”ただ”では救われない高森会長の教え
『歎異抄をひらく』の
”ただ”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”ただ”である。
は、大沼師の『親鸞聖人に聴く』の
唯という言葉もいらないたヾです。無限の慶びのある唯です。
からのパクリであることは明白ですが、『歎異抄をひらく』の”ただ”に大沼師の漢字を当て填めてみると
”唯”もいらぬ”ただ”じゃったと、無条件の救いに驚き呆れた”唯”である。
ということになります。大沼師は、18願の救いには善も悪も何も要らない唯念仏だけ、ということが言いたかったことが判ります。
これは『往生要集』の
『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。
であり、『教行信証』化土巻・要門釈の
『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。
そのものです。大沼師は、親鸞聖人の教えと外れた主張をしている訳ではありません。
ところが高森会長は”唯”よりも、”只”に拘ったのです。救われる一念には、善は要らないが、その一念に至るまでは”只”ではないぞ、”只”より高いものはない、当然相当の善(お金)が必要だぞ、と会員に思わせたい訳です。
それが宿善とか方便の善とか19願とか、言葉を変えて言っていることです。
たとえていえば、信前と信後を隔てる関所を通るにはお金は要りませんが、遠い遠い遥か彼方の関所に至るまでは大金を積まないと到達できないというようなものです。
関所を通るのは只だが、関所までは只ではないなら、結局は只ではないのです。
唯でも同じです。関所を通るのは唯念仏だが、関所までは念仏以外の行が必要なら、結局は唯ではないのです。
『往生要集』のお言葉を、
極重の悪人は、救われるには念仏しかないが、救われる道中には善という方便が必要だ
などとどうしたら解釈できるのでしょうか?
少し考えてみれば簡単に判るトリックなのです。
これまで何度も述べてきましたが、高森会長も会員も漸教と頓教の違いさえ全く判っていないのです。
関所が遥か彼方にあるのではなく、目の前にあるから、平生業成と言われるのです。関所が遥か彼方にあるのに、現在ただ今関所を通れますよ、と言うのは嘘です。
完全無料ですよと言っておきながら、実はその前にはお金を払ってもらわないといけません、というのは典型的な詐欺商法です。
親鸞聖人が只、と言われたら最初から最後まで只なのです。唯と言われたら最初から最後まで唯です。今と言われたら今です。親鸞聖人は、騙したり、誤解するような回りくどい言い方はされていません。
それにも関わらず、因果の道理が、善の勧めが、宿善がどうのこうのといっているのを仏智疑惑というのです。『正像末和讃』誡疑讃には
罪福信ずる行者は
仏智の不思議をうたがひて
疑城胎宮にとどまれば
三宝にはなれたてまつる
(現代語訳)
善悪の因果を信じる行者は、
仏の智慧の言葉に尽くせないほど不思議の本願を疑って
疑城胎宮に止まるので、
真実報土の仏・法・僧から離れてしまうのです。自力の心をむねとして
不思議の仏智をたのまねば
胎宮にうまれて五百歳
三宝の慈悲にはなれたり
(現代語訳)
自力往生の心を最高のよりどころとして、
想いや言葉に尽くせない仏の智慧の本願のはたらきを信じないので、
方便化土の疑城胎宮に生まれて五百年もの間、
阿弥陀如来の三宝の慈悲から離れ、 閉ざされているのです。
とある通りです。何度もいいますが、この仏智とは18願のことであり、18願を信じないで因果の道理を信じて19願修善、20願自力念仏に拘っていることを「仏智不思議」を疑うと仰っているのです。
19願も20願も要らない、18願だけだ、とこれだけ繰り返し繰り返し親鸞聖人が教えられているのに、まだ文句を言うのは、「仏智不思議」を疑う罪よりも重い、「本願毀滅」の罪です。
『高僧和讃』善導讃に
本願毀滅のともがらは
生盲闡提となづけたり
大地微塵劫をへて
ながく三塗にしづむなり(現代語訳)
本願を討ち滅ぼそうとする人は、
ものごとの見えない人であり教えを聞かない人と名づけられた。
想像もできない時間を経て、
長い間地獄餓鬼畜生の世界に沈むのである。
と仰っています。
「毀滅」の左訓には
そしるにとりても、わがする法は勝り、またひとのする法は賤しといふを毀滅といふなり
とあります。
高森会長の教える法は勝り、また親鸞聖人の仰った通りの法は賤しというのを「毀滅」というのです。あるいは、もっと酷い「念仏誹謗」かもしれません。
「毀滅」「念仏誹謗」に勤しむ親鸞会会員は、報いを受ける覚悟がありますか?
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コメント
親鸞会は、寺参りして念仏をありがたがるお年寄りを嘲笑したり、称名念仏を嘲笑したりしていました。
投稿: | 2011年6月18日 (土) 21時05分
親鸞会の教えを聞き抜いて救われた極々少数の人(果たしているのかどうか疑問だが)のほかは、70億すべての人は皆地獄に堕ちるというのが親鸞会会員の共通認識ですものね。18願を聞き違いして人まで惑わすまさに毀滅の行いそのものです。
投稿: | 2011年6月19日 (日) 12時20分
先の名無し 様
後の名無し 様
高森会長と講師部員が念仏誹謗してその報いを受けることは仕方のないことですが、会員まで真似をして巻き添えになるのはかわいそうです。
投稿: 飛雲 | 2011年6月20日 (月) 21時08分