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2011年5月13日 (金)

高森会長の雑行の勧め

先日の二千畳座談会の内容を会員さんから聞きました。当ブログで予習していた高森会長は、雑行の勧めを認めたそうです。
このことは

「安心問答」
会長「19願も、20願も欲生我国とあるから皆18願に向かっている」(5月8日二千畳座談会参加者より頂いた情報より)

でも取り上げられていました。
高森会長も相当に追い詰められている感じです。実に判りやすい性格です。
もともと高森会長は真宗学を勉強していないのですから、聖教上の根拠を出されると、狼狽えるのでしょう。
では今の高森教義は皆創作なのかと言えば、違います。

大沼法竜師の著書を読むと判りますが、高森会長の話の90%以上は大沼師からの盗作です。大沼師は、伝統教学とは異なる独創教学を、個人的な味わいを交えて表現することが多く、そのため大沼教学は真宗界では通用しない秘密の法門みたいなものですが、それを高森会長は盗作して、真宗の学者でも知らないことを自分は知っていると自慢しているだけです。
たとえば、2月の二千畳座談会で突如出たヘンテコ”諸久堕の三難”もそうですし、『歎異抄をひらく』で自画自賛している「ただ念仏して」の「ただ」の説明もそうです。真宗の学者でも知らないという三大諍論までも大沼師の盗作です。大沼師の著書を読むと、会員100人中100人が高森会長の著書と錯覚してしまうでしょう。

さて、親鸞会の善の勧めももちろん大沼師からのパクリです。

方便を方便と知らない者は真実に入っていない真実に入った人でなければ方便は説けない

と裏表紙にある『方便より真実え 浄土真宗』にはこのようにあります。

 一切の善根功徳を、第十九願に、諸の功徳を修して至心に発願して我国に生まれようと願うものを生まれさすと書いてありますが、真宗では、弥陀の浄土に往生するのは、弥陀の名号の独り作用だから、諸善万行や六度万行は修することはいらない、としている。しかも、これを雑行雑修と嫌な名前をつけて捨てさせているのですから、あまり残酷ではありませんか。これを生かして、真宗で使用する方法はないものかと尋ねているのです。これを味方にして利用したら、大いに活躍できますが、敵にまわしたら真宗の損失この上もないことと思います。悪くいえば、善根功徳は積む必要はない、真宗は念仏一つで沢山だといっていますが、それでよいですか、いま少し深く研究して、善根功徳を生かす方法を考えなければ真宗は自滅しますよ。
 私の考えは、往生の一段は仏力不思議で、名号を聞信する独り作用で決まりますが、生活の一段はそれは許されません。
(中略)
因果は厳しく結果を開きます。生活の一段には全力を注いで、身の行ないを慎み、善根を励みなさい。これを至心に発願して、往生の助太刀にしようとするから雑毒の善、虚仮の行、雑行雑修という名をつけて機執まで捨てさすのです。善根そのものは立派な善根功徳だから、実行しなければよい果報は獲られません。

これを生かして、真宗で使用する方法はないものか」の前後を抜いたら、少し前の高森教学そのものです。

しかし先日の座談会では

19願から諸善万行をやろうという雑行が出てくる。そんな心がない人間に振り捨てよ、なげすてよといわれても、裸で歩いているものにものを落としたという人がない。
投げ捨てよ、振り捨てよと蓮如上人言われているのは、捨てよ、振り捨てよ誰がいうのか。
持たないものに捨てよといっても、ちんぷんかんぷん。
雑行を捨てて、これは方便です。19願からしか雑行はでてこない。19願で、雑行をさせ、自力の心を起こさせ、こしらえられる。
持たないものに、阿弥陀仏が、19願要門でこしらえさせてくださる。そして縦の線で、自力の心がすたる。

と大沼師を超える教義を言っていましたので、詰んだ将棋の勝負をまだ続けているようなものでしょう。これまでは流石に「善を勧めているのであって雑行を勧めているのではない」と訳の判らない理屈で誤魔化してきましたが、今や「雑行をさせ」です。

もうすでに勝負がついた、というよりも王将が取られたのです。勝負をまだ諦めないとかいう状態ではないのですが、それも判らないのでしょうね。

会員も哀れなものです。こんな無能な指導者にいつまでも従わされて、人生を棒に振るのですから。

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コメント

会長も話す言葉には注意の上に注意を重ねていたはずですが、「雑行をさせ」とは、ついに言ってしまったですね。刑事コロンボのラストシーンに似たものがあります。追い詰めた犯人にコロンボが「やっと言ってくれましたね」という視線を投げかけ幕を閉じる、というケースが多くあったように思います。もっとも、無理を通そうとしてのことですから人、当然の帰結ですね。人間の注意力には限界がありますから。

投稿: 広島の名無し | 2011年5月13日 (金) 23時44分

次はどうやって誤魔化すのでしょうか。「わしゃそんなことは言っておらん」とでも言うのでしょうか。

投稿: 雑草 | 2011年5月14日 (土) 08時32分

親鸞会脱会後の30年間も、私をして高森氏の主張が真実かのように思わしめ続けた文言の数々、そのほぼ総てが実は大沼氏からの盗作だったのですね。
盗作の罪は大きく深い。
このことをもっと、未だ親鸞会に迷っている人々にも、また世間にも弘宣していきましょう!!

投稿: 世間人 | 2011年5月14日 (土) 13時15分

広島の名無し 様

注意していたにも関わらず言ってしまったのか、開き直ったのか。
後者のような気もしますが。


雑草 様

「ワシはそんなこと言っておらん」は常套文句ですが、今回は開き直りではないかと思われますがどうでしょうか。「雑行を勧めていない」と言ってみたところで、勧めているのは雑行そのものですから、今更どうしようもないでしょう。
雑行の勧めを正当化させる理屈を考えるのが、誤魔化しの唯一の方法かと思います。


世間人 様

大沼師の意図していないことまで言ってますから、完全なコピーではないでしょうが、完全なコピーならカルトにならなくて済みました。悪意を持った人物が、誤解しやすい表現を利用して、創価学会の真似もしながらこんなものになったのでしょう。

投稿: 飛雲 | 2011年5月14日 (土) 20時29分

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