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2011年12月24日 (土)

K講師とある元会員さんとのメールでのやり取り

K講師とある元会員さんとのメールでのやり取りを公開します。ある元会員さんが公開すると宣言してはいますが、著作権侵害には極めてうるさい親鸞会ですので、K講師のメールは略しておきます。その点はご了承ください。

K講師は、質問には答えない、私との法論についても無視。
言うことは、「会って話をしたい」だけ。

メールでは、証拠が残ってしまうので、負けても証拠の残らない方法で誤魔化そうとの意図が見え見えです。これがK講師のやり方であり、親鸞会の姿勢です。誠意のかけらもありません。

法論など、最初からする気がないのです。それでも法論から逃げていない、法論をして勝てるという虚勢を張りたいだけなのです。K講師の曾祖父がこのことを知れば、余りの不甲斐無さに絶縁するのではないでしょうかね。

Subject:        go for broke
Date:   Sun, 13 Nov 2011 07:15:03 +0900

K講師様

先日は短い時間でしたが懐かしいご縁を有難うございました。
さて、そのときにお話ししたことに関連してお尋ねさせて頂きます。

Q:飛雲氏からの法論の申し込みについて
本人からメールがあったはずです。
窓口がどうであれ、彼が弘宣局に取り次いで貰いたいと申し出ていますので、
そのことを弘宣局に連絡していただけているものと思いますが、その後進展はありましたでしょうか。
それとも連絡して頂けていないのでしょうか。

この前のお話の中で
「親鸞会と言えども邪義は正さねばならない」
と仰ったことは、全く同感です。
「これは正邪を明らかにする絶好の機会」
と仰っていたとも記憶しています。

「善をしなければ信仰は進みませんよ」
は正しいが
「信仰が進まなければ救われませんよ」
と言ったら完全な邪義だともお聞きしました。

私は前半も間違いだと思います。
それでも後半だけでも間違いだと判ってておられるのは、さすがだと思いました。

その法論の申し出に対しての反応の鈍さに驚いています。
「正邪を明らかにする為になら喜んで受けて立つ」というS号ビラの精神があるのなら、
今回のような鈍い反応になるはずがありません。
あれは親鸞会の公約ですよね。

何故そうなってしまうのか。高森会長自身が教義的に自信が無いからではないでしょうか。

「会長先生が無理ならば私が受けて立つ。」講師部員とはそういうものだと私は思います。
「go for broke」 あの弁論は今でも覚えています。感動しましたし、心からの叫びだったと信じています。

今後何らかの進展が有ることをお待ちしています。うやむやに終わらせることはしません。
例えば「親鸞会は法論を受け付けない」これもひとつの結論です。

このままですとそうなってしまい、何れ顛末を公表することになります。

お忙しいこととは存じますが、結果のご連絡をお願い致します。

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   ●●●●
 2011/11/12
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K <*****@jdss.jp> wrote:

●●●●様
ゆっくりと信心の沙汰をするように
お越しになってはどうですか?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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Email :
*****@jdss.jp
2011/11/13(Sun) 12:18
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日付: 2011年11月23日23:56
件名: Re:Re: go for broke

K講師様

お返事有難うございました。

私も大いに信心の沙汰をさせて頂きたいと思います。
他力真実の信心について語ることは素晴らしいですね。

ところで、お聞きしたことについては答えて頂けないということで理解すればよろしいでしょうか。

先日の座談会の内容をある人から聞きました。
質問者は「どうすれば救われるのかの道=三願転入について、親鸞聖人以外は書かれていない」と話があったことについて疑問を感じ質問しています。普通に聞いていた人ならば、同じ疑問を抱くはずです。

ところが、高森会長は質問者の内容には正面から答えず、自身の発言も訂正せずに「私の言い方がまずかったので、聞き間違えられた」ということにしてしまったそうですね。聡明なKさんなら判っておられると思います。

失礼ながら、こういった姿勢が講師部の方にも移っていると思います。
質問したことに正面から答えずにはぐらかすのは、ずるいことだと思います。

会合などで、「こんなことを言っている者がいるが間違いだ」と言うのであれば、誰が何処で言っているという、具体的な文章をあげて話をすべきです。更にはそのものに対して質問をするなり、対決することが親鸞学徒の使命のはずです。それをしない親鸞会はもはや親鸞会ではないと私は思います。

一応、次のように判断させていただきます。
若し違っているようでしたたら連絡を下さい。

先日の飛雲氏からのメールの内容は、誰にも伝わっていない。
結局のところ親鸞会としては法論というものをする気は無い。

よろしくお願い致します。

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●●●●
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K <*****@jdss.jp> wrote:

Date:2011/11/24, Thu 07:15
Subject:Re: go for broke


私も大いに信心の沙汰をさせて頂きたいと思います。
他力真実の信心について語ることは素晴らしいですね。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

(略)

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Email :
*****@jdss.jp
2011/11/24(Thu) 07:05
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日付2011年11月24日21:28
件名Re:Re: go for broke

K講師様

わざわざ、質問を頂かなくても今までお渡ししている資料に書いてあるとおりです。

1.自力諸善を積めば獲信できる。
⇒これが親鸞会の主張だ、

>>親鸞会の教義を批判している人で、このように言っている人はいないと思います。
『本願寺なぜ答えぬ』と同じで典型的な論理のすり替えです。

2.=自分の力で三願転入すれば、獲信できる。
⇒これが親鸞会の主張だ、

2つの質問をくっつけてませんか?分けてみました。
①三願転入は自分の力でする。
>>1.と同じです。

②三願転入すれば、獲信できる。(3.と同じ)
>>
親鸞会では、三願転入した=18願の世界に転入した=獲信した(救われた)と教えているはずです。同じ意味のことを何々すれば何々できると言って、何の意味があるのでしょうか。

3.=どうすれば救われるか?⇒三願転入すれば救われる。

⇒これが親鸞会の主張だ、
>>2.②と同じです。

4.⇒全く南无阿弥陀仏で救われるのだから、
善の勧めはいらない!

>>理由と結論をくっつけた質問ですが、どちらが主体ですか?
救いに何が要るか、要らないかなどということは私には判断できません。

5.善の勧めがいるのは、日常生活上のことであって、
獲信を目的として、善の勧めなどない!

>>親鸞聖人は阿弥陀仏に救われる為に善をしなさいと仰っていないということであれば、
そう思っています。

6.間違えやすい、説法をするな!
>>11/6の話を例にとれば、聞き間違えではなく質問者は正しく聞いています。
つまり、話している内容自体が誤っているか自己矛盾しているのです。
「領解文は三願転入のことを仰たものでは無かったのですか。」
という問いに誤魔化さずに真面目に答えるべきなのです。

と〇〇君は思っているのではないですか?
>>親鸞会の人は1つの問いの中に2つの質問をくっつけて、誘導尋問のような質問をする癖がついています。よくご自分の文章を見てください。

7.⇒信心沙汰のために週末にお越しになっては如何ですか?

>>善の勧めがどうのこうのという話は、信心の沙汰とは思っていません。
今は無理ですが、いつかじっくりお話ししたいと思っています。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

上のようなことは、今までさんざん議論されてきたことです。
渡っているはずの資料を読めば判ることです。
今までのことに何の返事もなく、私に対して新たに質問をおこされていますが、普通は聞いた質問には普通に答えます。

私がKさんにこのようにメールを送るのは、親鸞会や講師の人達の現状に疑問を持って欲しいからです。

これだけ教義的に批判されても正面から答えないことを通して「なんか変だ」と思うきっかけになればという思いだけです。

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   ●●●●
 2011/11/24
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K <*****@jdss.jp> wrote:

日付2011年11月25日9:15
件名Re: go for broke

(意味不明の内容のため略)

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Email :
*****@jdss.jp
2011/11/25(Fri) 09:12
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コメント

Kさん病気ですね。それか詩人すぎて訳分からん

投稿: | 2011年12月25日 (日) 09時42分

K講師は以前に学生と法論してコテンパンに負けているんですね。
最後の逃げのセリフも全く一緒です。
成長していませんね。


K講師と学生の法論の記録
http://nyakufushouja.blog115.fc2.com/

投稿: エム | 2011年12月25日 (日) 12時11分

教行信証信巻にある二河白道の譬の前(法蔵館 真宗聖典p328)にある文で気になるものがあったので誰か教えてほしい。

汝等衆生、こう劫よりこのかた、および今生の身・口・意業に、一切凡聖の身の上に於いて、具に十悪・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、未だ除盡すること能はず

よくわかりませんが、全ての人は無始から今日まで十悪五逆四重謗法闡提破戒破見等の罪を造ってきたという文ではないのでしょうか。もし断章取義や勘違いをしてしまったなら説明お願いします。

投稿: 質問者 | 2011年12月25日 (日) 18時58分

もし解行不同の邪雑の人等ありて、来りてあひ惑乱して、あるいは種々の疑難を説きて〈往生を得じ〉といひ、あるいはいはん、〈なんだら衆生、曠劫よりこのかた、および今生の身口意業に、一切凡聖の身の上において、つぶさに十悪・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、いまだ除尽することあたはず。しかるにこれらの罪は三界悪道に繋属す。いかんぞ一生の修福念仏をして、すなはちかの無漏無生の国に入りて、永く不退の位を証悟することを得んや〉と。

(訳)

本願他力と異なる教えにしたがうさまざまな自力の人々が来て惑わし、あるいはさまざまな疑いを示して非難し、<往生できない>といったり、あるいはまた、<あなたたちは、はかり知れない昔から今にいたるまで、身・口・意の三業にわたり、あらゆる凡夫や聖者方に対して、十悪・五逆・四重・謗法・一闡提・破戒・破見などの罪をことごとくつくり、まだそれらの罪を除き尽すことができないでいる。これらの罪は迷いの世界につなぎとめるものである。どうして、わずか一生の間、功徳を積み、念仏したからといって、すぐさま煩悩の汚れのない生死を超えた浄土に生れて、不退転の位に至ることができるだろうか>というであろう。



このような念仏誹謗する者がいる、ということです。
まさに、高森会長やK講師などのことですよ。

投稿: どんちゃん | 2011年12月25日 (日) 19時12分

ありがとうございます。

なんかそのあとの答にはその罪を造っている云々に対して反論されていないような気がしたので混乱したんですよね。よければその部分の現代語訳をお願いしてもよろしいでしょうか?

投稿: 質問者 | 2011年12月25日 (日) 20時09分

論点がずれてきますが、いいでしょう。

答へていはく、諸仏の教行数塵沙に越えたり。識を稟くる機縁、情に随ひて一つにあらず。たとへば世間の人、眼に見るべく信ずべきがごときは、明のよく闇を破し、空のよく有を含み、地のよく載養し、水のよく生潤し、火のよく成壊するがごとし。これらのごときの事、ことごとく待対の法と名づく。すなはち目に見つべし、千差万別なり。いかにいはんや仏法不思議の力、あに種種の益なからんや。随ひて一門を出づるは、すなはち一煩悩の門を出づるなり。随ひて一門に入るは、すなはち一解脱智慧の門に入るなり。ここを為(為の字、定なり、用なり、彼なり、作なり、是なり、相なり)つて縁に随ひて行を起して、おのおの解脱を求めよ。
なんぢなにをもつてか、いまし有縁の要行にあらざるをもつて、われを障惑する。しかるにわが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり、すなはちなんぢが所求にあらず。なんぢが所愛はすなはちこれなんぢが有縁の行なり、またわれの所求にあらず。このゆゑにおのおの所楽に随ひてその行を修するは、かならず疾く解脱を得るなり。
行者まさに知るべし、もし解を学ばんと欲はば、凡より聖に至るまで、乃至仏果まで一切碍なし、みな学ぶことを得よ。もし行を学ばんと欲はば、かならず有縁の法によれ。少しき功労を用ゐるに、多く益を得ればなりと。

(訳)

答えていう。仏がたの教えや修行の道が数限りなく、衆生がさとりを得ることになる縁も、衆生の心に応じてそれぞれに異なる。たとえば、世間の人の目に見え、わかるようなものでいえば、光は闇を晴らし、虚空はものをおさめ、大地はものを載せ、育て、水はものをうるおし成長させ、火はものを熟成させたり破戒したりするようなものである。このように、それぞれのものには、みなそれぞれ対応することがらがある。これらの目に見えることでさえ、千差万別である。まして仏法の不思議な力に、どうして、さまざまな利益のないはずがあろうか。それぞれの縁にしたがい、一つの法門によって出るというのは、一つの迷いの門を出るということであり、一つの法門によって入るというのは、一つのさとりの智慧の門に入るということである。だから、阿弥陀仏の本願力により、縁に応じて念仏の行を修め、みなさとりを求めるべきである。念仏の行がわたしにとってふさわしい行であるのに、なぜあなたはそうでない行を持ち出して、わたしをさまたげ惑わそうとするのか。私が好むのは、わたしにふさわしい行である。あなたの求めるものではない。あなたが好むのは、あなたにふさわしい行である。わたしの求めるものではない。したがって、それぞれの好みに応じて、それにふさわしい行を修めるなら、必ず速やかにさとりを得るのである。
行者よ、よく知るがよい。もしさとりについてただ学ぶだけなら、凡夫の法から聖者の法、さらに仏のさとりに至るまで、どの教えでも学ぶことができる。しかし、実際に行を修めようと思うなら、必ず自分にふさわしい法によるべきである。なぜなら、少しの力で多くの利益を得るからである。


 
ここで言われていることは、念仏の功徳利益についての非難に対する反論ですから、質問者さんが気にしている部分については言及がないです。そこが問題ではないからです。
論点が違うのです。

投稿: どんちゃん | 2011年12月25日 (日) 21時00分

どんちゃんさんに先を越された。

同じ回答をしようとしていました。
前の文章のすぐ後に書かれていますよ。

私は、私に合った教えでしか、救われませんでした。
親鸞会の行では、無理でした。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2011年12月25日 (日) 22時01分

もうひとつ

>全ての人は無始から今日まで十悪五逆四重謗法闡提破戒破見等の罪を造ってきたという文で>はないのでしょうか。

それでも、救うと阿弥陀様は誓われているのです。
自分の罪悪に怖れずそのまま来い、が阿弥陀様の呼び声です。
罪を造っていると思われるなら、三品の懺悔が出来るはずですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2011年12月25日 (日) 22時06分

現代語訳ありがとうございました。

まぁ私が気にしているところがその文の主旨とずれてることはわかりました。
その上でなんですけど、ではその罪を造っている云々のところは念仏誹謗の者の戯言と理解したらいいんですかね?

投稿: 質問者 | 2011年12月25日 (日) 22時34分

質問者さまへ

私の思いですので根拠はありません。
「念仏誹謗している人たちの戯れ言」と言う言い方は好きではありません。
皆、幸せになりたいのです。
しかし、無明の闇に包まれているから、何が真実か分からないのです。
オウム真理教に迷った人たちを非難出来る自分ではありません。
我が身の迷いの深さを考えたら底なしです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2011年12月25日 (日) 22時42分

釈尊も善知識方も、そのようなことを全く仰っていないのですから、迷った考えと理解すればいいでしょう。

投稿: どんちゃん | 2011年12月25日 (日) 23時10分

わかりました。ありがとうございました。

投稿: 質問者 | 2011年12月26日 (月) 00時05分

飛雲様、明けまして、おめでとうございます。去年は飛雲様のサイトと出会いまして、私としては最高の幸運でした。最初の訪問は衝撃的で、ここまで教義に精通され、こんなにも親鸞会と高森会長を心配されている正義の方が~~そんな印象でした。他のサイトも教義についての相違点の指摘もありますが、飛雲様完全な確信の指摘をされています。
今年も訪問させて頂きます。
本年もよろしくお願い致します。

投稿: 過去に会員 | 2012年1月 1日 (日) 00時29分

過去に会員 様

おめでとうございます。
喜んで頂けて、誠に光栄です。
仕事の片手間でしか更新ができませんが、多くの現会員・元会員の方に親鸞会の邪義について知って頂けるよう頑張ります。
こちらこそよろしくお願いいたします。

投稿: 飛雲 | 2012年1月 1日 (日) 10時29分

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