当たり前のことですが、「定散諸機」≠「極重悪人」、「善凡夫」≠「悪凡夫」
偽装本願寺布教師は、何年経っても何の進歩もありません。すでに論破されて逃亡した内容を延々と繰り返すのみです。
”嘘も百回言えば真実になる”が、真実と思っているのでしょうが、相手にするのもあほらしくなります。
「常没の衆生」=「仏世を去りたまひて後の五濁の凡夫」=「いまの時の善悪の凡夫」
これくらいのことも理解できないのですから。
「定散諸機」については一年以上前に
で述べていますし、昨年10月にも
で述べています。『正信偈』の
善導独り仏の正意をあきらかにせり。定散と逆悪とを矜哀して
及び、『正信偈大意』の
「善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪」といふは、浄土門の祖師その数これおほしといへども、善導にかぎり独り仏証をこうて、あやまりなく仏の正意を明かしたまへり。されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり。
は、「定散の機」と「五逆の機」とは別であることを示しています。これが同じだというのであれば、小学校で国語を習ってきてください。
昨年8・9月には
でも解説した後、質問しました
・浄土門の人に19願を勧められた親鸞聖人のお言葉
・誰も化土往生できないと仰った親鸞聖人のお言葉
にも、未だに答えることができていません。なぜなら、そんなお言葉はないからです。そういえば誡疑讃を19願を勧められた根拠と言って、真宗会で笑われた人物もいましたね。
これらのお言葉は無いから三願転入の教えは根本から崩壊し、一切衆生必堕無間もカルトの教えで決着しています。その後言い訳をぐだぐだ言い続けて、幼稚園児のように駄々を捏ねられても面倒をみるつもりはありません。
「善凡夫」と「悪凡夫」についても、何度も何度も述べた通りです。
「汝何ぞ天下の諸人を以て皆下劣の根機と為す乎」との明恵高弁の言葉を知っていますか?
でも取り上げています。
なお、山辺習學・赤沼智善著の『教行信證講義』の意味も取り違えて喜んでいるようですが、
「親鸞会の邪義を正す」
会員との問答(機の深信と罪悪観との違いについて)
でも紹介した
弥陀を信ずると云ふことが、単に、一心帰命と発表せられた場合には、起らなかった問題が、この機の深信の発表によって起った。夫は此の機の深信が、凡夫のみならず聖者にも通ずるのであるかと云ふ問題である。これを凡聖通局論と称す。
この問題は、見方によりては、甚だ有益にして、興味のあるものである。即ち言葉を換へて云へば、他力宗教の於ける聖者の意義とでも云ふべきである。所が一方他力教それ自身に於ても、龍樹、天親の二祖を菩薩と称して聖者の部類に入れてあり、そして二祖の著書の上にも、この機の深信が明示されていないために、この問題は、内外の聖者に対する興味あるものとなったのである。
従って問題の起因は、甚だ簡単である。即ち聖者の意義である。自力の修道によりて得たる證りは、果して真正なる證りであるかと云ふことである。所詮聖者と称せらるる人々は、卓越した能力を以つて、凡人以上の高尚なる精神生活をしてゐても、其中心に迷ひの根の断ち切れてをらぬかどうかと云ふのである。聖道の教へにありては、盛んに衆生も佛も同一であると談じて、道を修めてをるけれども、或は天に向ひて、バベルの塔を築いてゐるやうな愚を演じてをるのではなかろうか。素より漸次に努力すれば、凡人以上の高い立場の上に立つことが出来るけれども、上れば上るほど、哀心は益々絶対に対して取りつくことの出来ぬ悩みがあるのではないか。若しその悩みを感ぜずして、自己の現在の立場を楽しみ、夫を自負し、夫を固執するならば、知らず知らず驕慢の煩悩に捕へられてゐると云はねばならぬ。強く云へば、人間として生れた以上は、純善無漏の聖者と云はるる人は一人もなく、皆、中心には迷ひの根切れのしない所がありはせぬかと云ふのである。龍樹、天親二祖の如きも、善導大師の如く、明瞭に機相を打ち出されてはないけれども、一心に如来に乗託せられたことに依りて見れば、或は罪悪の根低たる自我の真相に触れて、自力無功を自覚して、他力に帰せられたことかも知れぬ。聖者と凡夫の間には、境遇や思想の相違から、等しく自力無功を自覚するにも、其感味は種々に異ることであらうが、其自己の真相に触れる點に至っては、同一であるかも知れぬ。或は聖者の方が、自力の高い山上から叩き落ちる點に於て、一層明瞭に此機相を自覚するかも知れぬ。我聖人の胸中には、御自身の實験上から、此凡聖是一の思想をもつてをられたことは明らかであるように思はれる。
を国語の能力のある人が読めば、龍樹菩薩、天親菩薩は「聖者」であって、「凡夫」ではなく、ましてや「極重の悪人」でもないことを言っているのが判る筈です。
「聖者と凡夫の間には、境遇や思想の相違から、等しく自力無功を自覚するにも、其感味は種々に異ることであらうが、其自己の真相に触れる點に至っては、同一である」を
「聖者」=「凡夫」
「定散諸機」=「極重悪人」
「善凡夫」=「悪凡夫」
「上根の機」=「下根の機」
などと理解するのは、日本語が判らないか、思考が異常な者の言うことです。
「自我の真相」「自力無功」という機の深信においては「同一」であることと、「罪悪」が同じであることの違いが理解できぬのでしょう。
「罪悪」について「聖者」が「悪凡夫」と同じなら、「自力の修道によりて得たる證り」はもともとないということで、聖道門の教えの否定です。『勅伝』の法然上人の救われる2つの場合について仰った
一には罪つくる時乗ずるなり。其故は、かくのごとく罪をつくれば、決定して地獄に落べし。しかるに本願の名号を唱れば、決定往生せん事のうれしさよと、よろこぶ時に乗ずるなり。
二には道心おこる時乗ずるなり。其故は、此道心にて往生すべからず。これ程の道心は、無始よりこのかたおこれども、いまだ生死をはなれず。故に道心の有無を論ぜず、造罪の軽重をいはずたゞ本願の称名を、念々相続せんちからによりてぞ、往生は遂べきとおもふ時に、他力本願に乗ずるなり。
を、地獄一定が万人共通の1通りと断言して、2chで
正常な脳
AとBの2つの場合がある。ということは、AかBの2通りに分かれる。
(当たり前過ぎて説明がいらない)カルト脳の典型例
AとBの2つの場合がある。だからAしかないのだ。
(意味不明)
と笑われているのに、まだ判らないのですね。正常な思考の人から馬鹿にされて当然でしょう。
くどいようですが、悪人とは別に善人がいることを、釈尊も歴代の善知識方も仰っているのです。幼稚園ではあるまいに、善人と悪人とは違うことを一々説明する必要がありますか?
何度もいいますが、善知識方で聖道門の教えを否定された方はありません。聖道門は「悪凡夫」の機に合わないから、聖道門を捨てて18願に帰依せよ、と教えられているのです。
聖道門の教えを否定する外道の者は、外道同士で罵り合えばよいでしょう。
また『観無量寿経』の隠顕については
でも述べた通りです。過去に論破されて答えられなかったものを、わざわざ蒸し返して恥の上塗りをしたいのでしょうか?
追及されて困った時には、創作アニメの韋提希が根拠になります。都合のいい論文と都合のいい末寺の説も持ち出して、聖教上の根拠を出せない情けなさ。
断章取義、改竄にはうんざりしています。聖教上の御文で話をしなさい。
とはいうものの、記憶力も読解力も思考力も著しく低く、道徳心に至っては0の人物とは議論は成立しません。
親鸞会内でも軽んじられ、誰かに構ってもらいたく仕方がないのはよく判りますが、記憶力も読解力も思考力も、せめて世間並にまで引き上げて、世間並みの道徳心を持って、過去のエントリーをそれぞれ1万回以上読んだ上で、的を射た内容をブログに書くならば、当ブログで構ってあげてもいいですがね、偽装本願寺布教師さん。
それと”無常の虎”の根拠もまだ回答してもらっていませんが。
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コメント
M野講師は、義務教育を受けたのでしょうか?
幼稚園で悪い人についていってはいけませんよ、と教えられてこなかったのでしょうか?
どうしてこんなことになったのか、親鸞会は恐ろしいところですね。
投稿: どんちゃん | 2011年7月18日 (月) 07時46分
ここまで人間は阿呆になれるものなのか、通常本願寺のことを徹底的に非難しているカルト会の擁護をここまでするのなら
本願寺僧侶という資格を返上すべきと思うし、ここまで狂ったようにカルト教祖を信奉しているのならまず本願寺を執拗に
攻撃すべきと思うが、それもしていない。S会側の人間であることはあきらかだが、彼のブログを見た人が本願寺の僧侶も
S会への信奉者がいる、S会はそんなに悪い団体ではないのかなと思わせるようにしている。S会会長は盗作、脱税、虚偽
による違法献金の強要および背任等の疑いがあるといわれているアンダーグラウンドな人物(盗作及び虚偽による献金の個
人流用は証拠が思いっきり残ってしまっている)。仮に本気で親鸞会教義が正しいとそう思い込んでいるにせよまともな
地位の人物なら、こうした疑惑が晴れるまで擁護は控えようかとなるのが世間に仕事をもっている人間の常識的な判断だと
思うがそれもしていない。S会の人間というのはあきらかなのだが、阿呆みたいに熱くなってS会への印象操作をする為の
ブログ立上時の空想上の人物設定から大きく逸脱していることに気づいていない馬鹿っぷり。もはやS会擁護なんて無理筋
なのだが・・・
『俺だってこんなことやりたくねえよ家族の為なんだ』とかいって泣きながらやってそうだが、自分みたいな悲劇を他人に
は繰り替えさせないでおこうという発想が全くないエゴイストぶりでは世間の同情はえられない。
会長は環相の菩薩さまだと昔思っていたなあと昨日思い出して気持ち悪くなった。金ジョンイルを信奉しているやつらを
気持ち悪いと思ってきたが、自分もそうだったというのは一生のトラウマ。会長は生きているうちに獄中におくるべき。
投稿: 東海在住の脱会者 | 2011年7月18日 (月) 09時27分
どんちゃんさん、東海在住の脱会者さん、同感です。
M野は愚かな振りをしているのかと思っていましたが、どうも本気のようです。本気でこんな愚かな思考しかできないようなら、人格だけでなく、思考も破壊されたのでしょう。とてもK大に合格した人物とは思えないどころか、義務教育を受けていないのではないかとさえ思えてきます。
M野の人生はなんだったのでしょうか。
これがカルトの犠牲者というものでしょうか。
悲惨な変わり方をした人をこれ以上見たくありませんので、親鸞会は早く潰れてほしい。
投稿: 彦根の平和堂 | 2011年7月18日 (月) 11時29分
どんちゃん 様
東海在住の脱会者 様
彦根の平和堂 様
偽装本願寺布教師は、堕ちるところまで堕ちたという感じですね。自分が何を言っているのか判っていない状態で、とにかく当ブログにケチをつければ、嘘でも捏造でも何でもいいのです。
哀れ哀れ。
投稿: 飛雲 | 2011年7月20日 (水) 06時27分