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2011年10月23日 (日)

親鸞聖人の教えに矛盾はなく、高森会長の教えには矛盾しかない

高森会長は、「親鸞聖人の教えは矛盾としか思えない」というようなことをよく言います。この前の750回忌でも、そのことを強調していました。そのことは「安心問答」でもすでに取り上げられています。
しかし、それは高森会長の教えが矛盾しているのであって、親鸞聖人の教えが矛盾しているのではありません。以前にも書きましたが、

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ

これだけ親鸞聖人の教えと真逆のことを説いている高森会長が、「親鸞聖人の教えは矛盾」と言っていること自体、滑稽です。

たとえば、

・すべての人は、善人と悪人に分かれる。
・悪人とは、善の有ること無しで、善をしようとも思わない人である。
・善人に対して、釈尊は善を説かれ、阿弥陀仏は19願を建てられた。悪人に対しては、釈尊は念仏を勧められ、阿弥陀仏は18願を建てられた。
・善人も真実の善はできないから、阿弥陀仏が真実の善を回向してくだされるので、悪人はそれをそのまま受け取るだけであり、善人も真実の善ができないことを自覚して18願他力念仏に帰依しなければ報土往生はできない。
・従って、諸善・19願は自力の善に拘る善人のための方便であるから、方便を捨てよ。

と親鸞聖人は教えておられます。矛盾はどこにもありません。
ところが高森会長は、

・すべての人は、逆謗の極悪人である。
・極悪人は善ができると自惚れている。
・極悪人に対して、釈尊は善を勧められ、阿弥陀仏は19願を建てられた。
・善のできない極悪人に、善の勧めがあるのは矛盾としか思えない。
・しかし、善をさせてみて善のできないことを知らせるために、善が勧められている。
・また、善をして宿善を厚くしなければ獲信できない。
・従って、諸善・19願は、悪人が必ず通らなければならない方便であるから、方便の善を実践せよ。

と言っています。高森会長の頭の中でも矛盾しているものを、無理やり会員に押し付けて、矛盾が矛盾と感じなくなったのが獲信だ、というように誤魔化しているだけなのです。

親鸞聖人の教えは実に簡単なのです。『歎異抄』

他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。まことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問して、本願のむねをしるべきなり。経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。

一文不通にして、経釈の往く路もしらざらんひとの、となへやすからんための名号におはしますゆゑに、易行といふ。学問をむねとするは聖道門なり、難行となづく。あやまつて学問して名聞・利養のおもひに住するひと、順次の往生、いかがあらんずらんといふ証文も候ふべきや。

(現代語訳)

本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。
浄土に往生するために、この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。
本当に、このことがわからないで迷っている人は、どのようにしてでも学問をして、本願のおこころを知るべきです。経典や祖師方の書かれたものを読んで学ぶにしても、その聖教の本意がわからないのでは、何とも気の毒なことです。

文字の一つも知らず、経典などの筋道もわからない人々が、容易に称えることができるように成就された名号ですから、念仏を易行というのです。学問を主とするのは聖道門であり、難行といいます。学問をしても、それによって名誉や利益を得ようという誤った思いをいだく人は、この世の命を終えて浄土に往生することができるかどうか疑わしいということの証拠となる文もあるはずです。

とある通りです。

本願を信じ念仏を申さば仏に成る

親鸞聖人の教えは、これだけです。親鸞会の会員は

経釈をよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。

でもなく、

高森会長の矛盾した教えをよみ学すといへども、聖教の本意をこころえざる条、もつとも不便のことなり。

でしかありません。
よくよく考えて頂きたいものです。

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コメント

飛雲さんの連絡先教えていただけませんか?

投稿: | 2011年10月24日 (月) 19時31分

名無し 様

hiuns@livedoor.comに連絡ください。

投稿: 飛雲 | 2011年10月24日 (月) 20時01分

善知識の聴聞にまさる、善はない。行学せずとも、聴聞をするうちに、信心決定するのではないか。ただ、求道の道程で、善を励もうとする時が、二合目に」あると、言われている、やがて、方便と気づく。丁度真ん中を、合点という。それは、信心決定では、なく、その後、阿弥陀仏の本願が、本当だろうか、という、偽情が、大きくなってくる。そして、真仮の水際では、機の深信と法の深信が、一念同時にたち、助かる。

投稿: ベタ男 | 2011年11月28日 (月) 16時11分

ベタ男さん

高森邪義からまだ脱することができていないようです。
一度高森邪義を頭から払拭して、お聖教を読まれることをお勧めします。

投稿: どんちゃん | 2011年11月28日 (月) 17時27分

清沢満史とかですか?マルクス教学。

投稿: ベタ男 | 2011年11月29日 (火) 11時39分

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