凡夫、行業やや弱くして
上品下生……ただこれ仏世を去りたまひて後の一切の大乗心を発せる衆生、行業強からずして
中品上生……またこれ仏世を去りたまひて後の小乗戒を持てる凡夫なり。
中品中生……ただこれ仏世を去りたまひて後の無善の凡夫、命延ぶること日夜、小縁のその小戒を授くるに逢遇ひて、回して往生を願ず。
中品下生……ただこれ仏法に遇はざる人、孝養を行ずといへども、またいまだ心に出離を希求することあらず。ただこれ臨終に善の勧めて往生せしむるに遇ふ。この人勧めによりて回心してすなはち往生を得。またこの人世にありて自然に孝を行ず、また出離のためのゆゑに孝道を行ぜず。

となっています。

上品上生・上品中生・上品下生が、行福のできる凡夫です。
中品上生・中品中生が、戒福のできる凡夫です。
中品下生が、世福のできる凡夫です。
以上が善凡夫で、散善の機です。

一方で下品上生・下品中生・下品下生については

この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。

となっていまして、

下品上生・下品中生・下品下生が、無善造悪の凡夫です。これが悪凡夫、逆悪の機です。

これら九品と定善の機とをまとめて

またこの『観経』の定善および三輩上下の文の意を看るに、総じてこれ仏世を去りたまひて後の五濁の凡夫なり。ただ縁に遇ふに異なることあるをもつて、九品をして差別せしむることを致す。
(中略)
いまの時の善悪の凡夫をして同じく九品に沾はしめんと欲す。

と善導大師は仰っています。

つまり、
仏世を去りたまひて後の五濁の凡夫

=「いまの時の善悪の凡夫

定善の機と散善の機と逆悪の機

善のできる凡夫と悪しかできない凡夫

ということです。善人と悪人がいることをここまで明確に仰っているのに、高森会長と親鸞会の会員は、

善人は一人もいない

と断言しているのですが、その妄想がどこから出てくるのか、ということです。高森会長の妄想は、もちろん大沼師のパクリ損ないですが、今回はそのことについて述べません。

ところで、念仏弾圧のきっかけとなった『興福寺奏状』第六に浄土に暗き失。には以下のようにあります。

もし専念なき故に往生せずとならば、智覚禅師は毎日一百箇の行を兼修せり、何ぞ上品上生を得たるや。

智覚禅師は、諸善を修して上品上生の往生を遂げられた、と書いているのです。これも含めて、法然上人の教えに徹底的な攻撃を聖道門諸寺は加えて、承元の法難となったのですが、法然上人も親鸞聖人も、智覚禅師のことを次のように仰っています。

法然上人は『勅伝』

達磨宗の祖師、智覚禅師は、上品上生の往生人なり。

と仰っていますし、親鸞聖人は『教行信証』信巻

禅に参はり性を見ること、たれか高玉・智覚にしかんや。みな社を結び、仏を念じて、ともに上品に登りき。

と仰っています。自分たちを流刑に遭わした聖道門の説を否定されていないのです。智覚禅師が、上品上生の善人であったことは、聖道門、浄土門共通の認識です。

これらの御文からはっきりすることは、高森会長と親鸞会会員が、真宗のイロハも、仏教のイロハも知らないことを公言しているということです。どこをどう贔屓目に見ても、親鸞会は外道という結論にしかなりません。

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