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2011年9月29日 (木)

開山のめされ候ふやうには、絶対にしない高森会長

高森会長は、親鸞学徒をとっくに辞めています。そのことは「安心問答」でも紹介されている内容でも判ります。
18日の2000畳座談会で『御一代記聞書』

なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ

のお言葉を出して、親鸞学徒を

蓮如上人は親鸞聖人の教えられていることは絶対だ。分かるわからない、そんなものではないんだとこのように、私もわからん。なんでそんなことをなされたのか、分からんけれども、間違いのない親鸞聖人の言われたことだから、なされたことだから私らもその通りやろう。こういうこの、親鸞聖人に対する信じ方。

と定義しています。
ならば、こう言っている高森会長は親鸞学徒といえるのかどうか。考えるまでもありません。
高森会長は親鸞学徒とは反対です。蓮如上人の親鸞聖人に対する信じ方とは、正反対です。

これが判らない人は、未だに高森会長のマインドコントロール下にあるといえます。一応説明しておきますと、前回紹介したソイ氏のブログを利用すれば

1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻
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高森会長 必堕無間

2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている

3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である

4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない

5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力

6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ

です。これで

間違いのない親鸞聖人の言われたことだから、なされたことだから私らもその通りやろう。

と言っているのですからお笑いです。高森会長の思考自体が破綻しているのです。

この裏付けは、これまでに当ブログで膨大な根拠を挙げて説明してきたし、これについての反論は、アンチKKK氏(vez063氏・DORO氏)は全くできません。その通りであるからです。

参考までに、Amebaでソイ氏にペタ(足跡)をつけた講師部員がいます。しかも2度も。
それは、おかもん氏です。
ソイ氏は、おかもん氏に法論を申し込みましたが、完全に無視です。おかもん氏にメッセージを送っても、ブログにコメントをしても、返事さえしません。

また当ブログにコメントをされた半分会員氏が、講師部員に私と法論をするように要請されたそうですが、2週間経っても、何の連絡もありません。

これが親鸞会の実態です。

高森会長は親鸞聖人の仰ったことを無視しているのは明らかですし、親鸞聖人が仰っていないどころか、親鸞聖人が否定されたことを、

これこそが親鸞聖人の真意だ

と公言しているのですから、善鸞と何も変わりません。

親鸞学徒を徹底的に否定して、高森学徒を生み出している高森会長も、会員減少にかなり焦っているようです。
高森会長には不可解な言動が多く、それを「深い御心」と解釈されていますが、何のことはありません。実に単純な、煩悩のままに動いているだけの小者です。

お山の大将でいられるのも、あと僅かでしょう。

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コメント

おかもんさんは存じ上げておりますが、一般の出版社からの出版計画はどうなったんでしょうか。所属を隠していたことが問題にされて、保留とされてしまったのでしょうか。
気がかりです。

投稿: | 2011年9月30日 (金) 01時30分

元々学徒という言い方は高森会長が言い出したのですね?
戦時中戦意高揚のためのプロパガンダで使われていた呼称を
仏教において肯定するような使用は適切ではないと思います。

投稿: | 2011年10月 2日 (日) 19時01分

先の名無し 様

おかもん氏の出版はどうなったのか、私も知りません。


後の名無し 様

もともとは、華光会の伊藤師が使った言葉だと聞いたことがあります。パクリは名人ですから。

投稿: 飛雲 | 2011年10月11日 (火) 05時13分

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