« 「他の方便なし」とは、「迂回の善」なし | トップページ | 親鸞会の信心偽装・教義偽装の手口 »

2011年12月 2日 (金)

自分の言ったことを簡単に否定するも、誤魔化しきれない高森会長

親鸞会の講師部員、幹部会員に教義の誤りを指摘すると、

高森先生はそんなことを仰っていない

という反論をしてくることがあります。それを聞いた退会者の方がびっくりするのですが、高森会長の言うことがそれ程、ころころ変わっている証拠でもあります。

ではどのように教えているのか

と尋ねると、言葉を濁すだけで、はっきりと答えないのです。mixiでのこうへい氏がそうでした。筋の通った話ができていないから、その場限りの言い訳しかできないのです。

例のK講師からは、あれ以降何の連絡もありませんが、先日の電話で話をした際にも上記のことがありました。私が親鸞会の教えの間違いを列記した中で

宿善を厚くしなければ救われないというのが間違いだ

と指摘した際に、K講師は即座に

そんなことは教えられていない

と反論してきました。私は呆れて、

『本願寺なぜ答えぬ』を読んでおいてください

と答えておきましたが、高森会長も講師部員も過去に自分の言ってきたことを簡単に否定するのです。
30年前の本願寺との論争で、高森会長が主張してきたことは、

宿善を厚くしなければ救われない

これです。当時の会員なら誰でも知っていることです。都合の悪いことは消し去りたいのでしょうが、高森会長の著書にあるものを、言っていないとは言わせません。

以前にも取り上げましたが、『本願寺なぜ答えぬ』には

宿善薄く生まれた者は、どうもがいても、宿善厚くなれないのなら、宿善開発(信心獲得)はありえない。

と書いています。さて、これはどんな意味でしょうか?
『会報』第3集にも

過去世に仏縁薄き者、宿善浅きものは、現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。

とありますが、これらは

宿善を厚くしなければ救われない

と言っているのではないですか?他にどんな深い御心があるのでしょうか?
法話や講義では、

そんなことをワシは言っていない

と、高森会長はよく嘘を言っていますが、著書は誤魔化せないです。
この主張の誤りについては

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り28

でも述べておきました。
歴代の善知識方が「こんな考え方は間違い」と否定し続けてこられたことの、「こんな考え方」だけを断章取義して、歴代の善知識方が肯定されていることにしているのですから酷いものです。
自信満々に書いている『和語灯録』にあるという

頓機の者は少なく、漸機の者は多し

も大嘘です。そのことは

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り1

でも述べました。
宿善とか三願転入とか言い方を変えて曖昧な表現をしても、間違った主張を誤魔化すことはできません。嘘で塗り固められた教義が、小手先の修正でまともになることはありません。
財政逼迫のために、会館やら弁当屋やら建てまくって自転車操業の金集めをしていますが、会員からお金を巻き上げる理由付けに”善の勧め”が利用されているだけのことです。

熱心な会員も流石にうんざりしていると聞いていますが、それでも親鸞会に留まっておれるのは、”親鸞会の修行に堪えられる善人様”なのでしょう。残念ながら会員が善人傍機の18願に救われることは、夢のまた夢でしょう。

|

« 「他の方便なし」とは、「迂回の善」なし | トップページ | 親鸞会の信心偽装・教義偽装の手口 »

コメント

これではあげ足取りをされると思います。どこかと言うと、宿善を厚く「する」というところです。親鸞会では厚く「なる」としか書かれてないと思います。

まぁ熱心な聞法、勤行、六度万行と自己が修するものによって厚く「なる」ので厚く「する」と厚く「なる」の具体的な違いは私には全く分かりませんが。

それと善人である会員が「善人傍機の18願に救われることは、夢のまた夢でしょう。」とはどういう意味ですか? ただの皮肉でしょうか?

投稿: 半分会員 | 2011年12月 2日 (金) 15時16分

半分会員さん

「宿善を求める」のは、その人です。自分が宿善を求めて厚くするのです。主語の問題です。

前回の悪人正機からの続きで、悪人とは善をしようとも思わない人で、善人とは善をしようと思って善をする人です。親鸞会の勧めていることが善かどうかは別にして、親鸞会でいう善をしようと思っている会員は善人です。その善人傍機が18願ですから、善に拘っている間は、救われませんよ。
この皮肉くらいは理解してあげてください。

投稿: どんちゃん | 2011年12月 2日 (金) 17時19分

どんちゃんさん

「宿善を求めよ」という表現自体は蓮如上人も使っておられるので主語の問題でもないと思います。
親鸞会の主張は「宿善が厚くなる」です。しかしそもそも宿善の「薄」→「厚」というプロセスが存在しません。その点を指摘すればよいのですが、宿善を厚く「する」と言ってしまうと親鸞会は元からそんなことは言っていないと言うのです。K講師はそこを言ったのだと思います。しかし、
>まぁ熱心な聞法、勤行、六度万行と自己が修するものによって厚く「なる」ので厚く「する」と厚く「なる」の具体的な違いは私には全く分かりませんが。

と言ったのです。
結論としてブログに初めから厚く「する」ではなく厚く「なる」と書かれていれば完璧なのに、というようなことを言いたかったのです。

ただのの皮肉ですか。
少し深読みし過ぎただけなので気にしないでください。

投稿: 半分会員 | 2011年12月 2日 (金) 18時07分

半分会員さん

「宿善を厚くしなければ救われない」

ということを言っていないという話ですので、

「宿善が厚くならなければ救われない」

と言ったらK講師が納得したということでしょうか。

「宿善が厚くなる」と「宿善を厚くする」は同じ意味であることを高森会長の言葉を使って証明しているのですから、なんか的外れの話ではないですかね。

投稿: どんちゃん | 2011年12月 2日 (金) 18時44分

半分会員さん
「宿善を求めよ」を意味する蓮如上人の御言葉はお聖教の何処にあるのでしょうか。
まさか聞書の「時節到来」ではないでしょうね。

投稿: 通りすがり | 2011年12月 2日 (金) 19時05分

どんちゃんさん

確かにまぁわざわざ指摘するほどのことでもないとは思いますけどしかしこの違いは講師と実際に話してみると実感させられます。「「薄」→「厚」というプロセスは存在しない」という言葉から始めるか「親鸞会では宿善を厚くしなければ助からないと言うがそれは間違いである」という言葉から始めるか。試しに何人かに言ってみたらどちらがより無駄な労力が少なくて済むかわかると思います。

通りすがりさん
「宿善は待つにあらず、求むるものなり」というお言葉を知らないのか、と脊髄反射で答えようとしたのですが、これ、お聖教のお言葉じゃなかったのですね…さっき調べて初めて知りました…
この言葉を根拠として善のすすめの正当性を主張されたことがあったのでてっきり蓮如上人のお言葉かなとずっと思ってました…

投稿: 半分会員 | 2011年12月 2日 (金) 20時06分

半分会員 様

>試しに何人かに言ってみたらどちらがより無駄な労力が少なくて済むかわかると思います。

そうですか。最近はいろいろと変わってきたのですかね。mixiでもそうでしたが、やたらと言葉尻に拘るようになって、

そんなことは言っていない

の詭弁を多用したいのでしょうね。言葉遊びで中身がないです。

投稿: 飛雲 | 2011年12月 2日 (金) 20時33分

「宿善を積む」もだめですよね。
まぁ本当に言葉遊びです。

投稿: 半分会員 | 2011年12月 2日 (金) 21時41分

半分会員 様

昔は「宿善を摘む」と言っていたのですが、途中で言ってはいけないことになりました。
行き当たりばったりですよ。

投稿: 飛雲 | 2011年12月 2日 (金) 22時01分

昔会員だったころ、「宿善を厚くする」と言ったら「宿善が厚くなる」だと講師から指摘を受けました。
宿善を厚くするのは自力で、宿善が厚くなるのは他力によるものだそうです。
今となってはどうでもいい話ですが。参考までに。

投稿: | 2011年12月 2日 (金) 23時15分

一般会員向けに宿善という言葉を使わなくなってからずいぶん年月が経っていますが、講師達はコソコソ隠れて宿善について語っていたのでしょうか。
最近は一般会員に対して宿善などということが語られることは滅多にありません。仏縁を求めましょうとしか言いません。
重要な教義は隠蔽しておいて財施だけ吸い上げるのですかね。師匠の握拳が多くて求める学徒も苦労が絶えないでしょう。

投稿: クソ味噌汁 | 2011年12月 3日 (土) 00時46分

K講師は部会でいつも学生に、
・宿善は「厚くなる」のであって、「厚くする」という使い方は間違い。
・なぜなら宿善を厚くして下されるのは、阿弥陀仏であって、我々が宿善を厚くすることはできない。
・「宿善が暑くなるように求める」という言い方はOK。言いかえると「仏縁を求める」

と話しています。

まず、この言葉の使い方は正しいのでしょうか?
つまり、真宗学上、そう言える根拠があるのか、ということです。

あと、会長は実際、著作のどこかにこのように書いていますか?
会長が言ってもいないことをK講師が言っているのでしょうか?

知っている人がいたら教えて下さい。

投稿: | 2011年12月 3日 (土) 00時48分

言葉遣いで誤魔化しているだけです。
「宿善が厚くなる」「宿善が厚くなるように求める」「宿善を厚くする」は主語を替えただけで同じ意味ですが、それを違うと深い御心を想像させている姑息なやり方です。なぜなら勝手に「宿善が厚くなる」ことを否定している訳ですから、自力で「宿善が厚くなるように求める」のです。私の方からいえば、自力で「宿善を厚くする」のです。

このような根拠などあろうはずがありません。
ないから、今まで親鸞会はその根拠を示していないのです。
このブログで詳しく書かれてある通りです。

投稿: 昔の会員 | 2011年12月 3日 (土) 04時11分

コメント頂いた皆様

貴重な御意見ありがとうございました。
今回の主旨は、言葉遣いのトリックを暴くことでした。

宿善が厚くなる…他力
宿善を厚くする…自力

こんな話は通用しないということです。
mixiでもこうへい氏が、三願転入の説明に困った際に、似たような宿善の話を出してきました。
宿善というよくわからない概念ですべてを誤魔化そうとするのが親鸞会です。
少し前の顕真の特集がそうでした。

宿善を自力で求めると断言しているのですから、間違いなく

宿善が厚くなる=宿善を厚くする

なのです。
自力でありながら他力を装って、理解できない教えと誤解させようとしているだけです。

もちろん、親鸞会の主張に根拠はありません。
30年前の本願寺との法論でも、mixi等の最近の法論でも出すことができないのは、無いからです。
宿善の意味が根本から違っているのです。

親鸞会の主張を元に真宗の教えを理解しようとするのをやめなければ、いつまでたっても真宗の教えは理解できません。会員は、真宗の教えの根本さえ理解できていないのですから、救われることはないのです。

投稿: 飛雲 | 2011年12月 3日 (土) 06時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「他の方便なし」とは、「迂回の善」なし | トップページ | 親鸞会の信心偽装・教義偽装の手口 »