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2011年11月15日 (火)

高森会長が読んだことのない『三経往生文類』

高森会長は、最近、

一願転入は間違いだ、三願転入が正しい

と強調しているそうです。また、

何十年と求めている会員が救われないのは、三願転入するのに時間がかかるからだ

と、言っている講師部員もいるようです。救いようのない思考です。

親鸞聖人が三願について詳しく書かれたものは、『教行信証』の他に『三経往生文類』があります。三願転入と言っている割には、『三経往生文類』について高森会長は説法でも講義でも著書でも取り上げたことがありません。書名だけは、『本願寺なぜ答えぬ』に出てますが、読んだことがないのでしょうね。
お勉強のために、親鸞聖人が『三経往生文類』で三願をどのように見られていたかを紹介しておきます。

18願

大経往生といふは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力と申すなり。これすなはち念仏往生の願因によりて、必至滅度の願果をうるなり。現生に正定聚の位に住して、かならず真実報土に至る。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆゑに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆゑに大経往生と申す、また難思議往生と申すなり。

(現代語訳)

「大経往生」というのは、如来が選び取られた海のように広大で不可思議な本願のはたらきによるものであり、これを他力というのである。これはつまり念仏往生の願(第十八願)に誓われた因により、必至滅土の願(第十一願)に誓われた果を得るのである。この世において正定聚の位に定まって、必ず真実の浄土に至る。これは阿弥陀如来の往相回向という真実の因によるものであるから、この上ない涅槃のさとりを開くのである。この教えを『無量寿経』のかなめとする。このようなわけで、「大経往生」といい、また「難思議往生」というのである。

19願

観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。これは他力のなかに自力を宗致としたまへり。このゆゑに観経往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。これを双樹林下往生と申すなり。

(現代語訳)

「観経往生」というのは、修諸功徳の願(第十九願)によって「至心発願」と誓われた要門に入り、さまざまな善や多くの行によって自ら積んだ功徳を回向し、浄土往生を願うのである。そこで『観無量寿経』には、定善・散善、三福の行や九品のさまざまな善、あるいは自力の念仏を説いて、九品それぞれに異なる往生をお勧めになっている。これは、他力の中で自力をかなめとして説かれた教えである。このようなわけで「観経往生」というのは、どれもみな方便の浄土への往生である。これを「双樹林下往生」というのである。

20願

弥陀経往生といふは、植諸徳本の誓願(第二十願)によりて不果遂者の真門にいり、善本徳本の名号を選びて万善諸行の少善をさしおく。しかりといへども定散自力の行人は、不可思議の仏智を疑惑して信受せず。如来の尊号をおのれが善根として、みづから浄土に回向して果遂のちかひをたのむ。不可思議の名号を称念しながら、不可称不可説不可思議の大悲の誓願を疑ふ。その罪ふかくおもくして、七宝の牢獄にいましめられて、いのち五百歳のあひだ自在なることあたはず、三宝をみたてまつらず、つかへたてまつることなしと、如来は説きたまへり。しかれども如来の尊号を称念するゆゑに、胎宮にとどまる。徳号によるがゆゑに難思往生と申すなり。不可思議の誓願、疑惑する罪によりて難思議往生とは申さずと知るべきなり。

(現代語訳)

「弥陀経往生」というのは、植諸徳本の願(第二十願)によって「不果遂者」と誓われた真門に入り、あらゆる功徳をそなえた名号を選んで善根の少ないさまざまな行を捨てるのである。ところが、自力で修める行にとらわれている人は、阿弥陀仏の不可思議の智慧を疑って信じずに、如来の名号を自分の善根とし、その功徳を自ら回向して、必ず浄土往生を果たしとげさせると誓われた願に頼るのである。本願に誓われた不可思議の名号を称えていながら、たたえ尽くすことも、説き尽くすことも、思いはかることもできない大いなる慈悲の心からおこされたその本願を疑っている。それは深く重い罪であり、浄土に生れても七つの宝でできた牢獄に閉じ込められて、五百年の間、自由に振舞うことができず、仏にも教えにも菩薩や声聞たちにも会うことができず、お仕えすることもできないと如来は説いておられる。それでも、如来の名号を称えるから、胎宮といわれる方便の浄土にはとどまるのである。あらゆる功徳をそなえた名号によるから、「難思往生」というのである。不可思議の本願を疑う罪によって、「難思議往生」とはいわないとしらなければならない。

ここで、三願は別物ということで、それぞれ関連付けられていません。

簡単にいえば、ここで親鸞聖人が仰っていることは、

浄土往生の道に3通りある。

18願他力念仏―報土往生

19願自力修善―化土往生

20願自力念仏―化土往生

ということです。つまり、19願・20願での化土往生を願うのではなく、18願の報土往生を願いなさい、ということです。

19願が18願に入るために必要な道程などという説明は全くありません。20願については果遂の誓いということで18願との関連をみることはできますが、それについても詳しく仰っている訳ではありません。

ですから、親鸞聖人は「三願転入という教え」を説いておられないことが判ります。

それで親鸞聖人は『正像末和讃』誡疑讃で自力修善の19願と自力念仏の20願を厳しく誡められているのです。報土往生するには他力念仏しかない、との御教示です。

ちなみに誡疑讃23首のうち1首のみ19願に関してです。後は20願の誡めです。つまり親鸞聖人は、19願をほとんど問題にされていないのです。
浄土門の人にとっては、19願は聖道門の人のための願であるから、とみておられたからです。浄土門の人にとって問題にすべきは20願ということが誡疑讃からも判ります。

ですから19願を勧められたお言葉もありません。誡疑讃の

如来の諸智を疑惑して
 信ぜずながらなほもまた
 罪福ふかく信ぜしめ
 善本修習すぐれたり

を、19願、20願を勧めらた親鸞聖人のお言葉と親鸞会では説明しており、昨年2月にM野講師を尊敬する一会員を名乗る人物が、この御和讃が19願を勧められた根拠、とコメントをして大恥をかいて逃亡しています。K講師も、同じことを今でも言っているようです。

これまで何回か解説しましたが、簡単にいえば、この御和讃は、20願成就文を言い換えられただけです。『三経往生文類』の弥陀経往生のところに

願(第二十願)成就の文、『経』(大経・下)にのたまはく、「それ、胎生のものの処するところの宮殿、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること、忉利天上のごとし。またみな自然なり。そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、〈世尊、なんの因なんの縁にか、かの国の人民、胎生・化生なる〉と。仏、慈氏に告げたまはく、〈もし衆生あつて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修し、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して、その国に生れんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳ならん。つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず、このゆゑにかの国土、これを胎生といふ。{乃至}弥勒まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑに。その胎生のものはみな智慧なし〉。

とあります。この「この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して」の部分の言い換えです。従って、19願とは無関係の御和讃です。この御和讃だけみると意味が判らないと思いますので、これに続く御和讃

仏智を疑惑するゆゑに
 胎生のものは智慧もなし
 胎宮にかならずうまるるを
 牢獄にいるとたとへたり

七宝の宮殿にうまれては
 五百歳のとしをへて
 三宝を見聞せざるゆゑ
 有情利益はさらになし

の3首で、20願成就文を顕されているのです。

三願転入という概念にとらわれていると、親鸞聖人のお言葉が理解できなくなります。19願も20願も間違った道であるから、18願を願いなさい、これを親鸞聖人は教えられているのです。覚如上人も蓮如上人も同様です。

会員が何十年と求めていても救われないのは、教えが間違っているからです。間違った教えを何万年聞いても救われません。当たり前のことです。

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コメント

過去のエントリを見て思ったんですけど、親鸞会サイドの会員さんのコメントがほとんどありませんね。(お聖教に基づかない非論理的なものはいくつか目にしましたが)
もしかして、コメント削除なんてことはありませんよね?

投稿: 半分会員 | 2011年11月15日 (火) 18時27分

半分会員 様

M野講師を尊敬する一会員、親鸞会擁護の自称退会者はコメントしてますよ。同一人物でしょうけど。
なお、迷惑、荒らしのコメント以外は、削除していません。

投稿: 飛雲 | 2011年11月15日 (火) 18時51分

ですよね。実際に私のコメントは残ってますし。
このブログを見ている現役の会員の人ってどれくらいいるんでしょうね。法話のある日のアクセス数の変化でおおよそわかったりしませんか?

投稿: 半分会員 | 2011年11月15日 (火) 18時59分

半分会員 様

具体的なことはいえませんが、現役会員も結構見ていると思いますよ。

投稿: 飛雲 | 2011年11月15日 (火) 19時56分

教義から離れますが、コメントにM野講師を尊敬するとありましたが、尊敬するしないは個人的なことで、なん人も立ち入れませんが、過去にMのに一杯喰わされたのです。過去のコメントで彦根の平和堂で○○きしたとありました。哀れで何も言えませんが、本当に尊敬に値する講師でしょうか。

投稿: 過去に会員 | 2011年11月15日 (火) 20時13分

過去に会員 様

これは本人ですよ。

投稿: 飛雲 | 2011年11月15日 (火) 20時32分

飛雲さま
親鸞会の会員は、聖人の、「ここをもって愚禿釈の鸞、論主のげぎを仰ぎ、宗師の勧化によりて・・・」の
言葉を持ち出して、親鸞聖人は、三願転入を勧められた、と言い出すのですが、これを打ち破られた飛雲さまの
エントリは、バックナンバーのいつのを見ればいいですか。教えてください。

投稿: 富山の売薬人 | 2011年11月15日 (火) 20時52分

M野講師は、いまだに(飛雲)と名乗り、意味不明のコメントをしているのですか。M野講師は平和堂の一件で執行猶予の除名となり、綱渡りで講師をしていると聞きました。もう年齢も50歳ですが、M野講師がネット対策員をしていましたが、いまだにしていましたか。M野講師見ていたら、よく聞いて下さい。あなたは何を目的として親鸞会と縁を持っていますか、求道歴も30年を越えて何を高森会長から得たのですか、恥を知って下さい。
飛雲さん、すいませんこんなコメントをしまして。

投稿: 過去に会員 | 2011年11月15日 (火) 21時04分

過去に会員 様

>M野講師は、いまだに(飛雲)と名乗り、意味不明のコメントをしているのですか。

これは書き間違いですか?
M野講師がこのブログで飛雲と名乗ったことはありません。

投稿: 飛雲 | 2011年11月15日 (火) 21時11分

富山の売薬人 様

以下のところを読んでみてください。

三願転入の背景
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-5f03.html

批判をかわすためのその場凌ぎ教義
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-b760.html

”方便より真実に入れ”の正しい意味
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-ebe5.html

論も証拠もない、善のすすめ
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-c472.html


18願の「十方衆生」の御心
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-3b3c.html

偽の二種深信が立っていることを公言している偽の獲信者
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-a787.html

投稿: 飛雲 | 2011年11月15日 (火) 21時23分

早速のお返事、ありがとうございます。読みます。

投稿: 富山の売薬人 | 2011年11月15日 (火) 21時56分

すいません早とちりでした。
しかしM野講師がコメント(妨害)していたとは、驚きです。M野講師は親鸞会を代表(悪徳)する講師です。M野講師に限らず講師歴30年を越えての講師は、自分に嘘、会員に嘘、世間(勧誘する人)に嘘をつきながら生きています。高森会長自身が嘘(盗作)で固めた仏法人生ですから仕方ありません。
親鸞会運営(一族)者もネット社会になり、会員一人の声が広く多数に知れ渡る社会になりましたから騙しにくく不満でしょう。不満でも現在の親鸞会は逃げ切った感もあります。
親鸞会元講師のブログも複数存在しており、親鸞会講師部に真実を追求する方がおられました。私は尊敬の念に絶えません。飛雲様これからも親鸞会と高森会長を善行にお導き下さい。
ありがとうございました。

投稿: 過去に会員 | 2011年11月16日 (水) 06時46分

過去に会員 様

有難うございます。
会長が懺悔して、悪行を改めることはあり得ないでしょうが、会員にはなんとか気が付いてもらいたいものです。そのために、できるだけのことはしていくつもりです。

投稿: 飛雲 | 2011年11月16日 (水) 20時30分

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