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2012年1月11日 (水)

謗法罪の定義さえも知らない親鸞会のお粗末さ

親鸞会では、仏教を謗る謗法罪ということさえも、理解できていません。仏智疑惑と謗法罪との区別もつかないほどの無知です。
先日も紹介しました『往生要集』

問ふ。不信のもの、なんの罪報をか得る。

答ふ。
『称揚諸仏功徳経』の下巻にのたまはく、「それ、阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するものは、五劫のうちに、まさに地獄に堕して、つぶさにもろもろの苦を受くべし」と。

問ふ。もし深信なくして疑念をなすものは、つひに往生せざるや。

答ふ。
まつたく信ぜず、かの業を修せず、願求せざるものは、理として生るべからず。もし仏智を疑ふといへども、しかもなほかの土を願ひ、かの業を修するものは、また往生することを得。『双巻経』にのたまふがごとし、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修して、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず、このもろもろの智において疑惑して信ぜず、しかもなほ罪福を信じ、善本を修習して、その国に生ぜんと願ぜん。このもろもろの衆生は、かの宮殿に生じて、寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の衆を見たてまつらず、このゆゑにかの国土においては、これを胎生といふ」と。{以上}仏の智慧を疑ふは、罪、悪道に当れり。しかも願に随ひて往生するは、これ仏の悲願の力なり。

を見ても明らかなことです。
謗法罪の者は地獄ですが、「かの土を願ひ、かの業を修する」仏智疑惑の者は化土往生です。親鸞聖人も『正像末和讃』誡疑讃

仏智疑惑のつみにより
 懈慢辺地にとまるなり
 疑惑のつみのふかきゆゑ
 年歳劫数をふるととく

仏智疑惑のつみゆゑに
 五百歳まで牢獄に
 かたくいましめおはします
 これを胎生とときたまふ

などなど、他でも至る所で教えておられます。

仏智疑惑と謗法罪の違いは、真宗では常識ですが、親鸞会は真宗ではないから判らないのも仕方がないです。誰もが例外なく謗法罪を造っているという妄想から、仏智疑惑を謗法罪と考えるカルト思考です。

謗法罪の定義とは、「安心問答」での法論の際にも出されていました『浄土論註』に教えられています。『教行信証』信巻にも引文されています。

問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。

答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

(現代語訳)

問うていう。正しい法を謗るとは、どのようなことをいうのか。

答えていう。仏もなく仏の教えもなく、菩薩もなく菩薩の教えもないというような考えを、自分自身でおこしたり、他の人に教えられて、その通りと心に定めることを、みな正しい法を謗るというのである。

仏と仏教を根本的に否定することを謗法罪と言うのです。これが謗法罪の基本ですが、浄土門では、念仏の教えを打ち壊し、滅ぼそうとすることも謗法罪とされます。
親鸞会でも有名なのが『正像末和讃』

五濁の時機いたりては
 道俗ともにあらそひて
 念仏信ずるひとをみて
 疑謗破滅さかりなり

です。「疑謗破滅」する人は、「念仏信ずるひと」以外ですから、『往生要集』でいえば、「阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するもの」のことです。
また『高僧和讃』善導讃

五濁増のときいたり
 疑謗のともがらおほくして
 道俗ともにあひきらひ
 修するをみてはあだをなす

本願毀滅のともがらは
 生盲闡提となづけたり
 大地微塵劫をへて
 ながく三塗にしづむなり

とあります。

疑謗のともがら」「本願毀滅のともがら」も共に、「阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するもの」と同じ意味です。

これらの御和讃の元になっているのが、『法事讃』

世尊法を説きたまふこと、時まさに了りなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ。五濁増の時は疑謗多く、道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。修行することあるを見ては瞋毒を起して、方便して破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三途の身を離るることを得べからず。

(現代語訳)

釈尊の説法がまさに了ろうとする時、ねんごろに弥陀の名号を舎利弗に付属された。五濁のいよいよ盛んな時であるから疑い謗る人が多く、一般の僧俗がともにこの法を嫌って聞こうとしない。念仏を行ずる人を見ては瞋りの心を起こし いろいろのてだてをもってこれを破戒し競ってさまたげる。このような生まれながらの盲人のような闡提の輩は、この尊い念仏の教をそしって永く沈み、大地微塵劫より長い間をすぎてもなお三塗の身を離れることができない。

です。

念仏の教えを信じている人が、謗法罪の者だなどと断言して、恥ずかしくないのかと思います。

「安心問答」での正体を隠した講師部員の発言を見ても、相当にレベルが低く、教義に興味のないことが判ります。会員を騙せれば、何でもいいのです。

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