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2011年10月11日 (火)

信心を偽装しているのがバレバレのお粗末さ

多くのブログで、親鸞会の教義を徹底的に扱き下ろしているのに、今では正面から反論する人は、親鸞会には誰もいません。過去に親鸞会挙げて法論に挑んでも、ただの1度も親鸞会は勝てなかったのですから、当然でしょう。
さて現在の親鸞会では、弘宣部のW講師が信心を偽装して、不審会員の説得にあたっているそうです。
W講師曰く、

私は全人類が逆謗の屍とはっきり知らされた、これが知らされていない者は異安心だ

お笑いです。七高僧も親鸞聖人も覚如上人も蓮如上人も異安心だと誹謗しているのと同じです。どなたも、W講師と同じことを仰った方はありません。

龍樹菩薩と天親菩薩は、機の深信にあたるお言葉すら残しておられません。
ちなみに『教学聖典』の


 我々の実機を七高僧は何と言われているか示せ。

 龍樹菩薩──儜弱怯劣
 天親菩薩──普共諸衆生
 曇鸞大師──造罪の人
 道綽禅師──若し悪を造ることを論ずれば
          何ぞ暴風駛雨に異ならん
 善導大師──機の深信
 源信僧都──予が如き頑魯の者
 法然上人──愚痴の法然房・十悪の法然

のデタラメと、これらさえも逆謗でないことを

高森会長を非難しているのですか、あるいは七高僧のことを異安心だと誹謗しているのですか?

でもすでに述べています。

曇鸞大師の機の深信にあたるお言葉は、『讃阿弥陀仏偈』にある

われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。
一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。

です。曇鸞大師は、煩悩虚妄の業によって三界をはてしなくめぐり、六道を抜け出せず、三悪道に留まっていることを仰ったのですが、どこをどう読んだら逆謗の屍という意味になるのでしょうか?これは曇鸞大師は逆謗の屍ではないと否定されたお言葉にしかなりません。
善導大師は『散善義』

一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

と機の深信を仰っていますが、もう一つ『往生礼讃』にもあります。

自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。

共に、自力では出離できないということであって、逆謗の屍という意味は全くありません。何度も述べていますが、善導大師が悪人と仰っているのは、『玄義分』

仏法・世俗の二種の善根あることなし。ただ悪を作ることを知るのみ。

とある通りですので、「善根薄少」と御自身のことを仰った善導大師は、悪人ではなく、ましてや逆謗の屍でもないことになります。

法然上人は『往生大要鈔』で

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰り、『浄土宗大意』でも

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

と仰っています。これを法然上人が

私は全人類が逆謗の屍とはっきり知らされた、これが知らされていない者は異安心だ

と仰ったお言葉と理解するようなら、小学生以下です。

親鸞聖人ももちろんW講師と同じことを仰った箇所は皆無です。逆謗の屍という言葉は、『高僧和讃』曇鸞讃

名号不思議の海水は
 逆謗の屍骸もとどまらず
 衆悪の万川帰しぬれば
 功徳のうしほに一味なり

だけです。五逆罪、謗法罪の人でさえも阿弥陀仏の功徳に包まれたならば、一味平等の世界に入ることができる、と教えられたお言葉です。このお言葉から、全ての人が「逆謗の屍」という解釈にはなりえません。

蓮如上人も親鸞聖人と同じです。
そのことは

自称獲信者との論争6

『御文章』の正しい読み方

でも書いた通りです。

親鸞会のお目出度い発想はこうです。

逆謗の屍でも助ける ⇒ 全人類は逆謗の屍

どんな教育を受けてきたのかと思います。
口先では、飛雲と法論する、と言っている講師部員がいますが、実際には何もできません。なぜなら親鸞会の主張には、根拠がないからです。

W講師にしても、根拠が皆無なのです。正しい信心がどんなものであるのか、根拠に基づかない話を、体験でしか語れないのです。
親鸞会のHPにある

体験至上主義ともいわれる彼らの生命線は、そんな体験談なのだ。 彼らに、体験談を話すな、書くなということは、親鸞学徒に、親鸞聖人の教えを説くな、教えるな、というのに等しい衝撃である。 生命を断たれることになるからだ。

が、自分のことであるとも判らないのです。
なお、当ブログは、体験談を語ったことはありません。聖教上の根拠でしか教義も信心も説明したことがありません。従って、体験至上主義の親鸞会が、法論に勝つことは決してないのです。

内輪に向けて、虚勢を張るのが関の山です。

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コメント

親鸞会は、「邪見にして驕慢」の会なのですか? もう少し穏やかに・・・、仏教研究会らしい雰囲気で協議の場とできないのですか??  「親鸞会」が、歎異抄で親鸞が嘆いたような有様を,堂々と公開してそれをくりかえしているではないかと、見ました。 お笑いだよ!?
 反省したまえ! 少なくとも、『安心立命』を追求する宗教・仏教の場所でなくてはならないはずですよ?!
  次元を疑います。 実に、今、末法の世の中ですね?! あなたたちが,それを実証しているではないか。   (*_*)

投稿: 本田哲康 | 2011年10月14日 (金) 18時20分


あんたがた、高森さんの話をよくよく聞きなさいよ。私情が入っとるわ。
わしらからみても間違えたことは言うとらん。

以上や。

投稿: 若輩、大谷派の僧侶です。 | 2011年12月 3日 (土) 22時59分

若輩、大谷派の僧侶です。さん

親鸞会批判のどこがどう間違っていないのか説明はなしですか。
偽装が下手ですね。

投稿: どんちゃん | 2011年12月 3日 (土) 23時05分

若輩、大谷派の僧侶です。様

以下を聖教に基づいて、私情を入れずに書きましたが、御意見をお願いします。

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ


8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない

投稿: 飛雲 | 2011年12月 4日 (日) 18時47分

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