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2011年8月29日 (月)

悪人正機とは善人傍機

親鸞会では、善人悪人の理解が無茶苦茶で、善人は存在しないし、全人類は逆謗の極悪人と本気で信じ込んでいます。そのために、嘘や窃盗、不倫などの十悪を犯すことに罪の意識は全くなく、謗法罪でさえも朝飯前です。

アンチKKK氏もその典型です。間違いを散々指摘されているにも関わらず、以下のことを平気で書いています。

「vez063のブログ」
親鸞聖人の人間観に、単純な理解を断じて許すな

悪人正機とは、
法の深信から言うと、
苦悩の人が正客ということ。
機の深信から言うと、
正しい機様は悪人であるということ。

いずれにしても、真実の機は悪人であることと、真実の法は悪人を救う本願
であるということで、機法は相応する。

悪人とは、人間の代名詞。

悪人目当てとは、人間を助ける本願ということ。

一方で、善悪の凡夫とか、
凡聖逆謗など、
善悪相対で教えられているところが
非常に多い。

善人悪人一応分けてあるのは、
歎異抄に限らず、
ほとんどの御聖教では
そのような表現になっている。

真宗学の御聖教でさえも、
そうなのだ。

御聖教に、
善悪の人
とか、
悪人でも助ける
とか、
そういうお言葉があるからといって、
善人もいるかのように思っているのは、
全く聖人の教えられた人間観が
わかっていないのだ。

聖人のおっしゃる『悪人』に、
単純な理解を許し、
罪人でも、悪人でも、
という表現だから
そうでない人もいる、
などど言っている安易な知識には、
現に注意すべきである。

この論法を
親鸞聖人の教えで
横暴に振りかざし、
聖人の人間観、『悪人』の意味を、
歪曲する邪義が百鬼夜行しているのが
現状である。

自分の非を認めることができずに、どうやって体面を保つかしか考えていないのです。
悪人正機については、すでにコメントで『口伝鈔』を教えているのです。

一 如来の本願は、もと凡夫のためにして聖人のためにあらざる事。

 本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人、仰せられていはく、「世のひとつねにおもへらく、悪人なほもつて往生す、いはんや善人をやと。この事とほくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆゑは五劫思惟の苦労、六度万行の堪忍、しかしながら凡夫出要のためなり、まつたく聖人のためにあらず。しかれば凡夫、本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願虚設なるべし、力徒然なるべし。しかるに願力あひ加して、十方衆生のために大饒益を成ず。これによりて正覚をとなへていまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば御釈にも、〈一切善悪凡夫得生者〉と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人をやといふべし」と仰せごとありき。 

以前にも

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り29

で少し述べましたが、18願を悪人正機と言われるのは、悪凡夫が正機で善凡夫が傍機、という意味です。全人類が悪人ということではなく、全人類の中で悪人を正機とし、全人類の中で善人を傍機とするということです。善人が存在する前提で仰っていることは、中学生でも理解できるでしょう。
ここまで教えているにも関わらず、このエントリーです。
ここは、親鸞聖人のお言葉として覚如上人が紹介されたものですから、親鸞聖人、覚如上人の教えをアンチKKK氏は完全に否定して、平気なのです。
これで真宗を名乗っているのですから、呆れたものです。

親鸞会はトップが腐っていますから、講師部員も、そして一般会員に至るまで、外道と成っているのです。哀れなものです。

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コメント

アンチKKK氏は、高森会長を親鸞聖人よりも上に持ってきて、親鸞聖人のお言葉を、無理やり高森会長の言葉をあてはめて読んでいる印象です。よって、せっかく飛雲さんが根拠を挙げられても、御聖教の言葉を土俵にしていないので法論にならないのでしょう。
高森会長は最近「御聖教は私たちの相対の知恵に合わせて善悪相対で説かれている。本当は善人悪人の区別はないのだが、そう言っても相対の知恵しか無いものには分からないから善悪があるような説き方をされているのだ。」と言って、仏であるお釈迦様のかかれたお言葉までも勝手な解釈をしています。
会長は仏の悟りでも開いて仏意が分かるようになったとでもいうのでしょうか?
会長信心の人は、意味不明な会長の言葉を、深い御意の言葉で片付けて、お聖教の言葉を文章そのままに素直に読むことができない。あわれあわれ・・。
なぜ自分が会長をそこまで信じるようになったのか。アンチKKK氏にはそこをよく考えてみてもらいたいですね。

投稿: よこやり | 2011年8月30日 (火) 00時32分

M野さんまだ書き続けてますね。虎の絵になってますが、虎の説法ってことですかね?┐(´-`)┌

投稿: | 2011年8月30日 (火) 04時54分

アンチKKK氏本人が

>ほとんどの御聖教ではそのような表現になっている。真宗学の御聖教でさえも、そうなのだ。

と言うように、一部の御聖教だけではなく、ほとんどの御聖教でそのような表現になっている。しかし

>御聖教に、善悪の人とか、悪人でも助けるとか、そういうお言葉があるからといって、
>善人もいるかのように思っているのは、全く聖人の教えられた人間観がわかっていないのだ。

御聖教にそういう言葉があろうと、親鸞会の言う結論と違う主張をする人は判ってないのだ。

と言ってることからもよく解るでしょう

「御聖教にどう書いてあろうと、親鸞会の言う"人間=悪人(という結論)"と違う主張をする人は判ってない」

これが親鸞会の人間の、「お聖教にどう表現されているか」と向き合う時の姿勢なんです。

御聖教にどう書いてあるか・どう表現されているか、なんてことは、結論(親鸞会教義)から見れば些細なコトなんでしょうね。

「親鸞会の結論ではこうなっているが、御聖教では違う表現になっている。これはどういうことだろう。どうしてこういう結論になるのだろう?」とは考えない。

「親鸞会の結論はこうだ。御聖教ではこういう表現になってるが、ほとんどの御聖教でそうなのだ。
 
 だからといって、親鸞会の結論と違う事を言う人は判っていないのだ。」と考えるのが親鸞会

なるほど、信心獲得までずっと外道っていうのがアンチKKK氏の主張ですし、外道の人だから御聖教の中の表現がどうだろうとあまり関係ないんでしょうね。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 18時06分

アンチKKK氏、vez063のブログからDOROのブログに逃げて続けてますね。しかもコメント削除したようです。
S会は講師も一会員もやり方が卑劣ですね。

投稿: がすしつがかり | 2011年8月30日 (火) 18時08分

コメントを頂いた皆様

M野講師も、アンチKKK氏も、高森会長同様の支離滅裂、姑息さです。
親鸞会は上から下まで、ワンパターンなのですよ。

投稿: 飛雲 | 2011年9月 5日 (月) 06時27分

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