« 当たり前の当たり前の当たり前ですが、「定散諸機」≠「極重の悪人」 | トップページ | 悪凡夫には諸善が勧められていないから「他の方便なし」 »

2011年8月 1日 (月)

「凡夫のためにして聖人のためにせず」「常没の衆生」とは?

偽装本願寺布教師も、高森会長同様、法論から逃げ回っていますが、親鸞聖人の正しい教えを明らかにするためであれば、公けの場で法論をすればいいのです。ブログでこそこそ書いているよりも、その方が話が早いです。いつも書いている通り、私はいつでも法論に応じます。ただし、日本語の理解できる人に限ります。

私以外にも、親鸞会もしくは親鸞会擁護者を論破したい退会者は一杯います。具体的な場所としては、

mixiの「信仰と対話」コミュニティ内「*「三願転入」議論継続トピック*」

がよいでしょう。ここであれば、発言やトッピックの削除の心配はありませんので、思う存分議論ができます。
逃亡し続ける高森会長に代わって法論をする勇気のある人は、いつでも法論に応じましょう。
法論に応じられないなら、黙っておきない。

さて、親鸞会には、他では通用しない親鸞会用語がありますので、その用語の間違いから正していかなければなりません。

これは、退会後でも親鸞会用語が抜け切らず、聖教が正しく読めない状態が続きますので、深刻な問題です。当ブログの読者からそのことで要望があり、親鸞会用語の間違いから、今後は説明していきたいと思います。

善導大師は『玄義分』

さだめて凡夫のためにして聖人のためにせずといふことを証す。

と仰っていますが、親鸞会では、この「凡夫」を「悪凡夫」、もっといえば「下品下生」の逆謗の屍としか理解できないのですが、この「凡夫」は「善凡夫」と「悪凡夫」です。
善導大師がこのように仰ったのは、当時の中国では、『観無量寿経』の九品の中で上品の三生と中品の三生は、聖人等のために説かれた、という解釈であったために、その誤りを正されてこのように仰ったのです。当時の解釈は以下です。

初めに諸師の解といふは、先づ上輩の三人を挙ぐ。上が上といふは、これ四地より七地に至るこのかたの菩薩なり。なんがゆゑぞ知ることを得る。かしこに到りてすなはち無生忍を得るによるがゆゑなり。上が中とは、これ初地より四地に至るこのかたの菩薩なり。なんがゆゑぞ知ることを得る。かしこに到りて一小劫を経て無生忍を得るによるがゆゑなり。上が下とは、これ種性以上より初地に至るこのかたの菩薩なり。なんがゆゑぞ知ることを得る。かしこに到りて三小劫を経てはじめて初地に入るによるがゆゑなり。

この三品の人はみなこれ大乗の聖人の生ずる位なり。次に中輩の三人を挙げば、諸師のいはく、中が上とはこれ三果の人なり。なにをもつてか知ることを得る。かしこに到りてすなはち羅漢を得るによるがゆゑなり。中が中とはこれ内凡なり。なにをもつてか知ることを得る。かしこに到りて須陀洹を得るによるがゆゑなり。

中が下とはこれ世善の凡夫にして、苦を厭ひて生ずることを求む。なにをもつてか知ることを得る。かしこに到りて一小劫を経て羅漢果を得るによるがゆゑなり。この三品はただこれ小乗の聖人等なり。

下輩の三人はこれ大乗始学の凡夫なり。過の軽重に随ひて分ちて三品となす。ともに同じく一位にして往生を求願すとは、いまだかならずしもしからず、知るべし。

ここで「善凡夫」に関係する上品上生から中品下生までをまとめると

上品上生……これ四地より七地に至るこのかたの菩薩なり。
上品中生……これ初地より四地に至るこのかたの菩薩なり。
上品下生……これ種性以上より初地に至るこのかたの菩薩なり。
中品上生……これ三果の人なり。
中品中生……これ内凡なり。
中品下生……世善の凡夫にして、苦を厭ひて生ずることを求む。

ということです。
上輩(上品の三生)については

この三品の人はみなこれ大乗の聖人の生ずる位なり。

とあり、中輩(中品の三生)については

この三品はただこれ小乗の聖人等なり。

と当時は解釈されていたのです。
それに対して善導大師が、「さだめて凡夫のためにして聖人のためにせず」と仰ったのです。聖人等のために三福は説かれたのではなく、凡夫のために説かれたということです。そしてこの凡夫は「悪凡夫」ではなく「善凡夫」であることは、その後の善導大師の解釈を読まれれば明らかなことです。

上品上生……まさしくこれ仏世を去りたまひて後の大乗極善の上品の凡夫、日数少なしといへども、業をなす時は猛し
上品中生……またこれ仏世を去りたまひて後の大乗の凡夫、行業やや弱くして
上品下生……ただこれ仏世を去りたまひて後の一切の大乗心を発せる衆生、行業強からずして
中品上生……またこれ仏世を去りたまひて後の小乗戒を持てる凡夫なり。
中品中生……ただこれ仏世を去りたまひて後の無善の凡夫、命延ぶること日夜、小縁のその小戒を授くるに逢遇ひて、回して往生を願ず。
中品下生……ただこれ仏法に遇はざる人、孝養を行ずといへども、またいまだ心に出離を希求することあらず。ただこれ臨終に善の勧めて往生せしむるに遇ふ。この人勧めによりて回心してすなはち往生を得。またこの人世にありて自然に孝を行ず、また出離のためのゆゑに孝道を行ぜず。

何度もいいますように、仏教では大きく

聖者
善凡夫
悪凡夫

と分けられます。
三福を「聖者」(聖人)に対して説かれたのではなく、その1つ下の「善凡夫」に対して説かれたと仰ったのであって、「善凡夫」を飛び超えて「悪凡夫」のために説かれたと飛躍させるのが親鸞会のトリックです。
聖者」は出離していますので、当然ながら「常没の衆生」ではありません。「善凡夫」は出離していませんので、「常没の衆生」です。常識です。

この基本的なことを無視して、「常没の衆生」は「悪凡夫」と同義のことであり、下品下生のことであると、勝手に思い込んでいるだけのことです。親鸞会で根拠もなく言い続けている

十方衆生=逆謗の屍

と大沼師が書いたのをそのまま鵜呑みにして、高森会長が話をしているだけですが、それが染みついていると、親鸞会のトリックに騙されます。
しかし、仏教の常識、真宗の常識を学べば、親鸞会のトリックが容易に見破れます。

『観無量寿経』で教えられていることを一言でいえば、存覚上人の『持名鈔』

上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。

です。

|

« 当たり前の当たり前の当たり前ですが、「定散諸機」≠「極重の悪人」 | トップページ | 悪凡夫には諸善が勧められていないから「他の方便なし」 »

コメント

絶対に法論には応じないね。
それが高森さんだから。
自ら汚れるようなことは一切されない。
会員の後生より、自分の家族の法が大事なんです。
それが高森顕徹会長なんです。

残念です。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

とくよしみね

投稿: とくよしみね | 2011年8月 1日 (月) 22時24分

法と方を間違えました。
分かりますよね。
でも一応訂正しておきます。

投稿: とくよしみね | 2011年8月 1日 (月) 22時25分

とくよしみね 様

高森会長が法論に応じることは絶対と言ってもいいほどないでしょう。
高森会長が勝つ見込みは0です。

投稿: 飛雲 | 2011年8月 2日 (火) 06時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 当たり前の当たり前の当たり前ですが、「定散諸機」≠「極重の悪人」 | トップページ | 悪凡夫には諸善が勧められていないから「他の方便なし」 »