« 廃立の意味くらいは勉強しておきましょう | トップページ | アンチKKK氏のブログ »

2011年8月24日 (水)

廃立が未だに理解できない人のために

読者の方より、三重廃立の出典について教えて頂きました。

昭和12年に発刊された本願寺派宗学院編『本典研鑽集記』に、「真仮偽の三重廃立」として内外対弁、聖浄対弁、三願対弁とあります。
同様の内容は、大原性實著『教行信証概説』(昭和34年)、神子上恵龍著『現代人の真宗概論』(昭和43年)、村上速水著『親鸞教義の研究』(昭和43年)、久堀弘義著『真実に遇う-教行信証講話-』(平成12年)にもあります。

もちろん、信一念で三重廃立できる、というような驚くようなことは、どこにも書かれていません。
これも高森会長のパクリ損ないでしょう。

いうまでもないことですが、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は、三重廃立と仰った個所はありません。

さて、廃立と言えば法然上人の『選択本願念仏集』です。

三輩章

諸行を廃して念仏に帰せしめんがためにしかも諸行を説くといふは、善導の『観経疏』(散善義)のなかに、「上よりこのかた定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」といふ釈の意に准じて、しばらくこれを解せば、上輩のなかに菩提心等の余行を説くといへども、上の本願(第十八願)に望むるに、意ただ衆生をしてもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。
しかるに本願のなかにさらに余行なし。三輩ともに上の本願によるがゆゑに、「一向専念無量寿仏」といふ。

(現代語訳)

諸行を廃して念仏に帰せしめるために諸行を説くというのは、善導の《観経疏》の中に、
《観経》の初めから、定善・散善の両門の利益を説いてきたけれども、阿弥陀仏の本願に望めてみると、世尊の思し召しは、人々をして一向に専ら阿弥陀仏の名号を称えさせることにあるのである。
といわれた釈の意に準じて、しばらくこれを解釈すると、上輩の中に菩提心などの余行を説かれているけれども、上の本願に望めてみると、世尊の思し召しはただ衆生をして専ら阿弥陀仏の名号を称えさせるにある。ところが、本願の中に更に余行はない。三輩共に上の本願に依るから「一向に専ら無量寿仏を念ずる」と説かれているのである。

とありますし、念仏付属章には、また

また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。
例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。

(現代語訳)

また定・散の諸行を説くことは、念仏がその他の善に超え勝れていることを顕わすためである。もし定散の諸行がなかったならば、どうして念仏が特に秀でた行であることを顕わされようか。例えば《法華経》が、それ以前の説、同時の説、それ以後の説の三説の上に秀でているようなものである。もし三説がなかったならば、どうして《法華経》が第一に秀でていることを顕わされようか。ゆえに今、定散の諸行はこれを廃するために説き、念仏三昧はそれを立てるために説かれるのである。

と教えられています。

このように諸善を廃して念仏を立てることを仰っていますが、これが信一念でしかできないと思っているなら、余程無知なのでしょう。法然上人は三心を具した念仏、つまり他力念仏を勧められていることは当然ですが、三心を具していない念仏、つまり自力の念仏も勧められています。これは常識ですから、根拠は要らないかもしれませんが、高森会長も、親鸞会の会員も、本当に何も知りませんので、一応根拠を挙げておきます。

『十二箇条問答』

浄土を欣えどもはげしからず、念仏すれども心のゆるなることを嘆くは往生のこころざしのなきにはあらず。こころざしのなき者はゆるなるを嘆かずはげしからぬをも悲しまず。
急ぐ道には足の遅きを嘆く、急がざる道にはこれを嘆かざるがごとし。
また好めばおのずから発心すと申す事もあれば、漸漸に増進して必ず往生すべし。

日ごろ十悪五逆を造れる者も臨終に初めて善智識に遇いて往生する事あり。いわんや往生を願い念仏を申して我が心はげしからぬことを嘆かん人をば仏も哀れみ菩薩も護りて、障を除き知識に遇いて往生を得べきなり。

『念仏往生義』

また念仏すれども心の猛利ならざる事は末世の凡夫のなれる癖なり。その心の内にまた弥陀を憑む心のなきにしもあらず。
譬えば主君の恩を重くする心はあれども、宮仕する時いささか物憂き事のあるがごとし。
物憂しといえども恩を知る心のなきにはあらざるがごとし。
念仏にだにも猛利ならずば、いずれの行にか勇利ならん。いずれも猛利ならざれば、なれども一生空しく過ぎば、その終わりいかん。
たとい猛利ならざるに似たれども、これを修せんと思う心あるは、こころざしの験なるべし。
「好めばおのずから発心す」という事あり。功を積み徳を累ぬれば時々、猛利の心も出で来るなり。始めより、その心なければとて空しく過ぎば、生涯徒に暮れなん事、後悔先に立つべからず。

未信の人に対して、自力の念仏を励むように勧められています。信前に、諸善を廃して念仏を立てなさいと、法然上人は仰っています。

これでも、

信前の人でも、外道、聖道門を捨てることができるという
明快な根拠をお知らせ下さい。

というようなら、アンチKKK氏は、浄土真宗でも浄土宗でもありませんから、当ブログには場違いな存在ということです。

妄想は結構ですが、真宗を名乗ることは御遠慮ください。

|

« 廃立の意味くらいは勉強しておきましょう | トップページ | アンチKKK氏のブログ »

コメント

蛇足かも知れませんが、少し追記させていただきますと、
二雙四重の教判は『愚禿鈔』に組織的に説かれているのに対し、真仮偽判は、お聖教上に組織的に説かれたものではなく、教行信証全体の内容から、宗祖の教義について、後代の学僧がたが理論立てられたものです。また、真仮偽判は古来から言われていた名目(みょうもく)ではなく、大正時代から特に言われるようになったようです。
その真仮偽判(真…18願、仮…19、20願、聖道仏教、偽…外道)を詳細に解説されたのが『本典研鑽集記』の「三重廃立」です。
あくまで真宗教義の組立ての解説上、あるいは本典の解説上で言われる名目ですから、当然、昭和初期から現代の学僧がたに至るまで「三重廃立は信一念でたつ」云々などとどこにも言われてはいません。

S会の人が皆必死に述べるような「三重廃立は信一念でたつ」という『仮定』がお聖教上から正しいと言えるか否かは、前回までの記事で完全に否定されました。
さらに「三重廃立」という名目自体の出典と背景を知れば、何のことはない。彼らの主張は、本願寺派の教学を中途半端に学んだ会長が、お聖教の根拠もなく、手前勝手に言い出した出鱈目な珍説にすぎないことがよくわかりますね。

投稿: かきふらいすらぁ | 2011年8月24日 (水) 23時26分

業務連絡?
法然聖人関連の文章は、最近出来た「浄土宗全書」検索システムから引用するのが便利です。
http://www.jozensearch.jp/pc/

たとえば、『十二箇条問答』の例:
http://goo.gl/SWd0X
なお、WikiArcでは、聖典名#no##で科文noへリンクすることも可能です、為念。

投稿: 林遊 | 2011年8月25日 (木) 08時18分

親鸞会は、「信一念まで廃立はできないんだ!!」と強調することに一体なんの意味があるんでしょうか?

信一念までは、廃立のご教導に反発していてOKということなのかな。。

投稿: YGM | 2011年8月25日 (木) 08時40分

林遊さんへ
 さすが、知識!!勉強は大事ですね。
 ・・・難しいな~、根拠はお任せしました。

 さて、三重廃立を言い出したのって、三願転入の説が通らなくなったからか?
 いずれにしても、お粗末。
 
・・・それから訳の分からない書き込みに対する感想・・・

 親鸞会のネット対策員か、有名なM-noさんか知りませんが、有る意味有り難いですね。
 何度も、何度も皆さんの言葉を聞いているわけですから。
 
 ところで、数日前、M-haruさんが問題を起こした時の文章を再度、読んでみました。
 その時の会長の言葉は「○○、そんなに和合僧を乱しておもしろかったか。」というような
発言でした。
 やっぱり、そんな人だったのか、と改めて思わされました。
 とても残念でした。
 自分の子供がかわいいんですね。それで駄目にする親が沢山いると法話で話されていたのに。
 そんな人に仕えて、自分の人生を台無しにしている優秀な方々が哀れでなりません。
 生活の為そこにおられるなら、その生活をそのままに阿弥陀様に救われて欲しいと思います。
 皆さんの言葉は、あなた達に届かないでしょうが、阿弥陀様はあなた達を見捨ててはおられません。
 後、少しのところまで来ておられるのに、真実の法から逃げては駄目です。
 今生が最後のチャンスです。
 ここに書き込みをされている方達は、いろいろな方向から言われていますが、基本的に「阿弥陀様が現在、ただ今、私を救うと言われているのに何を勝手に自分でこじつけの根拠や条件つけているのですか。」と言われているのです。
 膨大な先師方のお言葉を根拠に「これでもか、これでもか」と阿弥陀様に成り代わって発言されているのをどう受け止められているのでしょう。
 それを読んで、むかついて、ただ、反論するために頑張っているだけなのでしょうか。
 真実開顕の為と肩肘はらずに、心をニュートラルにしてじっくりと読んでみてください。
 それと、あらゆる先師のお言葉を今一度じっくりと読んで味わってみてください。
 とてつもない深い阿弥陀様のご恩を知らされますよ。
 それでも「無二の善知識」が大事と思われるなら、完璧な「善知識だのみ」の異安心と自覚すべきです。
 皆さんの仏縁を念じます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2011年8月25日 (木) 21時44分

アンチKKKさんの書いているブログを見つけました。

vez063のブログ
http://ameblo.jp/vez06352/

アンチKKKさんですね、とコメントしても否定しませんでしたので、間違いないです。
それと、親鸞会邪義を書きまくっていますので、コメントで論破しまくったのですが、コメントはもちろん承認されず、誤魔化しのエントリーを延々と書き続ける始末です。

高森会長も、講師部員も腰抜けですから、一会員と思われるアンチKKKさんも、やはり腰抜けですね。

投稿: 退会者 | 2011年8月27日 (土) 14時31分

コメントを頂いた皆様

貴重な情報、有難うございました。

投稿: 飛雲 | 2011年8月27日 (土) 22時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 廃立の意味くらいは勉強しておきましょう | トップページ | アンチKKK氏のブログ »