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2011年11月 5日 (土)

K講師を通じて親鸞会に法論を申し込みましたが、音沙汰なし。

先日K講師と電話で話をしましたが、K講師は「親鸞会に法論を申し込め」というので、それが無駄であることを知らせるために、10月30日の早朝に以下のメールをK講師に実名で送りました。なお、このメールには「親鸞会の邪義を正す」の内容を添付してあります。

K 様

先日は電話で失礼しました。
○○さんより、用件は聞いております。相手は高森会長が望ましいですが、弘宣部とでも法論は致します。
つきましては、その取り次ぎをお願いします。
私の主張はブログに書いてある通りですが、一部だけ送らせて頂きます。
親鸞会の教義について、根本から否定したものですので、これについての反論として、親鸞会の名前で文章で出すようにお願いします。

mixi内の信仰と対話コミュニティの*「三願転入」議論継続トピック*

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53217382&comm_id=2135313

等の、公開された場での法論しか私は応じませんので、御了承ください。

宜しくお願い致します。

○○

このエントリーを書いている時点では、K講師から何の返事もありません。
親鸞会に法論を申し込んでも、親鸞会は逃亡するだけです。今回は、それを証明するのが目的です。万が一、親鸞会が法論を受けるなら、喜ばしいことです。親鸞会の惨敗を多くの会員の目に触れるように仕向ければ、退会者続出は間違いないからです。

さて、昨年春にmixi上で行われた法論は、管理者である親鸞会会員によってトピックごと削除されています。逃亡だけでなく削除までしなければならないほどの親鸞会の大惨敗でした。なぜ大惨敗を喫したのかといえば、親鸞会側の出してきた根拠がすべて否定されてしまったからです。親鸞会の出す根拠は、解釈がすべて間違っていることを、前後の御文、他の根拠と共に示されて、反論できなくなり、新たな根拠を出せば、また同じことになると恐れて、親鸞会理論以外には何も言えなくなったからです。親鸞会理論には根拠がありませんから、その根拠を出すように、迫り続ければ、逃亡するよりしかたがないのです。

mixiでの法論で親鸞会が主張する

19願の対機は「十方衆生」だから、18願を願い求めている人も19願を通らなければならない

の根拠は、『教行信証』化土巻・要門釈

ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

でした。今でもこれを根拠にしているようで、最近のエントリーでも

法論をするから連絡しろ、と言うので、連絡すると敵前逃亡。

で書いた通り、これの前の御文を示すことで、その解釈の誤りを簡単に指摘できます。
次に親鸞会が出してきたのが、『一念多念証文』

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。
この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。

でした。この「浄土の方便の善」を宿善と親鸞会側は解釈したのですが、正しくは「欣慕浄土の善」ということで、先の要門釈と同じことを仰っているのです。最近では

偽の二種深信が立っていることを公言している偽の獲信者

に書きました。親鸞会の主張する解釈に根拠はなく、根拠を出すように再三再四言われて考えた挙句に自信満々に回答したのが

4.『一念多念証文』にある「浄土の方便の善」が「宿善」という根拠

これは、確かに申し上げました。
根拠は、

「いずれの経釈によるとも、すでに宿善に限れりと見えたり」(御文章)

の一言で充分でありましょう。

でした。これも、『御文章』の前の御文、覚如上人の御文等を示すことで、その解釈が完全に否定されて親鸞会はますます窮地に陥ったのです。
詳しくは

いづれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり

いづれの経釈によるとも、すでに宿善にかぎれりとみえたり(補足)

に書いておきました。
mixiでの法論では、これ以降、新たな根拠を出すことはありませんでした。ここまで徹底的に否定されると、新たに根拠が出せないのも当然でしょう。

もし皆さんが親鸞会の講師や会員と法論することがあったならば、親鸞会が出してくる根拠をすべて否定すればいいのです。ほとんどは、前後の御文を示すだけで終わりです。

親鸞会と法論をして勝つことは、実に簡単なことです。高校生程度の古文を読む能力があれば誰でも親鸞会に勝てます。あとは、根拠に基づかない詭弁に惑わされないことだけです。

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コメント

昔、K講師は法論の話をする時に「法論は、公開でしないと意味がない」というようなことを言っていました。
いざ、公開での法論をいどまれると無視を決め込む、というのはみっともないですね。

投稿: たかし | 2011年11月 6日 (日) 06時21分

たかし 様

それが親鸞会です。

投稿: 飛雲 | 2011年11月 6日 (日) 07時15分

ネットで親鸞会への教義批判がなされて久しいですが、
それ以前の親鸞会なら、実際に本願寺に法論を挑んでいたように、
法論を受けてたつと思います。

それを受けないのは、負けると分かっているか、
どうも簡単には勝てない気がする、といったことに気付いている
からだと思われます。

親鸞会はもうどうしようもないですね。
法論で負けたあかつきには、会員が次々とやめていくように思います。

投稿: | 2011年11月 7日 (月) 23時21分

御文章 2帖目 第9通
「南無阿弥陀仏といえる行体には、一切の諸神・菩薩も、その他万善・万行も、悉くみなこもれるが故に、何の不足ありてか諸行・諸善に意を留むべきや。すでに南無阿弥陀仏といえる名号は、万善・万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。」

今回のエントリとは全く関係ないですけど、このお言葉について講師の方たちはなんと反論されているんでしょうね?

投稿: 半分会員 | 2011年11月 8日 (火) 00時51分

「「何の不足ありてか諸行・諸善に意を留むべきや」とわざわざ言われるのは、すでに諸行・諸善に執着している人に対してだけです。みなさんはまだそこまでも行っていない。この御文章の御心を得るためにこそ善をしなければなりません」ということでしょう。

投稿: | 2011年11月 8日 (火) 19時38分

先の名無し 様

簡単には勝てないではなく、負けることが判っているからでしょう。


半分会員 様
後の名無し 様

後の名無しさんが言われている通りのことを、講師は言ってくると思います。では、

>この御文章の御心を得るためにこそ善をしなければなりません

という根拠を尋ねればいいです。勘違いの根拠か親鸞会理論をいうしか能がないでしょう。

投稿: 飛雲 | 2011年11月 8日 (火) 21時17分

なるほど。確かにそのような感じがしますね。

なんと言いますか、お聖教の言葉をどのように解釈するのかは自由なので誰がどのように解釈してもいいと思うんですけど、それを明記して欲しいですね。というかそのように自覚して欲しいですよね。「私たちはこのように解釈しています」のような感じで。その上で根拠を示さないといけないですよね。

投稿: 半分会員 | 2011年11月 8日 (火) 22時49分

本日 11月 9日 午前 7時ですが、携帯で
(飛雲)と検索したら、飛雲が出ません。通常ならウェブサイトで飛雲、次が国宝飛雲 西本願寺になります。何か事故が発生したのでしょうか。このコメントは別の飛雲のブログからのコメントです。
心配です。

投稿: | 2011年11月 9日 (水) 07時08分

PCでgoogleなら、トップに出てました。

投稿: | 2011年11月 9日 (水) 07時52分

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