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2011年6月27日 (月)

龍樹菩薩も天親菩薩も曇鸞大師も「地獄一定」???

法然上人は『勅伝』第二十一に、弥陀の御本願に救いとって頂くには

上人の給はく、「口伝なくして浄土の法門を見るは、往生の得分を見うしなふなり。其故は極楽の往生は上は天親竜樹をすゝめ、下は末世の凡夫十悪五逆の罪人まですすめ給へり。しかるをわが身は最下の凡夫にて、善人をすゝめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすゝめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。」

と教えておられます。何度も解説しましたのでお判りとは思いますが、十方衆生といっても龍樹菩薩・天親菩薩のような善人から、十悪・五逆の罪人までいますので、善人に対して説かれた教えを、悪人が自分のことと思ってはならない、悪人に勧められた念仏の教えを聞いていくことで往生を遂げることができるのだ、と教えられたものです。
では、どういう時に阿弥陀仏に救いとって頂くのかについてこの後に

他力本願に乗ずるに二あり。乗ぜざるに二あり。乗ぜざるに二といふは、一には罪をつくるとき乗ぜず。其故は、かくのごとく罪をつくれば、念佛申とも往生不定なりとおもふ時に乗ぜず。二には道心のおこる時乗ぜず。其故は、おなじく念佛申とも、かくのごとく道心ありて申さんずる念佛にてこそ往生はせんずれ、無道心にては念佛す共かなふべからずと。道心をさきとして、本願をつぎにおもふ時乗ぜざるなり。次に本願に乗ずるに二の様といふは、一には罪つくる時乗ずるなり。其故は、かくのごとく罪をつくれば、決定して地獄に落べし。しかるに本願の名号を唱れば、決定往生せん事のうれしさよと、よろこぶ時に乗ずるなり。二には道心おこる時乗ずるなり。其故は、此道心にて往生すべからず。これ程の道心は、無始よりこのかたおこれども、いまだ生死をはなれず。故に道心の有無を論ぜず、造罪の軽重をいはずたゞ本願の称名を、念々相続せんちからによりてぞ、往生は遂べきとおもふ時に、他力本願に乗ずるなり。

と仰っているのです。
阿弥陀仏に救われるのに2つの場合があり、救われないのに2つの場合があるということです。
救われない2つの場合を

一には罪をつくるとき乗ぜず。其故は、かくのごとく罪をつくれば、念佛申とも往生不定なりとおもふ時に乗ぜず。

二には道心のおこる時乗ぜず。其故は、おなじく念佛申とも、かくのごとく道心ありて申さんずる念佛にてこそ往生はせんずれ、無道心にては念佛す共かなふべからずと。道心をさきとして、本願をつぎにおもふ時乗ぜざるなり。

とされています。
1つ目は、自分の造った罪悪を問題にして、こんな者では救われないと18願を疑っているときには救われない、ということで、
2つ目は、自力を加えなければ救われないと18願を疑っているときには救われない、ということです。
つまり悪人も善人も共に、18願を疑っているから救われないのだと教えられたのです。

一方、救われる場合について

一には罪つくる時乗ずるなり。其故は、かくのごとく罪をつくれば、決定して地獄に落べし。しかるに本願の名号を唱れば、決定往生せん事のうれしさよと、よろこぶ時に乗ずるなり。

二には道心おこる時乗ずるなり。其故は、此道心にて往生すべからず。これ程の道心は、無始よりこのかたおこれども、いまだ生死をはなれず。故に道心の有無を論ぜず、造罪の軽重をいはずたゞ本願の称名を、念々相続せんちからによりてぞ、往生は遂べきとおもふ時に、他力本願に乗ずるなり。

とされています。
1つ目は、地獄に堕ちるような罪悪を造った者であっても、必ず救って下さると、18願に対する疑いがなくなった時に救われる、ということで、
2つ目は、自力では迷いの世界から出ることのできないことを知り、18願によってのみ迷いの世界を出させて頂けると思った時に救われる、ということです。
つまり、地獄に堕ちるような悪人も、地獄に堕ちない善人も、18願に対する疑いが無くなった時に救われるのだと教えられたものです。

救われるか救われないかを、法然上人が18願に対する信疑で教えられたのですが、それは「道心の有無」「造罪の軽重」に関係がないということです。「造罪の軽重」ですから、「造罪の重」い人もあれば、「造罪の軽」い人も当然あります。「造罪の軽」い人も、「地獄一定」と例外なく知らされる、と解釈する愚かさを知るべきでしょう。

さて、自称本願寺の布教師が、何やらブログで書いているそうですが、聖教の御文を断章取義、捏造するのも平気な人物ですから、人の主張をも断章取義、捏造することなど何とも思っていないのでしょう。

構って欲しいのも判りますが、私の主張は

「親鸞会の邪義を正す」

に、まとめてあります。私の主張を故意にネジ曲げる卑怯な人物の相手をまともにするつもりはありません。大体、法律、倫理道徳を軽視する団体や人物と議論が成立すると思いますか?mixiでの三願転入の議論を見れば判るではないですか。

相手の質問には全く答えず、一方的に質問をし続け、それでも追い詰められると、強制退会、挙げ句の果てに、トッピックの削除。親鸞会のいつもの常套手段です。

親鸞会と無関係を装ってまで相手をして欲しいならば、前から尋ねていることに答えてからにしてもらいましょうか。

万引きという法律上の悪を犯した講師部員がいることは、誰も否定しませんのでこれを前提として話をします。(そんな講師部員はいない、というのであれば、はっきり否定してください)

会員の模範であり、宿善が一般の人よりも遥かに厚い筈の講師部員が、一般の人がしない法律上の悪をどういう気持ちで犯したのかを尋ねたいのです。それと高森会長は、宿善が厚く宿善開発したと聞いていますが、盗作や浄財の私的流用も、窃盗の一種であり、宿善の意味を知りたいのです。

聖覚法印、覚如上人が仰っていることをそのまま当て填めれば、会長とその講師部員は「宿善すくなきもの」「宿悪おもきもの」であったということです。もしそうならば、会長は宿善開発していると言えないのではないでしょうか。
あるいは、会員には廃悪修善を勧めながら、往生の障りにならないから本当は善をしなくてもいし、悪をどれだけしても関係ないのだ、と思っているのでしょうか。だとすれば、完全に謗法罪です。

『選択本願念仏集』には

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と、下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことでありますが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、親鸞会の善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないですか。

それと、

「地獄一定」が万人共通

とまで断言するのであれば、以前から言っているように龍樹菩薩が御自身のことを地獄一定と仰ったお言葉を出してからにしなさい。曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』

われ無始より三界に循りて、虚妄輪のために回転せらる。
一念一時に造るところの業、足六道に繋がれ三塗に滞まる。

も出しましたが、それを「地獄一定」と誰でも解釈できる根拠を出してみなさい。

負け犬の遠吠えが親鸞会にはよく似あいますよ。

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コメント

無碍界裡さんが可哀想になってきた。
飛雲さんへ、また、この場をお借りします。

とことん高森会長の言葉をそのまま伝えようとされている姿はけなげだ。
きっと、広宣部の指示のもと言われる通りされているんだよな。

あれこれ書かれているが、
三悪道に堕ちるも地獄に堕ちるもどっちにしろ堕ちるんだから関係ないでしょ。
そんなことより、あなたの後生は大丈夫ですか。
御信心はいかがですか。
はっきりされましたか。
阿弥陀様の救いに出会われましたか。
我が身は「地獄一定」と知らされましたか。

「・・・大きなお世話だ・・・・。」

と言われるなら結構でございます。

しかし、一つだけ。
後生は一大事です。
必ずどこかへ堕ちていく。
○○講師は地震で亡くなりました。一息、一息が後生です。
その私をそのまま救うと阿弥陀様は誓われています。
阿弥陀様はあなたに付きっきりです。
どうか、阿弥陀様の方を向いてください。
人の顔色を伺ってばかりいないで、本当の自分の気持ちを確かめてください。
心は泣いていますよ。
「何とかしてくれ、いつになったらハッキリするのか、本当に阿弥陀仏の救いはあるのか、
俺はもう駄目じゃないのか、でもなんとかしたい、助けてくれ~!!」と。

「必ず救う」、阿弥陀様は24時間付きっきり。
遠い所にはいません。
お仏壇の中だけでなく、あなたの腹底から南無阿弥陀仏と声になって今、叫んでおられます。
「我に任せよ。そのまま救うぞ。」
後はあなたが聞くか聞かないかです。(自力で聞く事ではありませんよ)

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

とくよしみね

(・・・どうか阿弥陀様の声を聞いてください。)

投稿: とくよしみね | 2011年6月27日 (月) 22時23分

むしろM野さん、本当に仏教を信じてるのか、後生を信じてるのか疑問です。
本当は後生云々とか阿弥陀如来云々とか、口先だけで何とも思ってないのではと思えます。

投稿: かきふらいすらぁ | 2011年6月28日 (火) 01時17分

飛雲さんが反論できないって、何を反論してほしいの?
前のエントリーのコメント欄で書いたけど、

「機の深信」=「自力無功」=万人共通

≠「地獄一定」

地獄に堕ちるという罪悪観のある人は、「機の深信」を「地獄一定」と表現することもあるが、地獄に堕ちるという罪悪観のない人は、「機の深信」を「地獄一定」と表現することはない、ただそれだけのこと。

こんな簡単なことが解らないのかね。解っていても、揚げ足を取りたいだけなのでしょうね。

愚かなM野さんは、また悔し紛れに何か書いてくるのでしょうね、哀れ哀れ。

投稿: M野さんへ | 2011年6月28日 (火) 05時44分

とくよしみね 様

可哀相な人です。コメント欄を使っていただくことは構いませんが、当の本人の心に届くことは極めて難しいでしょう。


かきふらいすらぁ 様

何も信じていないと思います。信じていることは、今の生活を壊さないことがベスト、ということでしょう。


M野さんへ 様

親鸞会らしいやり方ですから、何も驚くことはありません。

投稿: 飛雲 | 2011年6月29日 (水) 06時51分

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