K講師とある元会員さんとのメールでのやり取り
K講師とある元会員さんとのメールでのやり取りを公開します。ある元会員さんが公開すると宣言してはいますが、著作権侵害には極めてうるさい親鸞会ですので、K講師のメールは略しておきます。その点はご了承ください。
K講師は、質問には答えない、私との法論についても無視。
言うことは、「会って話をしたい」だけ。
メールでは、証拠が残ってしまうので、負けても証拠の残らない方法で誤魔化そうとの意図が見え見えです。これがK講師のやり方であり、親鸞会の姿勢です。誠意のかけらもありません。
法論など、最初からする気がないのです。それでも法論から逃げていない、法論をして勝てるという虚勢を張りたいだけなのです。K講師の曾祖父がこのことを知れば、余りの不甲斐無さに絶縁するのではないでしょうかね。
Subject: go for broke
Date: Sun, 13 Nov 2011 07:15:03 +0900K講師様
先日は短い時間でしたが懐かしいご縁を有難うございました。
さて、そのときにお話ししたことに関連してお尋ねさせて頂きます。Q:飛雲氏からの法論の申し込みについて
本人からメールがあったはずです。
窓口がどうであれ、彼が弘宣局に取り次いで貰いたいと申し出ていますので、
そのことを弘宣局に連絡していただけているものと思いますが、その後進展はありましたでしょうか。
それとも連絡して頂けていないのでしょうか。この前のお話の中で
「親鸞会と言えども邪義は正さねばならない」
と仰ったことは、全く同感です。
「これは正邪を明らかにする絶好の機会」
と仰っていたとも記憶しています。「善をしなければ信仰は進みませんよ」
は正しいが
「信仰が進まなければ救われませんよ」
と言ったら完全な邪義だともお聞きしました。私は前半も間違いだと思います。
それでも後半だけでも間違いだと判ってておられるのは、さすがだと思いました。その法論の申し出に対しての反応の鈍さに驚いています。
「正邪を明らかにする為になら喜んで受けて立つ」というS号ビラの精神があるのなら、
今回のような鈍い反応になるはずがありません。
あれは親鸞会の公約ですよね。何故そうなってしまうのか。高森会長自身が教義的に自信が無いからではないでしょうか。
「会長先生が無理ならば私が受けて立つ。」講師部員とはそういうものだと私は思います。
「go for broke」 あの弁論は今でも覚えています。感動しましたし、心からの叫びだったと信じています。今後何らかの進展が有ることをお待ちしています。うやむやに終わらせることはしません。
例えば「親鸞会は法論を受け付けない」これもひとつの結論です。このままですとそうなってしまい、何れ顛末を公表することになります。
お忙しいこととは存じますが、結果のご連絡をお願い致します。
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2011/11/12
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K <*****@jdss.jp> wrote:
●●●●様
ゆっくりと信心の沙汰をするように
お越しになってはどうですか?
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K
Email : *****@jdss.jp
2011/11/13(Sun) 12:18
-----------------------------------日付: 2011年11月23日23:56
件名: Re:Re: go for broke
K講師様お返事有難うございました。
私も大いに信心の沙汰をさせて頂きたいと思います。
他力真実の信心について語ることは素晴らしいですね。ところで、お聞きしたことについては答えて頂けないということで理解すればよろしいでしょうか。
先日の座談会の内容をある人から聞きました。
質問者は「どうすれば救われるのかの道=三願転入について、親鸞聖人以外は書かれていない」と話があったことについて疑問を感じ質問しています。普通に聞いていた人ならば、同じ疑問を抱くはずです。ところが、高森会長は質問者の内容には正面から答えず、自身の発言も訂正せずに「私の言い方がまずかったので、聞き間違えられた」ということにしてしまったそうですね。聡明なKさんなら判っておられると思います。
失礼ながら、こういった姿勢が講師部の方にも移っていると思います。
質問したことに正面から答えずにはぐらかすのは、ずるいことだと思います。会合などで、「こんなことを言っている者がいるが間違いだ」と言うのであれば、誰が何処で言っているという、具体的な文章をあげて話をすべきです。更にはそのものに対して質問をするなり、対決することが親鸞学徒の使命のはずです。それをしない親鸞会はもはや親鸞会ではないと私は思います。
一応、次のように判断させていただきます。
若し違っているようでしたたら連絡を下さい。先日の飛雲氏からのメールの内容は、誰にも伝わっていない。
結局のところ親鸞会としては法論というものをする気は無い。よろしくお願い致します。
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K <*****@jdss.jp> wrote:
Date:2011/11/24, Thu 07:15
Subject:Re: go for broke
私も大いに信心の沙汰をさせて頂きたいと思います。
他力真実の信心について語ることは素晴らしいですね。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(略)
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K
Email : *****@jdss.jp
2011/11/24(Thu) 07:05
-----------------------------------日付2011年11月24日21:28
件名Re:Re: go for brokeK講師様
わざわざ、質問を頂かなくても今までお渡ししている資料に書いてあるとおりです。
1.自力諸善を積めば獲信できる。
⇒これが親鸞会の主張だ、>>親鸞会の教義を批判している人で、このように言っている人はいないと思います。
『本願寺なぜ答えぬ』と同じで典型的な論理のすり替えです。2.=自分の力で三願転入すれば、獲信できる。
⇒これが親鸞会の主張だ、
2つの質問をくっつけてませんか?分けてみました。
①三願転入は自分の力でする。
>>1.と同じです。②三願転入すれば、獲信できる。(3.と同じ)
>>
親鸞会では、三願転入した=18願の世界に転入した=獲信した(救われた)と教えているはずです。同じ意味のことを何々すれば何々できると言って、何の意味があるのでしょうか。
3.=どうすれば救われるか?⇒三願転入すれば救われる。
⇒これが親鸞会の主張だ、
>>2.②と同じです。
4.⇒全く南无阿弥陀仏で救われるのだから、
善の勧めはいらない!>>理由と結論をくっつけた質問ですが、どちらが主体ですか?
救いに何が要るか、要らないかなどということは私には判断できません。5.善の勧めがいるのは、日常生活上のことであって、
獲信を目的として、善の勧めなどない!>>親鸞聖人は阿弥陀仏に救われる為に善をしなさいと仰っていないということであれば、
そう思っています。6.間違えやすい、説法をするな!
>>11/6の話を例にとれば、聞き間違えではなく質問者は正しく聞いています。
つまり、話している内容自体が誤っているか自己矛盾しているのです。
「領解文は三願転入のことを仰たものでは無かったのですか。」
という問いに誤魔化さずに真面目に答えるべきなのです。と〇〇君は思っているのではないですか?
>>親鸞会の人は1つの問いの中に2つの質問をくっつけて、誘導尋問のような質問をする癖がついています。よくご自分の文章を見てください。
7.⇒信心沙汰のために週末にお越しになっては如何ですか?
>>善の勧めがどうのこうのという話は、信心の沙汰とは思っていません。
今は無理ですが、いつかじっくりお話ししたいと思っています。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
上のようなことは、今までさんざん議論されてきたことです。
渡っているはずの資料を読めば判ることです。
今までのことに何の返事もなく、私に対して新たに質問をおこされていますが、普通は聞いた質問には普通に答えます。私がKさんにこのようにメールを送るのは、親鸞会や講師の人達の現状に疑問を持って欲しいからです。
これだけ教義的に批判されても正面から答えないことを通して「なんか変だ」と思うきっかけになればという思いだけです。
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2011/11/24
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K <*****@jdss.jp> wrote:
日付2011年11月25日9:15
件名Re: go for broke(意味不明の内容のため略)
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K
Email : *****@jdss.jp
2011/11/25(Fri) 09:12
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