親鸞会は、外道の法か秘事法門
先日の2000畳座談会の内容は、雑行についてであったそうです。その内容を参加した人から、教えて頂きました。
雑行とは、阿弥陀仏に救われ、浄土へ往きたいと思っておこなう諸善万行
蓮如上人は、雑行をやっている人に、投げ捨てよ、振り捨てよ、と仰っている。何も持たない人に、投げ捨てよという必要がない。酒飲むなというのは、酒を飲んでいる人に対していう。
雑行の無い人は、弥陀の救いを求めていない人、後生の一大事が問題になっていない人。
このように高森会長は説明していました。相変わらずです。
これまで当ブログで相当に詳しく、たくさんの根拠を挙げて説明してきました。当ブログは難しいと言われる読者の方もありますので、今回は簡単に復習して、まとめておきます。
昔も今も、阿弥陀仏の救いを求めている人の大半は、念仏を称えている人です。阿弥陀仏に救われるために、諸善万行をしている人の方が少ないです。つまり、弥陀の救いを求めている人でも、雑行の無い人はたくさんいます。この時点で、高森理論の矛盾が明らかです。
仏教の戒律の最も基本的なものが、五戒ですが、その中に、不飲酒戒があります。これは、酒を飲んでいる人に対してだけ言われたのではありません。酒を飲んでいない人に対しても、定められている戒です。まさか、酒を飲まない人には酒を飲ませてから、酒飲むな、と教えられているという馬鹿なことをいう人はありません。そんな馬鹿なことをいうのは、高森会長だけです。
同様に、雑行をしていない人には、雑行をさせてみてから、雑行を捨てよと教えられているという馬鹿な教えは、ある筈もありません。
高森会長も説明していました
雑行とは、阿弥陀仏に救われ、浄土へ往きたいと思っておこなう諸善万行
これを、定散二善といいます。ですから雑行を捨てよとは、定散二善を捨てよ、ということです。雑行を捨てよと仰って、蓮如上人が勧められていることは、仁義です。つまり、倫理道徳の善です。
定散二善を捨てて、倫理道徳の善をしなさい
これが蓮如上人の仰っていることです。定散二善と倫理道徳の善とを混同させて、会員を騙しているのが高森会長です。
さて、今回の座談会でも説明していたように高森理論はこうです。
十方衆生は逆謗の者で、例外はない。だから死んだら必ず無間地獄に堕ちる。
これが判らないから、それを判らせるために釈尊は八万四千の法門で善を勧められ、観無量寿経で定散二善を説かれ、阿弥陀仏は19願を建てられた、
というものです。根本的に狂った教えであり、何一つ根拠がありません。
以前にも当ブログで取り上げたアンチKKK氏のブログ、
でも、全く同様のことを書いています。アンチKKK氏の根拠が高森理論ですから、当然です。それを当ブログの読者が、徹底的に論破しています。
そのまとめを紹介しておきます。
仏法と外道の法との違い
1.獲信していない人の死後はどうなるか
釈尊 六道輪廻
七高僧 六道輪廻
親鸞聖人 六道輪廻
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vez063氏 必堕無間2.五逆罪・謗法罪について
釈尊 造っている人と造っていない人がいる
七高僧 造っている人と造っていない人がいる
親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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vez063氏 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている
3.善人と悪人について
釈尊 善人と悪人とがいる
七高僧 善人と悪人とがいる
親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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vez063氏 善人はいない、すべての人は悪人である
4.獲信のために善は必要か
釈尊 念仏1つ、獲信に善は不要
七高僧 念仏1つ、獲信に善は不要
親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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vez063氏 善をしなければ絶対に獲信できない
真宗と外道の法との違い
5.白道とは
親鸞聖人 自力の心にあらず
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vez063氏 自力
6.定散二善について
親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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vez063氏 定散二善をせよ
vez063氏の主張に、お聖教の根拠は全くありません。だから、vez063氏の主張は仏法でも真宗でもない秘事法門か外道の法。
万が一根拠があるなら出してみよ。出せないのに、関係のないことをいって誤魔化すな。
アンチKKK氏(vez063氏)も、高森理論に聖教上の根拠がないことは認めているのです。実際ありません。
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コメント
『信心を欠いた自力的な念仏者は本願を疑うことによって、浄土の片隅にある辺地に生まれるのですが、疑った罪を償ってからは真の浄土に生まれさせて頂き悟りを開かせて頂くのだと親鸞聖人からお聞きしております。信心を頂いている真の念仏者が少ないため、とりあえず一人でも多く仮の浄土である方便浄土に生まれさせようとなさっているのであって、その多くの人たちは「結局むなしく地獄へ堕ちてしまうだろう」などということは阿弥陀さまに嘘をつかせていることになるのです』と唯円同行は嘆いているのに、会の信者は「ひらく」を通して17章を目にし讃える。滑稽の極まりではなかろうか。なお、『』訳は東本願寺の僧によるものである。
投稿: 蝉丸 | 2011年9月27日 (火) 20時01分
蝉丸さま
蝉丸さんの書かれていることは、その通りなんですが化土往生は臨終来迎が無いと駄目みたいですので、
親鸞聖人も勧められておりません。
親鸞会は、お念仏さえ勧めないのですから化土往生も無理と思われます。
せっかく親鸞会を離れ本当の浄土真宗を目指すなら聖人の言われる通り報土往生を願うべきです。
我々の心は、すぐ楽に流れるので化土と聞くと訳も分からず最低でも化土には往けると思いこんでしまいます。
本当の化土往生は大変な道だと思うのです。
まあ親鸞会の19願からでは問題外ですが。
ところで、「安心問答」にも書かれていましたが、
「ワシの命令は絶対だ。無条件に従え。」は、専任講師が約束させられていることですが、
とうとう一般会員にもそう言わないと駄目なところまで来たのですね。
「質問には一切答えない。ワシの言うことが全て正しい。無条件に従え。」と。
戦争と天皇のことを言っていましたが、それで負けたんでしょ。
反省しないと駄目ですよ。
DORO氏のブログに書かれていましたが、造悪無碍とは会長の事か思いました。
やりたい放題、言いたい放題、会員を食い物にし、会員の後生の一大事などほったらかし。
そのうち、「化土には往けるから大丈夫だ。」と言い出すんじゃないですかね。
ちょっと会長に対して怒りがこみ上げてきましたので書かせてもらいました。
会長のお陰で今の私があるのは間違いありませんが、今の親鸞会はでたらめです。
しかし、無理ですね、もう、カルトになっていますから。
会長は、絶対反省されることが無いと言うことを確信しました。
残念。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
投稿: とくよしみね | 2011年9月27日 (火) 22時41分
門徒歴数年の新米です。
普段は時間の無駄なので親鸞会系のブログは読まないのですが、リンクが張ってあったのでつい目を通してしまいました。
速攻で”アウト”でした。
自力のにおいがプンプンして気持ちが悪くなりました。浄土真宗の言葉をちりばめてですからなおさら気持ちが悪くなりました。
”vez063のブログ”自信たっぷりなんですが、大丈夫なんでしょうかね?
高森某の御信心とvez063の御信心はまったくもって同じものだと自信持って言えるんでしょうね??? 法然上人が善信房におっしゃったように。
突っ込みどころ満載のブログ中”邪義の者は、信心よりも念仏ばかりに力を入れる。”
とありますが、ちょうど、歎異抄を目を通してるところでしたが、ありましたね。第十一章”「なんじは誓願不思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」といひおどろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはす”
そのまま地でいってますね。何で”信心”と”念仏”が分離してしまったんじゃろ?
投稿: 新米 | 2011年9月27日 (火) 23時57分
蝉丸 様
とくよしみね 様
新米 様
会長も講師部員も一般会員も、皆狂っています。根拠も理屈もないも関係ない、会長の欲望にまみれた思いつきで発した言葉がすべてです。
この団体には何も期待していませんが、何も知らない会員だけは、脱会させたいです。
投稿: 飛雲 | 2011年9月28日 (水) 20時06分