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2011年7月27日 (水)

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り29

昨年10月に、親鸞会を必死に擁護する偽装退会者がブログで書いていた内容をそのまま偽装本願寺布教師がブログで書いています。別人格を演じるなら、もう少し違う話にすればいいものを、知恵が足りなさ過ぎます。当時の内容については、即座に論破したのですが、最近論破したものも含めて、過去のことは簡単に忘れてしまうようです。

思考力アップのトレーニングにはいい教材

当たり前のことも理解できないなら、質問にだけ答えてください

当たり前のことですが、「定散諸機」≠「極重悪人」、「善凡夫」≠「悪凡夫」

この辺りを読まれれば、何の進歩向上もせずに、同じことを言い続けるしか能のないことがお判りいただけると思います。

ところで、親鸞会でしか学んだことのない人には、親鸞会用語が真宗の常識とは異なっていることを知らないと、親鸞会以外の書物を読むと頭が混乱すると思います。
宿善や方便がその典型ですが、機の深信、罪悪観もそうです。
機の深信が自力無功で、聖者も善凡夫も悪凡夫も、定散諸機も極重の悪人も共通ということと、罪悪が全人類同じということとは全く別のことです。しかし、それがカルト思考ではどうしても理解できないのです。理解したくないが正しいでしょう。

判りやすい例として龍樹菩薩のことをいつも出しますが、龍樹菩薩は自力で出離された方ですから、当然善のできた方であり、もちろん地獄に堕ちることはありません。龍樹菩薩を下品下生という仏教徒はありません。親鸞会が外道の証拠です。

前置きが長くなりましたが、『顕真』7月号の続きです。

 では、そんな煩悩具足で虚仮・雑毒の善しかできぬ十方衆生と見抜かれた弥陀が十八願で、”そんな者を救う”と誓われているのになぜ、十九願で同じ十方衆生に諸善を勧められているのだろうか。
 この阿弥陀仏の本願を矛盾とみるか。弥陀の大慈悲と知るか。
 親鸞聖人は、こう喝破されている。
(原文)
【真・仮を知らざるによりて、
 如来広大の恩徳を迷失す】
              (教行信証)
(意訳)
「十八願(真)と十九・二十願(仮)を建てられた弥陀の御心が分からず、矛盾としか思えないから広大無辺の弥陀の恩徳が知られないのである」

(中略)

 自力からみれば矛盾に見えるだろうが、他力からは何の矛盾もなく、親鸞聖人はこう感泣されている。
(原文)
【既に以て、真仮みな是れ
 大悲の願海に酬報せり】
           (教行信証真仏土巻)
(意訳)
「十八願(真)十九願・二十願(仮)ともに、『すべての人を絶対の幸福に救い摂る』弥陀の大慈悲心から建てられたものである」

 善知識方が、「諸善はみな弥陀の方便なり」「諸善は往生浄土の方便なり」「諸善は信心獲得の因縁なり」(宿善)と言われているのは、「我々の虚仮・雑毒の善が弥陀の救いの資助になる(=役に立つ・間に合う)」ということでは断じてない。
「弥陀の方便」(信心獲得の因縁)と「弥陀の真実」(信心獲得)の区別が立たないのは、聖人仰せの通り弥陀の本願の真・仮を知らないからに外ならない

無茶苦茶な内容です。18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」の意味の違いについては、mixiでの法論で高森会長が惨敗したにも関わらず、正そうという気配もありません。修正したら、”三願転入の教え””善の勧め”の最大の根拠を失いますので、高森会長が死んでも認めないでしょう。
18願と19願とが矛盾するとしきりに言っていますが、何も矛盾しません。私が矛盾すると言っているのは、悪人に19願の善を勧める高森理論が矛盾だと言っているのです。何度も何度も何度も言っていますように、18願と19願とは対機が違うのですから、これを矛盾と考える方がどうかしています。

18願は悪人を正機として、善人を傍機とされています。
『口伝鈔』には

しかれば御釈(玄義分)にも、〈一切善悪凡夫得生者〉と等のたまへり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたはらにかねたり。かるがゆゑに傍機たる善凡夫、なほ往生せば、もつぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。

とあり、当然ながら善凡夫と悪凡夫が区別されています。「傍機たる善凡夫」がいるのです。
一方で、19願には悪人は含まれていません。善人正機です。散々述べた通りです。
そこで聖道門では、19願を最重要視したのですが、法然上人は18願が選択本願であり、王本願と断言されたので、猛反発してきたのです。そのことについては、

「親鸞会の邪義を正す」
”三願転入の教え”の誤り2

でも説明してあります。法然上人の正しさと聖道門の考えの間違いを正されるために仰ったのが、「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」です。
時代背景を知っていれば、親鸞聖人がこのように仰った意味が、容易に判る筈です。

真仮みな是れ大悲の願海に酬報せり」についても、よくもまあ、ここまで意味をねじ曲げられるものだと驚嘆していますが、意味は、

「安心問答」
「真仮みな是れ大悲の願海に酬報せり」の真仮とは何ですか?(頂いた質問)

にもありますので、ご参照ください。

最後の

 善知識方が、「諸善はみな弥陀の方便なり」「諸善は往生浄土の方便なり」「諸善は信心獲得の因縁なり」(宿善)と言われているのは、「我々の虚仮・雑毒の善が弥陀の救いの資助になる(=役に立つ・間に合う)」ということでは断じてない。
「弥陀の方便」(信心獲得の因縁)と「弥陀の真実」(信心獲得)の区別が立たないのは、聖人仰せの通り弥陀の本願の真・仮を知らないからに外ならない。

は、前回述べた通りですが、補足すれば、高森理論はこうです。

過去世・現在世の善根は救いの資助にはならないが、宿善になる。

「宿善薄く生まれた者は、どうもがいても、宿善厚くなれないのなら、宿善開発(信心獲得)はありえない」(本願寺なぜ答えぬ)ということは、宿善を厚くすれば救われる。

これは、

諸善は救いの資助にならないが、諸善をして宿善にすれば資助になる

という理屈です。何のことはありません、諸善を宿善に言い換えることで、誤魔化しただけのことです。これはmixiでの法論でも使われた手口です。
前回のエントリーをよく読まれれば、ご理解頂けると思います。

先にもいいましたように、親鸞会は同じ言葉を使いながら、意味が異なりますので、外部の人が親鸞会を見てもよく判りませんし、内部の人が本願寺等の外部の書籍を読んでも正しく理解できないのです。退会しても、この状態が長く続きます。これがマインドコントロールの恐ろしさです。

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コメント

>親鸞会は同じ言葉を使いながら、意味が異なりますので、外部の人が親鸞会を見てもよく判りませんし、内部の人が本願寺等の外部の書籍を読んでも正しく理解できないのです。退会しても、この状態が長く続きます。これがマインドコントロールの恐ろしさです。

確かに。
高森会の人と話していても途中で意味不明な会話になるのですが、言語の定義が浄土真宗でいう定義と違うのですね。
部外者としては、何故このようになるのかという思考のプロセスが解からないのですが、飛雲さんが高森教を相対化してくれているので、少しく判るような気がします。
でも、高森会の人って、いつもおどおどしてるんですよね。自分の言っていることに自信が持てないというか、本当は高森顕徹の言っていることは嘘ではないか、という想いがあるのかな。
高森氏の法話の語り口は、四十数年前から知っていますが、助かりたいという欲望を刺激する手法は変わっていないのですね。
まともな社会人なら高森氏の説教に疑問を持つのですが、社会経験の少ない学生さんは彼の信仰のパッションに騙されて、かく有るべしという教説に自らの人生を委ねてしまうのでしょうね。
あらゆる仏教は、煩悩の沈静を目指すのですが、救われたいという衆生の煩悩に火を付け、永遠に救われないご法義を説くのが高森氏でしょうね。信心という狂気に会員を陥れ、自らは浄土真宗の回向される「ご信心」を知らないのが高森顕徹氏でしょう。
仏教では、キリスト教と違い、行のない信心はないのですね。遠くは、唯願無行の批判に、願行具足で応えられた善導大師のお示しのように、南無阿弥陀仏を称える行為は、願行具足しているから、よく往生の正因となるのでした。

それにしても、このようなアホな教義に騙されたという人が存在することに驚く。
家の尋常小学校卒の爺さんでも、漢文のお聖教を開き、納得できないことは布教使に食い下がっていたものだが、親鸞会の会員って他者依存の依存症の人が多いのかな。それって、病気だから耆婆じゃなかった、心理療法の治療の必要性があるかもな。

なにはともあれ、本物の浄土真宗のご法義を、固く歪んだ心の高森会の会員に、届けてあげてください。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

投稿: 林遊 | 2011年7月28日 (木) 00時22分

飛雲さんの仰るとおり親鸞会は諸善が信心決定の資助になると言っているのですね。

獲信の一念から振り返って過去の「宿世の善根」が獲信の因縁であるとします。
会では獲信の因縁として教えているものは修善だけです。
この2つを合わせると、自己の修した善で獲信のすべてが成就するということになります。
阿弥陀仏不要の教義です。

真宗の本当の御法義を学ぶと、かつて聞かされていた教えがモンスター教義だったと知らされます。

投稿: | 2011年7月28日 (木) 00時52分

林遊 様

いつも有難うございます。親鸞会教義に疑問が起きて、林遊さんの書かれたものを何度も読ませてもらいましたが、当時は意味が半分も判りませんでした。まさに、マインドコントロールであったと自分の体験から、そう思います。
なぜ高森会長に騙されたのか、理由はあります。
・豊富な聖教上の根拠を提示している
・本願寺と法論をして、本願寺を黙らせた
・本願寺では聞けない判りやすい内容と、多くの年配者が語っている
・高森会長の実体を偽って、事有るごとに講師部員や古い幹部が賛美する
等です。
つまり、高森会長以外で教えていることを何も知らなければ、高森会長の巧みな話術に騙されてしまうことと、高森会長に講師部員さえ近づけないので、高森会長の正体を知る手段がないことです。
本願寺で話を聞いてきた人でも、かつて本願寺を黙らせた大沼師と同じ内容を高森会長が説けば、高森会長(本当は大沼師)の自信と断言に圧倒されてしまうのです。
高森会長の人間性や非常識は、高森会長の近くにいた人の情報が漏れてきたことで、ようやく公になりました。
問題は、教義です。
ここが非常に厄介です。真宗で使われる用語を高森会長が大沼師の味わいと自己の欲望を交えて意味を変えていますので、それを長年擦り込まれた会員と会話しても、外部の人とは話が噛みあわなくなってきて、訳がわからなくなります。

それで、こんな難しい内容を会員向けの言葉に直してブログに書いて、高森邪義を理解してもらうしかないのです。自分自身が教義理解に苦労した分、会員の思考状況も判ります。

また御助言をして頂けると有難いです。

投稿: 飛雲 | 2011年7月28日 (木) 06時44分

名無し 様

仰る通りです。高森会長は、言葉遊びをしている、あるいは高森会長自身が自分の言っている意味が判らずに何となく言っているだけです。
確かにモンスター教義でしょうね。

投稿: 飛雲 | 2011年7月28日 (木) 06時50分

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