« 親鸞会の”善の勧め”を完全に否定されているのが親鸞聖人 | トップページ | 高森会長が読んだことのない『三経往生文類』 »

2011年11月11日 (金)

法論に関わりたくないK講師

その後、K講師から私の方にメールも電話も一切ありません。そんなK講師に対して、「法論はどうなったのか」、と尋ねた方があります。するとメールで返信があったそうです。内容は、

飛雲(私)に対して弘宣局に法論を申し込むように言ったのに、飛雲が「弘宣局はどうせ法論を受けないので、やる気がない」と言った

というものでした。

?????

K講師との過去のやり取りは、これまで紹介してきましたが、K講師には6通のメールを送っていますが、返事は一度だけ

あなたは誰ですか?

電話も私から5回かけて、1回だけしか繋がりませんでした。
私がK講師に宛てて最後に出したメールは

K 様

先日は電話で失礼しました。
○○さんより、用件は聞いております。相手は高森会長が望ましいですが、弘宣部とでも法論は致します。
つきましては、その取り次ぎをお願いします。
私の主張はブログに書いてある通りですが、一部だけ送らせて頂きます。
親鸞会の教義について、根本から否定したものですので、これについての反論として、親鸞会の名前で文章で出すようにお願いします。

mixi内の信仰と対話コミュニティの*「三願転入」議論継続トピック*

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313

等の、公開された場での法論しか私は応じませんので、御了承ください。

宜しくお願い致します。

○○

でしたが、これについての対応を問いただしているのに、上記のような的外れというか誤魔化しと言った方がいい返答を、K講師が第三者にして恥ずかしく思わないのでしょうか?

これまでのやりとりから、K講師が私との法論に直接間接共に関わりたくないことだけははっきりしました。それなら最初から、「飛雲と法論をする」「飛雲は間違っている」「飛雲は異安心」などと言わないことです。高森会長同様に、指を銜えて見ていればいいのです。

親鸞会お得意の、断章取義も詭弁も誤魔化しも、今では全く通用しません。負け犬の遠吠えしか残っていません。

本当に情けないものです。高森会長も講師部員も、親鸞会の教義がこんなに脆いものだと以前は全く思っていなかったでしょう。しかし、これが現実です。邪教と馬鹿にしている他の宗教団体でも、ここまでお粗末ではないです。他の宗教団体の布教師は、自分たちの信じる教義の正しさを、必死に訴えます。従いまして、親鸞会には会員がたくさんいたとしても、すでに崩壊しています。形式上、存続しているだけです。

当ブログでは、親鸞会が出してくる聖教上の御文について、解釈を悉く覆してきました。それで、別の根拠の新しい解釈を考えているようですが、それもすべて覆しておきます。

最近K講師は、『教行信証』信巻・信楽釈

一切凡小、一切時のうちに、貪愛の心つねによく善心を汚し、瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。

に対して、親鸞聖人が「頭燃を灸ふがごとく」善をされたことを仰っているから、親鸞聖人は善を勧めておられる、という訳のわからない説明をしていると聞きました。これについては、以前に

自力信心で修する善を雑毒の善という

で詳しく解説しておきました。この御文は善を勧められたのではなく、その反対で、「頭燃を灸ふがごとく」善をしても報土往生はできないと、善を否定されたお言葉です。それはこの元となった『散善義』至誠心釈を、親鸞聖人が読み替えられていることでも明らかです。

『教行信証』信巻に引かれた至誠心釈の最後

不善の三業はかならず真実心のうちに捨てたまへるを須ゐよ。またもし善の三業を起さば、かならず真実心のうちになしたまひしを須ゐて、内外明闇を簡ばず、みな真実を須ゐるがゆゑに至誠心と名づく。

(現代語訳)

衆生がおこなう不善の三業すなわち自力の善は、如来が因位のとき、真実の心において捨てられたのであり、その通りに捨てさせていただくのである。また善の三業は、必ず如来が真実の心において成就されたものをいただくのである。聖者も凡夫も、智慧ある人も愚かな人も、みな如来の真実をいただくのであるから、至誠心というのである。

と仰っています。たとえ「頭燃を灸ふがごとく」した善であっても、それは「不善の三業」であるから、阿弥陀仏が捨てられた通りに、捨てよ、です。「頭燃を灸ふがごとく」善をせよ、という解釈など成り立つ訳がないです。これも断章取義の典型です。

親鸞会がどんな根拠を出してきても、解釈はすべて間違っています。
騙せる人にだけ、秘事法門を与えることでしか、会員を繋ぎとめておくことができないのでしょう。
完全に終わっています。

|

« 親鸞会の”善の勧め”を完全に否定されているのが親鸞聖人 | トップページ | 高森会長が読んだことのない『三経往生文類』 »

コメント

一切凡小、一切時のうちに、貪愛の心つねによく善心を汚し、瞋憎の心つねによく法財を焼く。急作急修して頭燃を灸ふがごとくすれども、すべて雑毒雑修の善と名づく。

教学聖典にあるお言葉ですが、もしかして最初からこのお言葉を善のすすめの根拠として教学聖典に載せていたんでしょうか。親鸞会の教えに全く疑問を持っていなかった時でもこのお言葉は虚仮・雑毒の善では報土往生できない、というお言葉にしか読めなかったのですが。

投稿: 半分会員 | 2011年11月12日 (土) 17時15分

半分会員様

元々は、「人間は、真実の善のできないもの」つまり、雑毒の善しかできないものという意味で教学聖典に載せられていました。それが最近になって、「雑毒の善でも善だから、善を勧められている」とか、「頭燃を灸ふがごとく善をして、真実の善のできないことが初めて知らされる」というようなことを言っているようです。その論理は全く理解できないのですが、何でも言えばいいと思っているのでしょう。
とにかく、親鸞聖人が善を勧められた直接のお言葉がないことは、親鸞会も判っているのですから、善に関係するお言葉を出すことで、親鸞聖人が善を勧められている筈だ、と主張したいだけです。

はっきり言って、無茶苦茶です。

投稿: 飛雲 | 2011年11月12日 (土) 17時42分

 「日本三大美文」という言葉を、無知で虚言壁のあるTから聞いたことがあります。

そんな言葉があるのですか?

日本三大一覧 (Wikipedia)  
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E5%A4%A7%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E3.83.BB.E9.A2.A8.E5.88.BA

の中でさえありません。

日本三大随筆 のパクリでしょうか?

投稿: 元会員 | 2011年11月12日 (土) 20時22分

会長はなかなか頭がいいですね。とにかく騙せる相手だけを騙せるうちに騙して儲けようと言う訳ですね。
会長に操られて仏法を謗って無間地獄に落ちるK講師は哀れです。

投稿: | 2011年11月12日 (土) 20時30分

元会員様

三大なんとか、というのは、眉唾物が多いです。高岡大仏を三大大仏と、富山ではいいますが、全国的には全く認知されていません。奈良、鎌倉の次は、我が町の大仏で、これこそは三大大仏の1つといっているところがいくつもあります。
そんなところではないでしょうか。


名無し様

会長が頭がいいと言えるかどうかは別として、多くの人が騙されてきたことは間違いないことです。

投稿: 飛雲 | 2011年11月12日 (土) 22時12分

>三大なんとか、というのは、眉唾物が多いです。

世間の認識と、カルトの中でしか通用しないデタラメ認識の差が激しすぎますね。
Tの言葉を鵜呑みにする子供たちに未来はありません。

投稿: 元会員 | 2011年11月13日 (日) 06時22分

>会長が頭がいいと言えるかどうかは別として

まあそれは、別として
無知であることは確かです。

盗作して良いか悪いかさえ知らない。

ウソをついて良いか悪いかさえ知らない。

これを無知といわずして、何と表現するのでしょう。www

投稿: 岡山の元会員 | 2011年11月14日 (月) 05時58分

しかし、善をやる気持ちにもなれませんが、どうしてですか?弥陀の一人働きではないのですか?

投稿: ベタ男 | 2011年11月22日 (火) 12時25分

ベタ男 様

弥陀のひとり働きですから、善をやる気の起こる人も、起こらない人も隔てなく救われます。

投稿: 飛雲 | 2011年11月22日 (火) 18時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 親鸞会の”善の勧め”を完全に否定されているのが親鸞聖人 | トップページ | 高森会長が読んだことのない『三経往生文類』 »