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2011年7月16日 (土)

対機説法・応病与薬とは、「上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ」

親鸞会では、対機説法・応病与薬という言葉は知っていますが、意味を知りません。

存覚上人の書かれた『持名鈔』には、

薬をもつて病を治するに、かろき病をばかろき薬をもつてつくろひ、おもき病をばおもき薬をもつていやす。病をしりて薬をほどこす、これを良医となづく。如来はすなはち良医のごとし。機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。これすなはち、戒行もまつたく、智慧もあらんひとは、たとへば病あさきひとのごとし。かからんひとをば諸行のちからにてもたすけつべし。智慧もなく悪業ふかき末世の凡夫は、たとへば病おもきもののごとし。これをば弥陀の名号のちからにあらずしてはすくふべきにあらず。かるがゆゑに罪悪の衆生のたすかる法ときくに、法のちからのすぐれたるほどは、ことにしらるるなり。されば『選択集』のなかに、「極悪最下の人のために、しかも極善最上の法を説く。例せば、かの無明淵源の病は中道府蔵の薬にあらざればすなはち治することあたはざるがごとし。いまこの五逆は重病の淵源なり。またこの念仏は霊薬の府蔵なり。この薬にあらずは、なんぞこの病を治せん」といへるは、このこころなり。

と教えられています。病に応じて薬を与えるのが良医です。良医と同じように、仏は機に応じて法を説かれたのです。上根の機、つまり善人には諸行を授け、下根の機、つまり悪人には念仏を勧められているのです。悪業の深い末世の凡夫は、念仏以外には救われる手立てがないのです。それを法然上人が『選択本願念仏集』の中で「極悪最下の人のために、しかも極善最上の法を説く。」と教えて下されているのです。

上根の機下根の機と説かれている法が違う、それが対機説法であり、応病与薬というのです。それが『勅伝』の

上人の給はく、「口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり。其故は極楽の往生は上は天親竜樹をすゝめ、下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、善人をすゝめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすゝめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。」

ということです。

またいつも紹介していますように、これは『往生要集』

『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。

と同じことです。

この明快な論理が理解できないのが、親鸞会や偽装本願寺布教師です。

十方衆生は逆謗の一機

という妄想から抜け出すことができないから、自分の妄想に近い論文をさがしだして喜んでいる御粗末な思考しかできないのです。

法然上人は「黒田の聖人へ遣わす御文」の中で、

罪は十悪・五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし。罪人なほむまる、いはむや善人おや。

と書いておられます。このように悪人と善人を法然上人は常に分けて教えておられます。これは『歎異抄』

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。

と矛盾している訳ではありません。先ほどの『持名鈔』及び『選択本願念仏集』のお言葉を読んでいただければお判りになると思いますが、重い病を治す薬ならば、軽い病はなお治すことができるのです。しかし、病の軽い人は重い病を治す薬を飲もうとはしませんから、「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」になるのです。

ここまで説明しても、カルト思考に凝り固まっていると、上根の機、善人、病の軽い人が存在しないとしか理解できないのでしょう。同じことを何度も何度も説明するのも、読者の皆さんに失礼ですから、善人、悪人については

M野講師が質問に答えれば、容易に判る話です

『玄義分』の「いまの時の善悪の凡夫」の意味は判りましたか?

八万四千の法門と機との関係が判りますか?

M野氏ではないと否定される方へ。質問に答えて下さい。それと世福を知っていますか?

こちらの質問は無視し、せっかく善導大師のお言葉で説明したのにそれも無視ですか?

「親鸞会の邪義を正す」
十方衆生≠極重の悪人

に詳しく書いてありますので、そちらを御覧下さい。

補足すれば、定善について善導大師は『定善義』の中で

万事ともに捨てて、なほ失意・聾盲・痴人のごとくなれば、この定かならずすなはち得やすし。もしかくのごとくならざれば、三業縁に随ひて転じ、定想波を逐ひて飛ぶ。たとひ千年の寿を尽せども、法眼いまだかつて開けず。

と教えられています。簡単に言えば、定善をできる人もあるが、現実的には殆どの人はできないということです。誰も定善ができないなどとは仰っていません。
親鸞聖人はこれを承けられまして『教行信証』化土巻

しかるに常没の凡愚、定心修しがたし、息慮凝心のゆゑに。散心行じがたし、廃悪修善のゆゑに。ここをもつて立相住心なほ成じがたきがゆゑに、「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」といへり。いかにいはんや無相離念まことに獲がたし。

と教えられました。善導大師が定善のところで仰った「たとひ千年の寿を尽すとも、法眼いまだかつて開けず」を親鸞聖人は散善にまで適用されているのですが、日本語の判らない人には、「かたし」が”可能性0”としか読めないのです。「かたき」は文字通り難しいのであって、”可能性0”ではありません。

親鸞会の好きな『浄土和讃』

善知識にあふことも
 をしふることもまたかたし
 よくきくこともかたければ
 信ずることもなほかたし

を善知識にあうこと、教えること、よく聞くこと、信じることの”可能性が0”とは流石に理解していないと思いますが。

実際に善導大師は条件付きで定善について「この定かならずすなはち得やすし」と仰っているのですから、散善ならなおさらできる凡夫もあるのです。しかしながら、定善も散善も”難しい”ので、定善・散善に心をかけることなく、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」だぞ、と歴代の善知識方は教えておられるのです。

これを、極重の悪人に善を勧められている、と理解するのは、どれだけ知能が低いのでしょうか?驚嘆に値します。

それにしても日本語のレクチャーまでしなければならないとは、情けないことです。私の言っていないことまで言ったことにして、そんな卑怯な手を使わなければブログも書けないのですから、哀れなものです。更には偽装本願寺布教師のブログは、偽装退会者の書いているブログと全く同じ論理、根拠ですから、偽装も下手なのです。

なおこちらの質問には答えられないということで、

(再掲)

万引きという法律上の悪を犯した講師部員がいることは、誰も否定しませんのでこれを前提として話をします。(そんな講師部員はいない、というのであれば、はっきり否定してください)

会員の模範であり、宿善が一般の人よりも遥かに厚い筈の講師部員が、一般の人がしない法律上の悪をどういう気持ちで犯したのかを尋ねたいのです。それと高森会長は、宿善が厚く宿善開発したと聞いていますが、盗作や浄財の私的流用も、窃盗の一種であり、宿善の意味を知りたいのです。

聖覚法印、覚如上人が仰っていることをそのまま当て填めれば、会長とその講師部員は「宿善すくなきもの」「宿悪おもきもの」であったということです。もしそうならば、会長は宿善開発していると言えないのではないでしょうか。
あるいは、会員には廃悪修善を勧めながら、往生の障りにならないから本当は善をしなくてもいし、悪をどれだけしても関係ないのだ、と思っているのでしょうか。だとすれば、完全に謗法罪です。

『選択本願念仏集』には

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と、下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことでありますが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、親鸞会の善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないですか。

それと、

「地獄一定」が万人共通

とまで断言するのであれば、龍樹菩薩が御自身のことを地獄一定と仰ったお言葉を出してからにしなさい。曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』

われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。
一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。

も出しましたが、それを「地獄一定」と誰でも解釈できる根拠を出してみなさい。

こんな簡単な質問にも答えられないと言うことは、

1.高森会長・講師部員は「宿善すくなきもの」である。
2.『観無量寿経』によって、親鸞会の宿善論、三願転入の教え、善の勧めは論理的に破綻している。
3.龍樹菩薩・曇鸞大師が、御自身のことを「地獄一定」という意味で仰ったお言葉はない。

ということで決着です。これ以上議論の余地はありません。

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コメント

M野さん、止めておけばいいのにね…。
知能は低いがプライドだけは高いと、こんなことになりますよと教えてくれているようなものです。

学校で何を習ってきたのやら…

投稿: M野さんへ | 2011年7月16日 (土) 07時20分

M野講師は、本当に本当に●が悪いのですかね。
親鸞会上層部を騙すための演技なら大したものですが、そこまでの知恵がありませんから、
本当にあのように思って、自信満々なのでしょう。
哀愁が漂っていますよ、M野講師。

投稿: どんちゃん | 2011年7月16日 (土) 09時09分

単純に考えて,龍樹菩薩を必堕無間扱いするのは随分失礼な話ですよね。
偉大な善知識であり八宗の祖である方への尊敬が感じられません。
龍樹菩薩をとるか高森会長をとるかとなったら高森会長を選ぶのが親鸞会員なのでしょうが,それはカルトであることの実証だと思います。

投稿: | 2011年7月16日 (土) 21時50分

2ちゃんにこんな書き込みがありました。
 ↓ ↓ ↓

また●●のブログ夢幻界裡の覚醒でカルト脳丸出し!!

正常な脳

AとBの2つの場合がある。ということは、AかBの2通りに分かれる。
(当たり前過ぎて説明がいらない)


カルト脳の典型例

AとBの2つの場合がある。だからAしかないのだ。
(意味不明)

このカルト脳が●●講師のブログ夢幻界裡の覚醒
これを4回にもわたって自信満々に書き続けるのが、カルト脳。

これに続いて

正常な脳

「かたい」=難しい=できることもある

カルト脳

「かたい」=不可能=絶対にできない


親鸞会に入ると、このような幼稚園児以下の知能になりますので、注意しましょう。

投稿: カルト教義反対 | 2011年7月17日 (日) 04時29分

M野さんへ 様

学校で習ったことは、親鸞会ですべて無くしたのでしょう。


どんちゃん 様

「さよなら親鸞会」のコメント欄といい、2chといい、親鸞会が必死になってネット対策をしていることがよく判ります。理性もなくなっています。


名無し 様

外道の者達は、龍樹菩薩も必堕無間の凡夫の一人としか思えないのでしょう。


カルト教義反対 様

情報有難うございました。エントリーに使わせて頂きました。
なお、一部伏字にしました。

投稿: 飛雲 | 2011年7月17日 (日) 07時00分

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