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2011年8月28日 (日)

「全人類=五逆謗法の者」は完璧な間違いということで決着です

アンチKKK氏は一会員らしいですから、他の人に対する影響もなく放置しておいてもいいのですが、アンチKKK氏の退会の御縁にでもなればと思い、引き続きvez063のブログでのやり取りを紹介しておきます。

当たり前のことですが、アンチKKK氏は

全人類=五逆謗法の者

という親鸞聖人のお言葉を全く挙げることができませんでした。
以前に必堕無間について

これらの解説には、
膨大な仏教の理解が必要です。

根拠も膨大になりそうです。

と書いておきながら、
徹底的に追求されると

そのためまた、そのようけ根拠を挙げるとも、申し上げてはいないはずです。

逆謗の、後生の結果の方から必堕無間のお言葉は挙げさせて頂き、明治以降の資料にも、そのような言葉が出ているようで、
伝統的な真宗学には
言われていたことと推察する。

だそうです。
根拠を挙げるとも、申し上げてはいない」「そのような言葉が出ているようで」「言われていたことと推察する」とは、いかにも親鸞会らしい言い訳です。

さて、コメント欄は非公開のままですので、アンチKKK氏への反論コメントの一部を紹介しておきます。

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あなたは

>親鸞聖人以降お三方のお言葉を物差しとしてゆくべきである

とも言われました。しかし、あなたの質問

>機の深信
>の立つおはたらきは、
>弥陀の本願の、
>どのようなお誓いによるものでしょうか。

これは、親鸞聖人以降お三方のお言葉には全くありませんが、何を誤魔化したいのでしょうか?
どこかの学者が言ったことを物差しとして言いたいのでしょうか?
自分が言ったことを首尾一貫させること位は、最低しておくべきでしょう。

そして、あなたが一切衆生必堕無間について明かにするということであったので、

>では宗祖親鸞聖人のお言葉で
>全人類=五逆謗法の者
>という根拠を10くらい簡単に挙げてください。

と書きましたが、未だにその根拠の1つも出てきていません。もちろん出せる筈もありません。ないのですから。

そして何を血迷ったのか、『教行信証』総序のお言葉

しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしめ、浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲してなり。

を出してきました。意味が分からないのでしょうか?

これは全人類の中で逆謗闡提の機をも救うのが阿弥陀仏の十八願であるということです。全人類=逆謗闡提の機
ということではなく、逆の
全人類≠逆謗闡提の機
ということです。「斉しく苦悩の群萠」ですから、逆謗闡提の機も斉しくです。
日本語は理解できますか?
常識ですが、観無量寿経に出てくる重要な登場人物である頻婆娑羅王は、逆謗闡提の機ではありません。親鸞聖人は逆謗闡提の機に、頻婆娑羅王は入れておられませんよ。

自分の首を絞める根拠を出して喜んでいる暇があれば、即座に

>では宗祖親鸞聖人のお言葉で
>全人類=五逆謗法の者
>という根拠を10くらい簡単に挙げてください。


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二種深信を定義されたのは、前にもいいましたが存覚上人です。『六要鈔』には、

次に深心を釈する中に、「二者」等とは、これ経文を牒す。「深」等というは、能信の相を明かす。「亦有」等とは、所信の事を顕かす。これ則ち機法二種の信心なり。「無有」等とは、正しく有善・無善を論ぜず、自の功を仮らず、出離は偏に他力に在ることを明かす。聖道の諸教は盛んに生仏一如の理を談ず。今の教は自力の功なきことを知るに依りて、偏に仏力に帰す。これに依りて、この信は殊に最要なり。「無疑」等とは、「若不生者不取正覚」、正覚既に成ず、故に無疑という。「即得往生住不退転」一念誤ることなし、故に無慮という。

二種深信と本願文とを対応して書かれているのは、法の深信と「若不生者不取正覚」だけです。機の深信に対応する本願文については記されていません。
ちなみに蓮如上人は存覚上人のことを『御一代記聞書』

存覚は大勢至の化身なりと[云々]。しかるに『六要鈔』には三心の字訓そのほか、「勘得せず」とあそばし、「聖人の宏才仰ぐべし」と候ふ。権化にて候へども、聖人の御作分をかくのごとくあそばし候ふ。まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。かやうのことが名誉にて御入り候ふと[云々]。

とまで大絶賛されていますので、あなたは認めたくはないでしょうが、存覚上人のお言葉も物差しとすべきでしょう。

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あなたは、

>親鸞聖人以降お三方のお言葉を物差しとしてゆくべきである

と言われましたが、それを撤回されるということですね。
都合よく、七高僧を除外されたり、都合のいい学説を用いたりと、実に自分勝手ですね。

では、十方衆生が逆謗の一機という学説を根拠と共にお示しください。

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ではお約束通り、親鸞聖人の
全人類≠五逆謗法の者
という根拠を列記しましょう。

『正信偈』
凡聖・逆謗斉しく回入すれば

定散と逆悪とを矜哀して

『教行信証』行巻・海釈
「海」といふは、久遠よりこのかた凡聖所修の雑修・雑善の川水を転じ、逆謗闡提・恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実・恒沙万徳の大宝海水と成る。これを海のごときに喩ふるなり。まことに知んぬ、『経』に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水と成る」とのたまへるがごとし。{以上}
願海は二乗雑善の中・下の屍骸を宿さず。いかにいはんや人・天の虚仮・邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。

『教行信証』信巻・真仏弟子釈
禅に参はり性を見ること、たれか高玉・智覚にしかんや。みな社を結び、仏を念じて、ともに上品に登りき。

『教行信証』信巻・『浄土論註』引文
問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

『教行信証』信巻・『散善義』引文
この義、仰いで抑止門のなかについて解す。四十八願のなかのごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障極重なり。衆生もし造れば、ただちに阿鼻に入りて歴劫周章して、出づべきに由なし。ただ如来、それこの二つの過を造らんを恐れて、方便して止めて〈往生を得ず〉とのたまへり。またこれ摂せざるにはあらざるなり。また下品下生のなかに五逆を取りて謗法を除くとは、それ五逆はすでに作れり、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発して摂取して往生せしむ。しかるに謗法の罪は、いまだ為らざれば、また止めて〈もし謗法を起さば、すなはち生ずることを得じ〉とのたまふ。これは未造業について解するなり。

『教行信証』信巻・五逆追釈
一つにはことさらに思うて父を殺す、二つにはことさらに思うて母を殺す、三つにはことさらに思うて羅漢を殺す、四つには倒見して和合僧を破す、五つには悪心をもつて仏身より血を出す。

『教行信証』化土巻・聖浄二道判
まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。

『浄土和讃』
臨終現前の願により
 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらはして
 定散諸機をすすめけり

『高僧和讃』
釈迦は要門ひらきつつ
 定散諸機をこしらへて
 正雑二行方便し
 ひとへに専修をすすめしむ

『愚禿鈔』
二機とは、
一には善機、        二には悪機なり。
(中略)
また善機について二種あり。また傍正あり。

一には定機、二には散機なり。[『疏』(序分義 三八一)に「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。文]
(中略)
また悪機について七種あり。

一には十悪、        二には四重、
三には破見、        四には破戒、
五には五逆、        六には謗法、
七には闡提なり。

『唯信鈔文意』
 「不簡貧窮将富貴」といふは、「不簡」はえらばず、きらはずといふ。「貧窮」はまづしく、たしなきものなり。「将」はまさにといふ、もつてといふ、ゐてゆくといふ。「富貴」はとめるひと、よきひとといふ。これらをまさにもつてえらばず、きらはず、浄土へ率てゆくとなり。
 「不簡下智与高才」といふは、「下智」は智慧あさく、せばく、すくなきものとなり。「高才」は才学ひろきもの、これらをえらばず、きらはずとなり。
 「不簡多聞持浄戒」といふは、「多聞」は聖教をひろくおほくきき、信ずるなり。「持」はたもつといふ、たもつといふは、ならひまなぶこころをうしなはず、ちらさぬなり。「浄戒」は大小乗のもろもろの戒行、五戒・八戒・十善戒、小乗の具足衆戒、三千の威儀、六万の斎行、『梵網』の五十八戒、大乗一心金剛法戒、三聚浄戒、大乗の具足戒等、すべて道俗の戒品、これらをたもつを「持」といふ。かやうのさまざまの戒品をたもてるいみじきひとびとも、他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。みづからの、おのおのの戒善、おのおのの自力の信、自力の善にては実報土には生れずとなり。
 「不簡破戒罪根深」といふは、「破戒」は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけて、やぶりすてたるもの、これらをきらはずとなり。「罪根深」といふは、十悪・五逆の悪人、謗法・闡提の罪人、おほよそ善根すくなきもの、悪業おほきもの、善心あさきもの、悪心ふかきもの、かやうのあさましきさまざまの罪ふかきひとを「深」といふ、ふかしといふことばなり。すべてよきひと、あしきひと、たふときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかひにはきらはずえらばれずこれをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。

『尊号真像銘文』
「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

『末灯鈔』
師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。

悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまゐりてのち、衆生利益にかへりてこそ、さやうの罪人にもしたがひちかづくことは候へ。

善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。

すべて、五逆謗法の機以外の機がいることを示されています。
弥勒菩薩や龍樹菩薩まで、五逆謗法の機だなどと、まさか考えているのではないでしょうね。

全人類=五逆謗法の者
という根拠がなければ、
一切衆生必堕無間
は間違いということですが、御理解いただけますか?

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コメント

親鸞会の講師でさえ、
一切衆生必堕無間の根拠を尋ねられると、
「そんな言葉はない」
「だけど、それを高森先生が分かりやすく教えて下さっているんだ」
と平気で答えています。

これは、つまり親鸞会は仏教ではなく、高森教だということです。

親鸞会の会員は、根拠を高森会長の言葉に求めます。
高森会長が言うことは全て正しい、とおもっていますので。

一切衆生必堕無間は、
親鸞会が高森教であることを示す、
分かりやすい御言葉だと思います。

投稿: | 2011年8月30日 (火) 00時30分

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