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2011年12月11日 (日)

宿善も悪人正機も判らず、仏智疑う罪を増長させる高森会長

天台智顗らの聖道諸師は、『観無量寿経』に説かれた下品上生、下品中生、下品下生の往生について、彼らは大乗始学の凡夫、宿善業の強い者、という解釈をしていました。つまり、過去世において大乗仏教の初歩的な行をしてきた者が、今生で悪縁にあって罪を造っているだけである、というのです。

それを厳しく非難され論破されたのが善導大師です。

『玄義分』

次に下輩の三人を対せば、諸師のいふ、「これらの人はすなはちこれ大乗始学の凡夫なり。過の軽重に随ひて分ちて三品となす。いまだ道位にあらず。 階降を弁ちがたし」とは、まさに謂ふにしからず。なんとなれば、この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。
(中略)
下品の三人はこれ悪に遇へる凡夫なり。悪業をもつてのゆゑなり。終りに臨みて善によりて、仏の願力に乗じてすなはち往生を得。かしこに到りて華開けてまさにはじめて発心す。なんぞこれ始学大乗の人といふことを得んや。もしこの見をなさば、みづから失し他を誤りて害をなすことこれはなはだし。

(現代語訳)

つぎに下輩の三種の人を対破するならば、他師らは、これらの人は大乗始学の十信位の凡夫であって、罪の軽重にしたがって三品に分けるが、まだ修行をしていないから、その上下を区別しがたいといっているが、そうではなかろうと思う。何となれば、この三種の人は、仏法につけ、世間につけ、いずれの善根もなく、ただ悪を作ることだけを知っている。
(中略)
下品の三種の人は悪縁に遇うた凡夫であって、悪業があるから、臨終に善知識により、弥陀の願力に乗託してすなわち往生することができ、かの国に至って華が開けて、そこで始めて菩提心をおこすのである。どうしてこれが大乗始学の十信位の人ということができようか。もし他師らのような考えをするならば、みずから利益を失い他をあやまらせて、害をなすことがいよいよ甚だしい。

と仰っています。
下品上生、下品中生、下品下生について「この三品の人、仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」と明言なされています。
過去世にも、仏道修行したことがないだけでなく、倫理道徳の善さえもしてこなかった、つまり、下品上生、下品中生、下品下生の悪人は、過去世の善根がないのです。過去世の善根がないのですから、無宿善の者です。

一方、高森会長の

宿善薄く生まれた者は、どうもがいても、宿善厚くなれないのなら、宿善開発(信心獲得)はありえない。

過去世に仏縁薄き者、宿善浅きものは、現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。

は、

臨終に獲信・往生を遂げることのできる下品上生、下品中生、下品下生の悪人は、宿善厚いもの、過去世に仏法・世俗の善をたくさんしてきたもの

と言っていることになります。
要するに高森会長の宿善論は、善導大師が論破された聖道諸師と同じなのです。

それだけでなく、悪人が悪人のまま「仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」の状態で救われることはあり得ない、悪人は「仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」の状態を脱して、善人にならなければ救われない、というのが高森会長の理論でもあります。
全人類は、下品下生の極重の悪人と断言しながら、「仏法・世俗の二種の善根」ができるのだからせよ、と勧めているのです。

何のことはありません。高森会長は、悪人正機をも否定している訳です。

高森会長のデタラメ話しか聞いたことがない人には、頭が混乱すると思いますが、何も難しいことは言っていません。

簡単に言えば、

悪人とは、過去世に善をしてこなかっただけでなく、今後も世間の善さえもできない者です。高森用語でいえば悪人とは無宿善の者であり、宿善が厚くなることもないのですが、そんな無宿善の者をそのまま救ってくださるのが、阿弥陀仏の18願ということです。

そのことを法然上人は、『拾遺語灯録』

弥陀は悪業深重の者を来迎し給ふちからましますと、おぼしめしとりて、宿善のありなしも沙汰せず、つみのふかきあさきも返りみず、ただ名号をとなふるものの、往生するぞと信じおぼしめすべく候。

と仰っています。
高森会長の宿善論は、歴代の善知識方とはまるで反対です。

阿弥陀仏は、「仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。」の悪人をそのまま救えない、という考えを、仏智疑う罪と言われるのです。仏智疑う罪を増長させている高森会長のデタラメ話を信じる会員が、救われる道理がありません。

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コメント

S会は宗教としては出来損ないで、詐欺ビジネスと言った方がしっくりきますね。
会長自身も教義はどうでもよいと思っているようにしか見えません。

投稿: | 2011年12月12日 (月) 02時12分

名無し 様

親鸞会を作った当初は、教義に忠実な”つもり”だったのでしょうが、私利私欲のために捻じ曲げ始め、今では何教か判らなくなっています。高森会長自身、どこが正しい”つもり”のところで、どこが捻じ曲げたところなのかも混乱しているようdすが、正しい”つもり”のところも、間違っていますから、噴飯物です。

投稿: 飛雲 | 2011年12月12日 (月) 21時37分

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