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2011年7月23日 (土)

宿善と三願転入

宿善と獲信とは、大いなる関係があります。宿善の解説をする中で何度も何度も述べている通り、宿善とは

善知識に遇う因縁
18願の教えを信じて求めようとする因縁

です。そのことは、五重の義でも明らかです。五重の義については

「親鸞会の邪義を正す」
宿善の意味

で解説しました。また、覚如上人と唯善との法論を通して、以下の所で解説してあります。

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り4

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り5

さて、前回紹介した『往生要集』のお言葉には続きがあります。

問ふ。仏、往昔に、つぶさに諸度を修したまひしに、なほ八万歳にこの法を聞きたまふことあたはざりき。いかんぞ、薄徳のたやすく聴聞することを得る。 たとひ希有なりと許せども、なほ道理に違せり。

答ふ。この義、知りがたし。
(中略)
ゆゑに上人のなかにもまた聞くこと難きものあり、凡愚のなかにもまた聞くものあり。これまたいまだ決せず。 後賢、取捨せよ。

(現代語訳)

問う。仏は昔つぶさに諸の菩薩の行を修めたもうたが、八万年に及んでも、この法を聞くことができなかったという。どうして、功徳の少ないものが、たやすく聴聞することができようか。たとい、それは稀な例であると認めても、やはり道理に違うであろう。

答える。この義は、なかなか難しい。
(中略)
故に、すぐれた人の中にも、仏法を聞くことの難しいものがあり、愚かな人の中にも、仏法を聞くものがある。ところで、この義は、まだ決定したものではないから、後の賢い方々は取捨していただきたい。

源信僧都のような方でさえも、過去世の因縁について知ることは難しい、と繰り返し仰っています。「これまたいまだ決せず。 後賢、取捨せよ。」と明言をさけておられます。それにも関わらず、過去世のことが判ったような振りをするのが、どういうことか、少し考えれば判る筈です。

この源信僧都のお言葉を承けられまして、覚如上人が『口伝鈔』で宿善のあついうすいの定義を前回述べたようになされています。

過去世においてどのような因縁があったのか判らないけれども、今、善知識方の教えられる18願を聞いて、願い求めている、それが”宿善がある”とか”宿善あつい”と言うことです。従って、すでに18願を願い求めている人が、”宿善うすい”ということはありませんし、ましてや”宿善を厚くする”などということはないのです。

宿善の議論の発端となっている『観無量寿経』の下品下生の往生とは、平生に善をしていないし、仏法さえ聞いていない五逆の罪人が、過去世からの不思議な”宿善があって”あるいは”宿縁があって”、”宿善があつい”ので、臨終に善知識に遇うことができて、念仏により往生を遂げるのです。

以上の宿善の意味を踏まえれば、親鸞聖人の教えを聞き求めている人に対して、往生・獲信のために善の勧めがないのは当然なことです。

ところが、信前の者は圧倒的に”宿善うすい”者という、高森会長のデマに惑わされて、宿善うすき者は、宿善を厚くするために、法施・財施をせよ、と高森会長に利用されているだけなのです。

ついでに言っておきますと、この宿善と親鸞聖人の体験である三願転入との関係について、学問的に論じられることが真宗の学者の間ではあります。親鸞聖人が法然上人に遇われるまでに、過去世から聖道門の修行をされてきましたので、それを19願に置き換えられて、それが遇法の因縁、宿善となったのだから、他の人も18願の教えを願い求めるまでには、19願を通らねばらない、という考え方があるのです。これはつまり、18願を信じていない者が、19願を通って18願を願い求めるまでになる、そして信前の念仏者を20願の行者と考えれば、親鸞聖人の三願転入が他の人にも共通するという、という理論です。
これはもちろん、現在18願を願い求めている信前の人が、今から19願を通るという話ではなく、現在18願を願い求めている信前の人及び信後の人が、過去世において19願を通ってきたかどうか、ということです。

高森会長の布教の目的は、名利以外にはあり得ない

のところでも紹介しましたが、大沼師の三願転入論も、これと同じです。19願、定散二善は、「聖道の人を誘導するため」とした上で、信前の真宗の同行は皆20願にいるとしています。

明らかに高森理論とは異なっています。正統派の本願寺の学説と高森邪説が同じだと説明する愚か者がいますが、上記のことを理解する知能がないだけです。どんなに頑張っても議論に勝てないものですから、他人の意見を捏造するしかないのですが、その悪知恵だけは、人一倍のようです。

過去世のことをどの様に考えるかは、学問上では興味のあるテーマであるかもしれませんが、18願での救いを求める上では関係のないことですし、源信僧都でさえも判らないと仰っているのですから、余り詮索するのもどうかと思います。

我々が知るべきことは、覚如上人の『口伝鈔』にもあるように、

機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。

善悪のふたつをば過去の因にまかせ、往生の大益をば如来の他力にまかせて、かつて機のよきあしきに目をかけて往生の得否を定むべからずとなり。

ということです。

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コメント

M野講師のブログはなんだ!!
あんな嘘をついてまで、ブログを更新したいのか!!
誰でもすぐに嘘とわかるような嘘をついて、そんなことをしなければ親鸞会の教えを守れないのか!!

見損なった!!

これが親鸞会の実体だ。親鸞会を信じようとしたオレがバカだった。

長かった会員歴も、これでthe end.

投稿: 一応会員 | 2011年7月23日 (土) 22時08分

あの人は何でも引っ張ってくればいいと思って……大谷派の一住職が言っていたからといってそれが聖教に照らして正しいかどうかすら吟味しない。

投稿: | 2011年7月23日 (土) 23時56分

M野さんは、どこまでダラなのか。
お聖教上の御文を出せと言われて、安楽集を自信一杯で出したつもりが、見事に撃沈され、それでまた末寺住職の説を”正統派”として引っ張り出してきた。末寺でも高森会長と同じことを説いている善知識がいることを宣伝している。
もちろん、飛雲さんは「宿善と獲信は無関係」などと言われたことは一度もない。それを「宿善と獲信は無関係」と言われているように捏造して、印象操作を行っている。

これが唯一の真実の団体であり、善を勧める団体のする行為かどうか、読者は瞬時に判断してしまいます。

一応会員さんは、退会の決意をされたようで、実はM野さんは親鸞会を潰す努力をしているなら、応援しますよ。

投稿: M野さんへ | 2011年7月24日 (日) 05時10分

一応会員 様

偽装本願寺布教師のお陰ですね。おめでとうございます。


名無し 様
M野さんへ 様

何か書かないといけないから書いた、というものでしょう。読む価値はありません。

投稿: 飛雲 | 2011年7月25日 (月) 22時05分

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